エピローグ アリアは絶対捕まらない
エピローグです!最後までお付き合い下さりありがとうございます。
が、調子に乗って明日も番外編を投稿することにしました。
また、後書きにて大事なお知らせをさせていただきますので、ぜひ最後までお読みくださいませー!
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「ふふん、大漁、大漁。値切りはセンスとテクニック。磨き抜かれた値切りトークのキレもさることながら、生まれ持った値切り
『一個あたり銅貨三枚の揚げ物を値切り倒したくらいで、安上がりな女だよな……』
とある、夏の終わりの昼下がりのことである。
町娘に扮したアリアは、秋の到来を予感させる伸びやかな青空の下、市の賑わいを通り抜けていた。
腕の中には、揚げたての白身魚のフライ。肩には、アリアにしか見えない相棒の白トカゲ。
晴天に恵まれた石畳はからりと乾き、声を張り上げる売り子や客は騒がしいが、季節柄、暑苦しいというほどでもない。
要は、最高のおでかけ日和。
思わず鼻歌が漏れるほどには、アリアは上機嫌だった。
この日のために用意した、歩きやすい革の靴は、軽快なリズムを刻んで噴水広場へと向かう。
そこが待ち合わせ場所だからだ。
ところが、噴水が視界に入った途端、彼女はドスの利いた声で「おい冗談だろ」と、可憐な唇を引き攣らせてしまった。
待ち人――噴水を背にしたラウル・フォン・ヴェッセルスが、直立不動の構えでこちらを待ち受けていたからである。
目深に被るよう命じたフードは、風に吹かれたのか早々に外され、白皙の美貌を露わにしてしまっていた。
せめて噴水の縁に腰掛けていてくれれば目立たないのに、姿勢よく立ち尽くしているものだから、視線が集まる、集まる。
「どう見たって、お忍びに下町の市にやってきためちゃくちゃ高貴なお方じゃん……」
『よーしアリア、回れ右だ』
「賛成」
速やかに踵を返したが、その途端、冬の湖のように静かな声が、
「早く戻ってきなさい、アリア」
とこちらを呼び止めた。
彼の声は、低く穏やかなくせに、やたらとよく通るのだ。
精霊王のために割れた海原のように、ざっと人の波が割れる。
ばっちり彼と目が合ってしまったので、もう、逃げることはできなかった。
「……こっそり待っててって言ったじゃない。あんただと目立ちすぎるから、あたしが買い出しに行ったっていうのに、これじゃまったく意味がないわ」
花道と化してしまった空間を早足で通り抜け、彼の手を掴んでほかの場所へと避難する。
噴水に腰掛けてのんびりと小腹満たしを、という算段だったが、こんな大量の好奇の目に晒されながらでは、ちっとも「のんびり」なんてできなかった。
「自覚あるわけ? あんたは平民じゃないし、もう騎士ですらない。貴族の中の貴族、次期ヴェッセルス伯爵なのよ。下町に出没していい身分じゃないの。せめて座って待っててよ」
「だが、立っていなくては、君の危機にすぐに駆けつけることができない」
「なんであたしが危機に遭う前提なのよ。ここはあたしのホームだっての」
「だって君は、歩くたびに厄介事に巻き込まれる人種に見える」
馬鹿にしてんの、と睨みかけたが、ラウルはいたって真剣な顔をしている。
そこがたちの悪いところだ。
知り合う時間を重ねるごとに思うことだが、彼はその冷ややかな佇まいとは裏腹に、大層過保護かつ心配性な男で、どうもアリアのことを、歩き立ての幼児かなにかと勘違いしている節がある。
やれ、屋台で絡まれなかったか、道中で人とぶつからなかったか、怪しい人間に声を掛けられなかったか、疲れてはいないか――、淡々と、しかししつこく問うてくるので、アリアは目立ちすぎの待ち方を見逃してやる代わりに、それらの質問の一切を黙殺した。
ついでに、人気のない場所に落ち着くや、「はい、ご注文のフライ。銀貨三枚よ」と揚げ物代をふっかけてやる。
だが、彼が「ああ。買い出しを任せてすまない」と金貨をひょいと渡してきたので、その大ざっぱさに再びキレた。
「なんっで、元値銅貨三枚の揚げ物に金貨を寄越すのよ! 馬鹿なの!?」
「こうしたときは多めに払うものだ」
「多めが過ぎてもはや頭の具合が心配になんのよ、そういうのやめてよ!」
脈絡もなく大金を渡されたとき、普通の人間が抱くのは警戒心だと思うのだ。
あまりにぶっ飛んだ経済観にアリアは出鼻を挫かれ、結局銅貨三枚だけをせしめたのだが、ラウルはと言えば、小さく笑みを浮かべるだけだった。
「君はやっぱり、お人好しだ」
「……そりゃどーも」
彼のすかした発言には、毎度噛みつかずにはいられないものの、このすかした唇が象るかすかな笑みは、どうしたことか、嫌いになれない。
そして、アリアと話すとき、彼はほかの誰と話すときよりも頻繁に、こうして頬を緩めた。
「……秋が近付いたとはいえ、まだまだ暑いわね。揚げ物はミスったかもしれない」
なんとなく彼の顔を見ていられなくて、アリアは手頃な壁に背を預けながら、話題を変えた。
するとラウルは、物珍しそうにフライを見下ろしつつ、頷く。
「だが活気がある。民が賑やかに過ごしているのを見るのは、心地いい」
漂った油の匂いになにを思ったか、彼はぽつりと付け足した。
「ちょうど、一月経った」
「……そうね」
アリアもまた、静かに頷きを返した。
蜂起のあった日から、一月。
それとも、大雨によって「憤怒」が宥められた日から一月というべきだろうか。
夏から秋へと季節を渡る、このほんの短い期間は、アリアたちにとって怒濤の一月であった。
まず、蜂起の炎を完全に鎮めた。
あの夜ラウルは、気を失ったアリアをヨーナスに託してから、衛兵たちに倒されていた民を捉え、王城の一部に集めた。
彼らが昏倒している間に、コンラート王子を通じて国王に緊急の奏上をし、これまでの経緯を報告。
慈悲深い王は熟考の末、民からその場で金を取り上げることはせず、毛布と食料を持たせて放免した。
同時に、関係者の処罰。
国王の前に引きずり出され、ドミニクは素直に罪を認めた。
処刑を覚悟していたようだが、実際のところ彼が直接犯した罪は、国宝に王水を塗りつけたことしかない。
ただし、三年前の軍部への資金提供は重罪であるとして、諸々の勘案を経て、流刑に処された。
身分と財産をすべて剥奪されて生かされることは、もしかしたらドミニクにとっては、死刑よりも過酷であったかもしれない。
これに伴い、伯爵位継承権保持者が自分一人しかいなくなったため、ラウルは聖騎士の職を離れ、正式に次期伯爵を名乗るようになる。
現ヴェッセルス伯爵は、弟の監督不行届があったとして、一年の減俸。
エルスター男爵も、速やかに事態を報告しなかったとして、半年の減俸を命じられる。
アリアもまた、国王の前に呼び出された。
窃盗の罪で牢獄行きに違いないと思い込んでいた彼女だったが、驚くべきことに無罪放免を言い渡された。
ただし、国王直々に、「目的が正しかったとしても、行為が誤っていては罪となる。次はない」と諭されたが。
なぜだかアリアの横で跪いていたラウルは、なぜだか深々と頭を下げ、なぜだか当然のような口調で「言い聞かせます」と応じたが、アリアはそのことがいまだに納得できない。
うむ、と頷いた国王の隣には、ラウルとよく似た美しさの王妃が、取り澄ました様子で腰掛けていた。
彼女はアリアと目が合うと、扇の陰から目配せを寄越した。
そこにあったのは、おそらく感謝の色。
意識が朦朧としていてなお、彼女はアリアの顔も発言も覚えていたらしい。
アリアはどんな表情を浮かべてよいかわからず、奇妙な居心地の悪さを感じながら、国王夫妻に礼を取った。
さて、それと前後する形で、王城からは王都の民を救済するための様々な策が講じられた。
大雨への対策に便乗する形で、ラウルが起案したのが、「憤怒」の憑いた金を回収するための策だ。
「新金貨を導入する、ねえ……」
早々に揚げ物を食べ終えてしまったアリアは、町行く人々を見つめながら、ぼんやりと呟いた。
そう。
ラウルが出させた触れとは、古い金貨や金品と引き換えに、新しい金貨を渡す、というものだったのである。
この王国で流通している金貨は、もう何十年も意匠が変わっていない。
当時は採掘される金の量も十分ではなく、混ぜ物も多かったため、ものによっては形が崩れてしまったり、くすんでしまっているものもあった。
それを、この機に刷新するというのである。
ドミニクから奪い上げた大量の金鉱が背後にあるからこそできる、豪胆な国策であった。
新たな金貨には、これまでの王冠の意匠に加え、稲穂の縁取りが施されている。
これはすなわち民草の象徴であり、民が国政を支え、王と共にあり続けることを表わしているのだと、ヴェッセルス次期伯爵は説明した。
金貨に
さらに、触れが出てから十日の内は、新金貨導入を記念して、交換量に応じて銀貨を与えるという。
人々はいよいよ熱狂し、家中の金品をかき集めてまで、新金貨への交換を願った。
なに、一時的に形見を手放したところで、役所がそれを処分することはない。
新金貨に替えて、その日のうちに買い戻せば、形見が銀貨の土産を連れて帰ってくるのだ。
そんな調子で、王都内の金貨はあっという間に新金貨に塗り替えられ、古い金貨や金品に憑いていた「憤怒」は、役所の最奥に移された王冠に、次々と吸い取られていった。
今人々が手にしているのは、すっかり大罪を浄化された、清らかな金である。
もちろんアリアも、ずっと胸に下げていた金貨のネックレスを外し、王冠に「憤怒」を吸わせた。
元通りに身につけてもよかったが、大罪に精気を吸い取られたからか、金貨はやけにくすんで見えたので、アリアはそれをラウルに頼み、溶かしてもらった。
今頃ベルタの金貨は、新しい金貨の一部に溶け込み、誰かの懐の中だ。
ラウルは律儀に、引き換えの新金貨を渡そうとしてきたが、アリアはそれを断った。
おまけの銀貨もだ。
ちなみに、この銀貨を上乗せする策は、あくまで「憤怒」を溜めがちな貧困層を支援するためのもので、貴族は受け取ってはいけないことになっている。
なのに欲を掻き、こっそり平民に紛れて銀貨を受け取ろうとした輩は、速やかにラウルによって記録された。
欲深い家臣の名だけを連ねた
ドミニクの縁者として減俸されるべきところを、「君には早く出世してもらわなきゃね」と、ラウルを重用する姿勢を見せたそうだ。
一石で二鳥も三鳥も仕留めてしまうラウルに、アリアは感嘆するやら慄くやらである。
それと、もうひとつ。
ドラゴンの姿を取り戻したバルトは、その直後に巨大な
が、本人はあまり、それを気にしていないらしい。
なんでも、「コツを掴んだ」らしく、「その気になりゃいつでもドラゴンの姿になれる」から、日頃は燃費のよいトカゲ姿のほうが好都合なのだそうだ。
すっかりアリアたちとの生活に慣れきってしまったらしく、彼は彫像の中に戻ることも、精霊界に帰ることもせず、蔵やアリアの肩をちょろちょろと動き回っている。
王都中に散らばった「憤怒」のかけらは、厳密に言えば全部を回収しきっていないので、王冠はまだ、完璧な姿を取り戻したわけではない。
このまま精霊界に戻っては、きっと職務怠慢で処罰を食らってしまうから――と、そんな打算もあるそうだった。
そう。
新金貨をちらつかされても、古い金貨や金品を手放さない人間は、まだいる。
あの夜に「乙女の涙」を浴びなかった人間も。
彼らの中に、今もまだ、「憤怒」はひっそりと息づいているのだ。
だが、大部分が回収されてしまったせいか、「憤怒」の残滓が残った今の状況は、大罪が解き放たれる前とさして変わらない気もした。
「憤怒」はあるのだ、そこかしこに。
誘惑に負ける心、他人を見下す心、欲張る心、そんなほかの大罪とともに、怒りはごく自然に、誰の魂にも宿っている。
ときに怒りに蝕まれ、ときに哀しみに打ちのめされながら、かすかな希望を信じて、今日も人々の営みは続いてゆく。
「……めでたし、めでたし」
いつも通りの景色を取り戻した町を前に、アリアはぽつりと呟いた。
元通りだ。
人々は穏やかで、ときどき怒りに駆られて。
王冠はほとんど姿を取り戻し、ヨーナスは無事で、相変わらず薄給に喘いでいる。
アリアの胸元からは金貨が消えたが、肩にはバルトが増えたので、きっと釣り合いはとれているのだろう。
だからこれで、なにもかもが元通り。
主には、この有能な男のおかげで。
静かに下町の民を視察しているラウルに、アリアは皮肉っぽく笑いかけた。
「敏腕伯爵令息のおかげで、この国は今日も平和だわ。結局あんたって、めちゃくちゃ貴族向きなんじゃないの。『汚らしい俗世とは関わりたくありません』みたいな顔して、聖騎士やってた人間がさ」
「そんなことはない。貴族特有の腹の探り合いには、正直困惑している」
油のついた指を丁寧にハンカチで拭った彼は、神妙に首を振る。
「だが、早く功績を重ね、ドミニクがかぶせた汚名を返上しなくてはと、気を張っている」
そうして、真正面から、アリアを見つめた。
「でないと、君に堂々と求婚できない。以前の求婚は、ヴェッセルス家が処分された時点で一度取り消させてもらったが、数年内には必ず、再度申し込む予定だ」
「……ば」
恥ずべきことに、罵倒が口を衝くまでに、少々時間が掛かってしまった。
痛恨の極みだ。
「馬っ鹿じゃないの。いいえ、ここは断定すべきね。あんたは馬鹿の中の馬鹿よ」
「なぜ」
「どう考えても、あんたがあたしと結婚する理由なんてないでしょうが!」
心底不思議そうに首を傾げられたので、アリアは思わず叫んでしまった。
この男は、釣り合いという言葉を知らないのだろうか。
アリアは下町出身の孤児で、今は貴族の養女になったとはいえ、しょせん、減俸処分を食らった貧乏男爵だ。
この性格で、しかも「次はない」と言われた前科持ち。
一方のラウルは、「蒼月の聖騎士」から
彼自身は、家から
そのことに本人だけが気付いていない。
だいたい、「夫となってともに責任を負うから、早く罪を自白しに行こう」というのがそもそもの求婚の動機だったはずだ。
だがすでに報告は終えたし、この件の処分はなされた。
押し倒されたぶんは彼が自分で手を刺したし、彼の叔父に襲われたぶんはその場でやり返した。
つまり、ラウルが責任を取るべき事項なんて、まったくないのである。
「理由なら、最も重大なものがある。私は君を――」
「言っとくけど、あたしにだって好みはあるんだからね」
真顔のまま、とんでもない口説き文句を寄越そうとしているのを察し、アリアは素早くラウルを遮った。
距離を取るように、ぴしりと相手の鼻先に、指を突き付ける。
「よくって。あたしが結婚したいのは、棺桶に片足を突っ込んだ裕福な独居老人なの。数年後に莫大な財産を寄越してくれる相手なの。あんたに少しでも、かする要素がある?」
「私の財産は、すべて君の好きにして構わない」
「重いうえに違う! 本来の持ち主が生きてるんじゃ、どうしても気兼ねするでしょうが! 誰憚ることなく、心置きなくお金は使いたいのよ。でもあんた、どう考えても五十年先もぴんぴんしてるじゃない! 無駄に鍛えられた体しやがって」
「鍛えておかないと、君を守れない」
アリアの人差し指をそっと下ろしながら、彼は臆面もなく告げた。
「私は生涯、君を守りたい」
「あーーーーーーーーーっ」
どストレートな発言に耐性のないアリアは、大声出してごまかすという、あまりにも芸のない措置に出た。
肩でのんびり揚げ物を頬張っていたバルトが、びくりと跳ねて地面に駆け下りる。
「聞こえなかった。風のせいで全っ然聞こえなかった。空っ風が吹き始める時期ね、季節の移ろいを感じるわ。今日はもう帰ろうかしら」
「アリア」
「そうそう、今夜はバーデン伯爵の夜会に呼ばれているんだった。主催者の年が年だから、きっと理想のジジイもやってくるはずよ。気合いを入れて臨まなきゃ。心が弾むわ」
「アリア」
ラウルは、指を掴んだ手を滑らかに移動させ、アリアの腕そのものを握った。
左手で引き剥がそうとすると、そちらの手もそっと掴まれる。
気付けば、両腕をしっかり拘束され、顔を寄せられていた。
彼の身のこなしが静かすぎるせいで、油断すると、いつもこうした目に遭わされる。
「再婚の決め手ってなんなのかしら。これまでは独居老人本人の趣味嗜好ばかり意識してたけど、案外その家族っていうのが肝かもしれないわよね。後添えだけど、実のご子息たちともうまくやれますよ、っていうアピールが肝要なのかも」
「アリア」
「だとしたら、老人受けを追求するんじゃなく、その子ども世代の受けというのも意識した露出を」
アリアは勝手に紅潮しようとする頬を懸命に宥め、ぺらぺらとまくし立てていたが、ふいに、その声は遮られてしまった。
「…………!」
ラウルが、唇をもって彼女の口を塞いだからである。
「――精霊の忌み嫌うもの、偽りの舌」
やがて、ゆっくりと身を起こしたラウルは、長い指で、アリアの唇をなぞった。
「心にもないことを言うのはよしなさい。あまり嫉妬を煽るようなことばかりを言われると、君の口を封じたくなってしまう」
「ふ……っ、封じた後に言ってんじゃないわよ!」
アリアは耳の端までを真っ赤にして抗議した。
「信じられない、このど変態! 破廉恥! 性騎士! なにこんな、自然に……! よくって、あんたからの求婚なんて、たとえヴェッセルス家が公爵になろうが、絶対、絶対――」
「よろしい」
こつ、と額同士をくっつけて、ラウルは、それは美しい笑みを浮かべた。
「今度は、『舌』ごと封じよう」
「過去三分の発言をすべて撤回します」
怖じ気づいたアリアは速やかな撤退を図る。
ラウルは「残念」と、真意の見えない無表情で呟いたが、そこで腕を放すことなく、しっかり言質を取りはじめた。
「確認する。バーデン伯爵の夜会に出るのはやめなさい。彼は真っ先にブラックリストに載った強欲な男だ。――返事は?」
「…………」
「なお、異議を唱えるというのなら、そんな口は今すぐ封じて」
「はい」
強ばった顔で即座に頷いたアリアに、ラウルはなおも踏み込んだ。
「もうひとつ。男の前で扇情的な装いをしようなど、論外だ。自分が嗜虐心を煽る魅力に溢れているのだということを、君はもっと、自覚したほうがいい」
「…………」
「返事は?」
苦虫を五千匹ほど噛みつぶした顔をしていると、ラウルがとうとう、両手を頬に移動させてくる。
「どうやら異議がありそうだから、この舌は――」
「ああ、もう!」
ついに我慢の限界を超えたアリアは、近付いてくるラウルの顔を、両手で押し戻した。
「はい! はい、はい、はい! 頷きゃいいんでしょ! はいったら、はい!」
大声で叫ぶ。
わかっている、これでは逆ギレだ。
だが、この美貌の男が滲ませる色気は、なんだかとてつもなく心臓に悪い。
命を守る行動を取ろうとすると、必然、こうならざるをえなかった。
(なんでこんなに、押されまくんなきゃいけないのよ! このあたしが!)
しょせんは世慣れぬ、堅物の坊ちゃんだと思っていたのに。
だがまあいい。
バーデン伯爵の悪い噂はアリアも小耳に挟んでいた。
ひとまず今夜は大人しくして、またほとぼりが覚めた頃を狙って、ラウルに見つからぬよう、カモを探しに行けばいいのだ。
なんとか自分を納得させていると、そんなアリアとは裏腹に、ラウルはひどく満足そうな笑みを浮かべた。
「よろしい」
珍しく、しっかりと口の端を持ち上げた笑みがあまりにも美しくて、つい見とれてしまう。
その隙を突くように、彼は突然、アリアの頭になにかを掛けてきた。
「ご褒美に、これをあげよう」
しゃらり、と金鎖の擦れる軽やかな音。
胸元に感じるかすかな重みから、宝飾品を押し付けられたと思ったアリアは、咄嗟に顔を顰めた。
出会ってから数ヶ月、彼がひょいと渡してくる贈り物は、いつも高額で底知れなさがあるのだ。
「いや、いらないから! 女を買う客じゃあるまいし、毎度毎度高額な贈り物をしてくるのは勘弁してって、いつも――」
だが、ぐいと乱暴にネックレストップを引っ張り、その手触りに思わず言葉を途切れさせる。
繊細な金の鎖に繋がれていたのは、新しい金貨だった。
「……なにこれ」
「新貨幣だ。古い金貨を預けたのに、君がいっこうに新しい金貨を受け取らないから、ずっと気になっていた。君はしょっちゅう、金貨を握り締めていたのに」
「いつも握り締めるって、人を守銭奴みたいに……。いや、そりゃお金は好きだけど」
アリアが常に金貨を握り締めていたのは、べつに金運を呼び寄せたかったからではない。
ただ、ベルタとのよすがを感じていたかっただけで、真新しい金貨を渡されたところで、まったく意味はないのだ。
「ていうか、この鎖、すっごい繊細なんですけど。まさか純金じゃないでしょうね。元のネックレスの何倍すんのよ。こんなの渡されても、扱いに――」
困る、と続けようとして、アリアは不意に押し黙った。
鎖をしゃらしゃら揺らした拍子に、金貨の裏側が見えたからだ。
そこには、あの特徴的なベルタの筆跡で、こう彫られていた。
――心に込めた愛は、けっして誰にも奪われない
「これ……」
「新貨幣を鋳造している工房に頼んで、特別に彫ってもらった。筆跡も、なるべく再現してもらったつもりだが……中途半端に似せるくらいなら、書体は変えたほうがよかったかもしれないと、今でも少し悩んでいる」
ラウルは、悩みなど感じさせない静かな表情で告げてから、呆然としているアリアの代わりに、そっとネックレスの位置を直してくれた。
「彼女の死を曖昧にするための
「…………」
「べつに、思い出ごと忘れようとしなくてもいい。憎しみをすべて、手放さなくても」
彼の瞳は、氷と同じ色をしているくせに、どこまでも温かかった。
「万が一この金貨に、再び『憤怒』が取り憑いたとしても、私が必ず、君を宥めにいくから」
ぽろ、と涙が零れ、アリアは、ああもうと思った。
(ああもう。ああもう)
絶対誰にも捕まらないと、天なる母に何度も啖呵を切ったというのに、こんなの――彼に、囚われてしまう。
「……今のは、目にごみが入ったの」
「ああ」
「本当よ」
「ああ」
「『ああ』は一回」
「一回しか言っていない」
アリアが乱暴に目を擦りながらそっぽを向けば、ラウルは礼儀正しく視線を逸らし、代わりに空を見上げる。
「……今日は風が強いからな」
正直者の彼がひねり出した嘘が、あまりにも下手くそなので、アリアは泣き顔のまま噴き出してしまった。
(捕まらないわ。あたしは絶対、この男に捕まらない。捕まらないんだったら)
いつもそうしてきたように、金貨を握り締めて唱えてみるけれど、三回自分に言い聞かせても、ちっとも確信が持てないあたり、果たして効果はあるのかどうか。
アリアは金貨を握り締めるのをやめ、真新しいそれを、そっと太陽にかざしてみた。
心に込めた愛は、けっして誰にも奪われない。
(でも、心ごと奪われちゃったら、どうすりゃいいわけ?)
天なるベルタに尋ねてみるが、答えなどあるはずもない。
目を細めるアリアを、ともに天を見上げるラウルを、呑気にフライをついばむバルトのことを――金貨の弾く光が、いつまでも照らし出していた。
***************
以上で完結となります!
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
皆様から頂く温かなコメントの数々が、日々の更新の励みでした。
強気ツンデレ泥棒令嬢と、寡黙溺愛堅物騎士に幸あれ!
と思ってくださる方は、ご感想やレビュー等、ぜひよろしくお願いいたします。
そして!ありがたいことにこちらの作品、
【書籍化】&【コミカライズ】が決定しました!
詳細は近況ノートをご覧くださいませ。
しばしの後、アリアは書籍の形で皆様の元に戻ってまいります!
皆様のご声援のおかげです、本当にありがとうございます。
それまでの間寂しいよ、と思ってくださる方は、
よければ下記作品で無聊をお慰めくださいませ。
◆つよつよ主人公が大好きだ!→後宮も二度目なら~白豚妃再来伝~
◆つよつよ主人公が大好きだ!→シャバの「普通」は難しい
◆外面と内面のギャップ萌え!→貴腐人ローザは陰から愛を見守りたい
改めて、いつも温かな応援をありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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