僕の小さな一歩

朝月

僕の小さな一歩

 とても寒い日だった。

 コートを羽織ったり、マフラーを首に巻いたり、手袋をつけたり、完全装備をしていても外に出たら身体が震えてしまってしかたがない。だから、外に出るのが億劫になる。

でも、今日はとても天気の良い日でもあった。

 空を見上げれば、どこまでも青い空が広がっていて雲を見つけるのが難しいぐらい。窓からは明るい太陽の光が入ってきていて、気持ちが良かった。

 暖房の効いたファミレスの中に入ってしばらくすると、外の寒さのことなんて忘れてしまって、晴天の気持ち良さだけが残った。僕は今、すごく贅沢なことをしている。そのまま気分良くコーヒーを飲んだ。

「お前、コーヒーに砂糖もミルクも入れないのか?」

 窓から見える街路樹とか、手をつないで歩く親子連れとか、そういったものを眺めながらかすかな幸せをかみしめていると、小野さんが話しかけてきた。

 僕は小野さんの方を向き、言葉を返す。

「砂糖やミルクを入れても良いんですけどね」

「じゃあ、なんで入れないんだ?」

「なんとなくですかね」

 そう答えると、小野さんは砂糖とミルクを手に取り、有無を言わさずにそれを僕のコーヒーに入れた。

 コーヒーの黒色と、ミルクの白色が混ざりあって、茶色に変化する。先ほどまで飲んでいたブラックコーヒーとは違う茶色の液体は、グルグルとなめらかな渦を巻いていた。

「ちょっと、勝手に何をしているんですか?」

「いっぱい食べたり飲んだりしないと大きくなれないだろ」

「こんなちょっと砂糖とかミルクを摂取したからって大きくならないでしょ。小野さん、なると思いますか?」

 平均よりも少しだけ低い自分の身長のことが頭に浮かぶ。

「それは知らん。だけど、何事も積み重ねだぞ」

「砂糖なんて、縦よりも横に大きくなりそうですよ。それは嫌です」

「ははっ、そうかもしれないな」

 口を大きく開け、小野さんは笑う。

こういう風に小野さんが明るく笑っているのを見ると、僕の気持ちも少しだけ明るくなる。

 小野さんは僕の高校の先輩で、今は地元の大学に通っている。小野さんと初めて会ったのは中学生の頃に通っていた塾だ。学年も部活動も違うけれど、何かのきっかけで話すようになり、いつの間にか小野さんは僕にとって良い先輩になった。小野さんが高校を卒業した今でも連絡を取り合っていて、時々こうして僕の話に付き合ってくれる。

「今日は良い天気だな」

 窓の外を見た小野さんがしみじみと言った。

 小野さんの前には紅茶の入ったティーカップが置かれている。小野さんが言うには紅茶は優雅な飲み物で、それを飲む人も優雅な人なのだそうだ。ファミレスに優雅なんてものがあるのかと疑問が浮かんだけれど、口には出さないでおいた。

「そうですね」

 僕も小野さんと同じように窓の外を見る。

「本当に、そう思います」

 冬の空は、夏の空に比べて綺麗に透き通っているような気がする。だから、すごく好きだった。

「ところで、お前に聞きたいことがあったんだけど」

「なんですか?」

「今日、センター試験だろ。行かなくて良かったのか?」

ああ、やっぱり聞かれるよな。

僕の心が少しだけざわついた。

 小野さんの方を見たけれど、小野さんは窓の外を眺めながら、何でもない軽い世間話でもしているような感じだ。

 僕は自分の前に置かれたコーヒーカップに目を移す。まだ少し、渦を巻いている。

「別に、行かなくても大丈夫でしょ。そんなの」

 その一言を言い終わるとすぐにコーヒーを飲んだ。すごく甘い。小野さんは砂糖を入れ過ぎたみたいだ。

「いや、行った方が良いだろ。学年で一番の秀才が何を言ってるんだ。難関国立大学でも合格圏内で、先生や周りの期待も高いのに。それなのに、センター試験を受けなきゃ、国立大学には行けないだろ」

 もしも普通の人なら、僕が大切な試験をすっぽかしていることを知って、どういう反応をするのだろうか?「遅れてでも良いから今すぐに行け!」と怒鳴るだろうか?呆れるだろうか?もしかしたら、試験会場まで車を出してくれたり、色々してくれるかも知れない。

 でも、小野さんの場合は違った。口ではもっともらしいことを言ってはいるが、顔は笑っている。そして、僕を試験会場に連れて行こうともしない。

 だから僕は、今日は小野さんに会いたかったんだ。

「何か行かない理由があるのか?」

「いや、特に……。なんとなくですかね」

「なんとなくか」

 小野さんは近くにあったメニュー表を手に取り見始めた。

「今頃、学校の先生や親がお前のことを探しているかもな」

「そうかもしれませんね」

 受験生への激励のためなのか何なのか、試験会場に先生が数人行くと聞いていたし、先生からの注目度が高い僕が試験に来ていないことはすぐに分かりそうだ。もしかすると、もうすでに親に連絡がいっているかもしれない。

 そういうことも考えて、家から少し遠いファミレスに小野さんを誘ったし、携帯電話は家に置いてきた。

「まあ、お前がそれで良いのなら、別に良いんだけどさ」

 そう言って、小野さんは僕にもメニュー表を見せてきた。

「何か頼むか?ドリンクバーだけじゃ足りないだろ。今日はおごってやるよ」

「ありがとうございます。もともと、おごられるつもりでした」

「ちなみにお前、今、一体いくら持っているんだ?」

「一円も持っていないですよ」

 嘘だった。本当は少しだけ持っている。逆に、僕が小野さんをおごってあげられるぐらいには。

 でも、僕の言葉を信じた小野さんは、少しあわてて自分の財布の中身を確認し始めた。その様子が面白くて、小野さんには申し訳ないけれど笑ってしまう。

「ああ、大丈夫だ。良いぞ。何でも注文してくれ」

 財布に十分にお金があることを確認した小野さんは、さっきよりも自信たっぷりに言った。嫌な顔一つしない。小野さんのこういうところが僕は好きだ。

 僕におごる事が出来て一安心の小野さんは、メニュー表を見ながら「やっぱり肉かなぁ」とか「デザートも良いなぁ」とか一人でぶつぶつ言い始めた。

小野さんには「おごられるつもりだ」とは言ったものの、お腹は全く空いておらず、何も食べる気は無くて、もうこのドリンクバーだけで十分だった。

 僕はティースプーンでコーヒーをかき混ぜて、止まってしまっていた渦を再び動かす。

「小野さん」

「うん?」

「大学って、楽しいですか?」

 小野さんはメニュー表から顔を上げ、僕の方を見た。

「急にどうした?」

「いや、特に。何でもないんですけど。えっと、その。なんとなく」

 僕はしどろもどろにしか答えられなかった。自分でも何が言いたいのか分からなくて、出てくる言葉が口の中で絡まってしまう。

 小野さんはメニュー表を置いて腕組みをし、考え始めた。

 僕は絡まった口をほぐそうとしてコーヒーを飲む。やっぱり甘過ぎる。

「大学が楽しいかどうかは人によるだろ。楽しいやつもいるし、楽しくないやつもいる。ただ1つ言えるのは、大学に行ったからといって何かが変わるわけではないということだ。『楽しいこと』が待っているだけでやってくるわけじゃない。大学に行くだけで良くなることは無い。悪くはなるかも知れないけどな」

 そう言うと小野さんは紅茶を飲み始めた。小野さんの紅茶には砂糖もミルクも入っていない。

「大学ってそういうものなんですか?」

「そういうものだ。これは大学に限った話じゃない。何事も、自分から行動をしない限り良くなることは少ない。よっぽど運が良かったら別だけどな。大学の先輩でさ。学校にあまり来ないで家に引きこもって、何をしているか分からないまま消えていった人がいた。その人は話をしてみるとすごく良い人なんだ。だけど、たまに大学に来たその先輩はいつも暗い顔をしていた。心の底から面白くないという風に。そしてその暗い顔をしたまま何も行動せずに、むしろそういう自分に酔っていた。『僕は運が悪い人だから』とか言って。結局、その先輩がその後どうなったのかは知らない」

「その先輩は大学が楽しくなかったんですかね?」

「さあな。大学に行かないで家に引きこもって哀れな自分に酔っているのが楽しかったのなら、楽しい学生生活だけど、それはその先輩にしか分からん。だから、結局、大学が楽しいかどうかは人による」

「小野さんはその先輩の学生生活は楽しいと思いますか?」

「思うわけがないだろ。そんな生活、めちゃくちゃつまらないわ。お前はどう思うんだよ?」

「僕もちょっと嫌ですね」

「まあ、大学そのものに期待するなってことだ。そこに行って自分が何をするかの方が大切だよ」

 紅茶を飲み終えた小野さんは、空になったカップを持って立ち上がった。

「おかわりを取りに行こうと思うんだけど、お前は何かいるか?」

 僕のカップの中にはまだ半分以上コーヒーが残っていた。でも、せっかくだし。

「じゃあ、野菜ジュースをお願いします」

「はぁ?野菜ジュース?そんなの飲んだら健康になっちゃうだろうが」

「健康になれるんなら良いじゃないですか」

「つまらないなぁ」

 ぶつぶつと文句を言いながら、小野さんはドリンクバーの方に歩き出す。僕は、その小野さんの背中をしばらく眺めて、小野さんがドリンクバーコーナーにたどり着いたのを確認した後、窓の外へと視線を移した。

 外は相変わらずの快晴で、昼に近づき太陽が高く昇ってきたこともあってか、空の青さが一段と際立ってきたような気がする。

ふと、通りを歩く女の人に目がいく。

彼女は、マフラーをしっかりと巻き、首を縮め、出来るだけ肌を出さないようにして歩いていた。額には深いしわが刻まれ、口から吐き出される息は真っ白だ。

僕は、まだ冬の寒さが外にあることを、暖かいファミレスの店内から確認をする。ここにいるとすごく楽だ。暖かいし、椅子はふかふかで気持ち良いし、喉が渇いたら飲み物もすぐに手に入る。食べ物だってお金があればすぐに出てくる。楽園だ。

でも、僕はいつまでもここにはいられない。

「ほい、取ってきたぞ」

 小野さんが紅茶の入ったティーカップを2つ持って帰ってきた。

「野菜ジュースは?」

「ああ、ごめん。野菜ジュースは売り切れだった」

 僕はとっさにドリンクバーの方を見た。

「信じられないのか?」

「そりゃ信じられないでしょ。ドリンクバーの野菜ジュースなんて無限に湧いてくるものですよ」

「まぁまぁ。野菜ジュースよりも絶対にこっちの方が良いって。紅茶は優雅になれるんだぞ」

 小野さんは紅茶の入ったティーカップを1つ、僕の前に置いた。カップからは湯気が出ていて、その湯気に乗って柑橘系の香りがした。小野さんには言わないけれど、僕は柑橘系の匂いが苦手だった。

 小野さんも席について、僕よりも先に自分の分の紅茶を飲んだ。目を閉じて、紅茶を味わうことに全神経を集中させる。紅茶を口に含んでしばらくそうした後、小野さんはゆっくりと息を吐いた。

「この瞬間が好きだから紅茶を飲んでいるんだ。紅茶の良い香りが口から全身に広がっていって身体中のいらないものをかき集めて、それが吐く息と一緒に外に出て行ってすっきりする」

 そう言い終わると、小野さんはテーブルにカップを置いてもう一度目をつむり、無言になった。紅茶の余韻を楽しんでいるのかも知れない。

 それを邪魔したくなかったので、僕もしばらく何も喋らずにただ静かに時が流れるままに過ごした。

 周りはざわざわとうるさく、せわしなく人が動いたりしているようだけど、僕と小野さんのいるテーブルだけはその騒がしい世界と切り離されているようで、すごく静かな時間が流れていた。

 いつまでもこうしていたいと思う。

「センター試験、行った方が良かったんですかね?」

 静かでゆったりとした流れを、僕の言葉が断ち切る。

 小野さんはゆっくりと目を開けた。

「今更そんなことを言っても遅いだろ。もう間に合わない。急に不安になったのか?」

 僕は不安なのだろうか?

 自分の心に尋ねてみる。そのまましばらく考えてみたけれど、どうやら不安なわけではなさそうだ。

「不安というわけではないみたいです」

 僕は自分の心に聞いた答えをそのまま小野さんに伝える。

「じゃあどうして?」

「そこまでは分からないんですよね」

 自分の心の中に、何かの理由があることは分かる。それは釘みたいに心に刺さっている。だけど、それがどこに刺さっているのか、どんな形の釘で材質は何なのか、それが全く分からない。ただ、どこかに釘が刺さっていることが分かるだけだ。だから、苦しい。

そこでまた会話が途切れた。再び静かな時間が訪れる。

小野さんは目を開け僕の方を見ているが、小野さんからは何も喋らない。僕はまた自分の心の中を覗いて理由を探すことにした。

「まともじゃない気がするから、ですかね」

しばらく考えて、ぱっと浮かんだ答えがそれだった。

「まあ、まともじゃないかもな。いや、『かも』はいらないな。お前はまともじゃないよ」

「ですよね」

 湯気の立つ紅茶には手をつけず、僕はまた止まってしまったコーヒーの中にティースプーンを突っ込んでかきまぜた。

グルグル、グルグル。言葉には出さないけれど、心の中でそう唱えながら。

冷めてしまった茶色の液体が回り出す。きっともう美味しくはないだろう。

「まともって、何なんですかね?」

 ゆっくりとコーヒーをかき混ぜながら僕は聞いた。それは独り言に近くて、小野さんに聞こえなくてもかまわないぐらい小さな声でつぶやいた。

「そんなのみんな言っているだろ。『これがまとも、あれがまともじゃない』って。みんなが『これがまとも』って言っているやつがまともだよ」

 小野さんには僕の言葉がちゃんと聞こえていたみたいだ。

「じゃあ、もしもですよ。もしも、みんながまともじゃないことをまともって言っていたらどうなんですか?」

「良いか?まともかどうかを決めるのは『みんな』なんだ。だから、みんながまともって言っているやつはみんなまともなの」

「そうなんですか?」

「そうなの」

 「何を当たり前のことを聞いているんだお前は」とでも言うように、小野さんは言い切った。

「じゃあ、例えばどんなことがまともじゃないんですか?」

「大切な、自分の人生がかかったセンター試験をすっぽかすようなやつはまともじゃないな」

「センター試験って、人生がかかっているんですか?」

「そんなの知らん。人による。でも、今はまともかどうかの話だろ?このファミレスにいる人みんなに聞いてみろよ。それで分かるよ」

 僕はコーヒーをかき混ぜるのをやめた。

 そして、小野さんの持ってきてくれた紅茶を一口飲んだ。紅茶はほとんど飲まないから、味が良く分からない。変なウーロン茶みたいな感じがする。

「美味しいだろ?」

「よく分からないですね」

「美味しいかどうか分からなくても優雅な気分にはなれるだろ?目を閉じて、集中して紅茶を飲んで、全身で味わうんだ。そうすればもう優雅だよ」

 僕は小野さんに言われた通りにしてみた。目を閉じ、紅茶を飲んで全身で味わい、そしてゆっくりと息を吐く。しばらくそうしてから、目を開ける。

「どうだ?」

「よく分からないですね」

「そうか。よく分からないか。やっぱりお前はまともじゃないよ」

 そう言って小野さんは笑った。

 もうそろそろ正午になる。お昼ご飯時だ。ファミレス内にも人が増えてくる。喧噪も大きくなってきた。

「まともじゃないとダメなんですかね?」

 どれだけ周りが騒がしくても、僕は目の前の小野さんの姿やしぐさや声しか気にしていない。

「ダメなんじゃない?」

 小野さんは窓の外を眺めながら、あくびをして言った。

「まともじゃないと、幸せになれませんかね?」

「知らん。そんなの人によるだろ」

「小野さん。その『人による』っていうやつ、よく言いますよね」

 窓の外を眺めていた小野さんが僕の方を向く。そして右のこめかみの辺りを掻いた。そうすると、小野さんの長い前髪が揺れて、きれいな額が見える。

「だってさ。こうしたら幸せになれるっていう、それこそみんながまともっていうのと似た感じのやつがあるけどさ。それはそうしたら幸せになる確率が高いってだけの話だろ。その幸せがその人に合うかどうか分からない。じゃあ、幸せなんてその人によるとしか言えないじゃん。他のこともそう。全部、その人しだい」

 そこまで言うと、小野さんは僕の方を向くのをやめて、頬杖をつき、また窓の外を眺め始めた。

「みんなが言うことを鵜呑みにしてさ。それで幸せになれたら何の問題も無いけれど、もしなれなかったらどうする?時間は取り戻せない。そんな時『自分が幸せになれなかったのは、みんなのせいだ!』って叫んだって誰も話は聞いちゃくれない。だって、選んだのは自分なんだから。そんなの嫌じゃないか?」

「それは、嫌ですね」

「そうだろ。だったら、最後は自分で決めないと。自分がやりたいようにしないと。自分が幸せだと思ったものを信じないと。それで失敗してもまだ諦めがつく」

 たくさん喋って喉が渇いたのか、小野さんはそこで一息つくと紅茶を飲んだ。

「少し冷めちゃったな」

 そうつぶやいてまた飲んだ。今度はさっきのような、目を閉じる飲み方はしなかった。

「幸せってさ。よく分からないけど、そんなに難しいことじゃなくて、自分で勝手に決めて良いんだよ。他人が『お前の人生は幸せだ』と言っても自分が不幸だと思ったら不幸。他人が『お前の人生は不幸だ』って言っても自分が幸せだと思ったら幸せ」

「そういうもんですかね」

「そういうもんだ。結局、その人による」

 ファミレス内は、いよいよ人であふれてきた。出入り口が騒がしい。どうやら満席で、待っている人が出てきているみたいだ。

「そろそろ行くか」

 その様子を見てか、小野さんは冷めた紅茶を飲み干し、僕に言った。

「そうですね」

 僕も冷め切ったコーヒーを一気に飲み、そのままの勢いで紅茶も飲んだ。お腹がいっぱいになって吐きそうだけれど我慢する。

「優雅さのかけらも無いな」

「僕には優雅さなんて必要無いですよ」

「そうか」

 小野さんは笑う。そして、伝票を取って席を立った。

「もう一度言うけど、今日は私がおごってやるよ」

「さっきも言いましたけど、今日はおごられるつもりでした。ごちそうさまです」

 お辞儀をする僕の頭を小野さんが軽く叩く。

 そのままレジに向かおうとしている小野さんの背中に向かって僕は言った。

「小野さん。僕、小野さんの通っている大学に行きます」

 小野さんが振り返る。

「あんなアホな大学に行っても良いこと無いぞ」

「でも、もう決めましたから」

 きっと、どんな名の通った大学よりも、小野さんのいる大学の方が僕には何百倍も良い大学だ。小野さんの通っている大学は私立大学だからセンター試験を受けなくても受験が出来る。

 僕は、最初からこうしたかったのだと思う。でも、決断が出来なかった。だから、わざとセンター試験に行かなかったのだ。

「学年で一番の秀才がもったいない」

 そう言う小野さんの顔は笑っていて「お前らしいな」って褒めてくれているみたいだ。

「それと、小野さんに聞きたいことがあるんですけど」

「なんだ?」

「小野さんって、彼氏います?」

「いないけど」

「じゃあ、僕が小野さんの大学に行くまで、彼氏を作らないでくださいね」

「おいっ、それってどういう。ちょっと待て!」

 小野さんの言葉を無視して、僕は一人でファミレスの外に出た。

 冬の冷たい風が僕を包む。1月の強烈な寒さが身体にしみて、僕の顔がこわばる。

 でも、すぐに笑顔を作り、空を見上げた。

 だって、今日はとても良い日だから。

 僕の頭の上には綺麗な青空が広がっている。

 それはとても幸せなことだった。

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