第60話 その頃ののりこ

「りょうた、急がないと信長が逃げるわよ!」

 テレビアニメの登場人物になりきっていたのりこは、後先構わず駆け抜けていた。今の彼女は紛うことなき戦国武将だ。

「だめだ、今日のおねえちゃんは打倒信長に燃えている。けど、信長ってどこにいるんだろう?」

 のりこはりょうたの疑問など知ったことではない。彼女は戦国武将に思いを馳せ、誰にも追いつけないスピードで通学路を駆け抜けていく。

「おねぇちゃぁーん!!」

 のりこはりょうたを差し置いて猛進して行く......だが、その時!!

「あっ......」

 のりこは紐のような何かに足元を掬われた。猛進していた手前、勢い余ってその体を草むらへ放り出される。

「――あぁっ!!」

 その時のりこは感じた。それは落とし穴に落ちていく感覚に似ていると。だが、時すでに遅し。今の彼女に重力へ逆らう余地はない。

「いったぁーい......」

 のりこは地面へ勢いよくを叩きつけられた。全身は泥だらけになってしまったが、咄嗟に受け身を取ったことで肘の軽傷で済んだ。

「おねえちゃん? おねえちゃん!?」

 困惑するりょうたの声が遠く聞こえる。天井も高くに見え、相当な高さから落ちたことがのりこにも容易に理解できた。

「りょうた! りょうーたぁー!!」

 のりこは必死に叫ぶが、遥か遠くのりょうたには届くはずもない。加えて、周囲はモグラが掘った洞穴のようになっていて傾斜も険しい。おそらく、のりこ自身の力では脱出も叶うまい。

「上からの脱出は難しそうね......。こうなれば、前進あるのみ!!」

 戻ることを諦めたのりこは洞穴の先へ進むことを決断。本来、遭難した際は極力現場を動かないことが望ましい。遭難した際の知識として、読者諸君は肝に銘じるべし。

 洞穴の先は闇が広がっていて、目視では到底その先を確認することは出来ない。だが、それでものりこは闇の深淵へ猛進する。

「真っ暗で何も見えない......。けど、この先にはきっと光があるはず」

 周囲が暗闇に包まれていてものりこは希望を捨てない。いつの時代も光は闇から生まれ出るものなのだ。だが、人間は長時間の暗闇に晒されると精神崩壊を起こし始め、72時間で発狂してしまうといわれる。大人でさえ堪え難い環境を、果たして小学生の彼女が耐え抜くことが出来るのだろうか?

「足元がベチャベチャしてて歩きにくい......」

 のりこが歩みを進めていくと、足元が徐々にぬかるんできた。周囲こそ目視できないものの、地面が水気を帯びていることは確かだった。どこからか水の滴る音も聞こえてくることから、おそらくは地下水と思われる。

 それからどれだけの時間歩いただろうか。洞穴は相変わらず出口が見えないが、足場はいつしか粘土質から岩石質へ変化していることが感じ取れた。のりこの目は暗闇に順応し、おおよそ足元の状態を把握出来るようになった。そういう意味で、慣れというのは時に恐ろしい。

「......痛っ!」

 のりこは爪先を強打した。いくら暗視が可能とはいえ、全てを把握するのはさすがに無理がある。

「これは一体何かしら? 石ではなさそうね......」

 感覚が研ぎ澄まされたのりこには、爪先のそれが自然の物でないと理解できた。どことなく形が整っていて、所々角があるような気がする。おそらくは人工物だろうか? だが、それ以上の推測は暗視である以上困難だ。

「まぁいいわ、今回は見逃してあげる」

 何物ともいえない物体、それに対する気がかりを残しながらものりこは先を急いだ。しかしながら、岩石質の足場に人工物があるというのは何とも不自然だ。

 のりこがさらに歩みを進めていくと、今度は臭いの変化を感じ取った。それまでの土臭さは消え失せ、いつしか塩臭さが周囲に漂い始めていた。それに加えて、心なしか潮騒しおさいも聞こえてくるような気がする。おそらくは、出口が近いという暗示か。

「遠くからザァザァ音が聞こえる。もしかしたら潮騒ぎ?」

 惜しい、実に惜しい。彼女は潮騒と言いたいところだろうが、残念ながら小学生にそのような語彙力ごいりょくはない。とはいえ、のりこ自身も洞穴の出口が近いことを実感しているに違いない。

「潮騒ぎ、きっとそれは魂のルフラン!!」

 潮騒の何が彼女の心を掻き立てたのだろうか? のりこは一心不乱に洞穴を掛け抜ける。それはさながら、自身が過ごした大地へと還っていくかのようだ。

「あれは......真理の扉!?」

 そんな彼女の目の前に、突如として扉が立ち塞がった。潮騒が間近に聞こえることから、そこが外界への出口であることは間違いない。だが、それはとても堅牢なもののように見えるが、のりこはどうするのだろうか?

「どうやら真理は私を試そうとしているのね。けれどね......道理なんて知ったことじゃないの!! そんなもの、私の無理で押し通すっっっ!!!」

 だが、のりこはその扉を力で押し通した。金剛石をも粉砕する一撃金剛玉砕拳を受けた扉は粉々に砕け散り、強制的に外界への出口が開かれた。

「......え? ここどこ??」

 のりこが辿り着いた場所、そこは真夜中の海岸だった。眼前の遥か向こうに島が見えるものの、その先は荒波に行く手を阻まれてしまっている。

 ......のりこ、絶体絶命。

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