22.自首を巡る攻防(5)
「アリアちゃん?」
突然顔色を変えて身を起こしたアリアに、ヨーナスがきょとんと首を傾げる。
「どうしたの、お腹でも空いた――」
「ヒルトマン家にクレーベ家、マイスナー家って、どこも、王様の忠臣なの?」
発言を遮って尋ねると、ヨーナスは軽く目を瞬かせ、それから頷いた。
「そうだよ。勤勉なるヒルトマン、忍耐深きクレーベ、謙虚なるマイスナー。皆、有名ではないけど、人格者でねえ。彼らが王を支えているからこそ、謀反からたった三年で、これだけ治世が安定した。臣下に恵まれるのも、陛下の人徳があればこそなのだろうけど」
近頃のヨーナスは口を開けばすぐ「盗難行為をやめよう」と言い出すので、宝石の所持者についてじっくりと語るようなことはしてこなかった。
だが、社交界に飛び込んでたった数年のアリアとは異なり、下級とはいえ、彼は生粋の貴族なのだ。
その知識は、アリアとは比べものにならぬほど深かった。
「だから、そんな彼らから家宝をかすめ取るというのが、僕は本当に心苦しくて……。まあでも、大罪に憑かれたままでは、もっと大変なことになっていたろうしね。だからけっして、アリアちゃんを責めているわけではなくて」
ごにょごにょと続けるヨーナスの、前半部分の発言にアリアはそうだと頷いた。
そうだ、大変なことになっていた。
もしも、
(もしかして……誰かが意図的に、三人を狙った?)
いいや、王妃を含めれば四人だ。
皆、王を献身的に支える者たち。
きっと偶然ではない。
最初に閑職のヨーナスが狙われたから、てっきり大罪は手当たり次第に取り憑くのだろうと思い込んでいたが、それだけが例外だったのだ。
アリアは床を這っていたバルトを両手で握り締め、がくがくと前後に揺さぶった。
「ねえバルト。あんた、大罪は、上等だったり、大切にされている財宝に宿るって言ったわよね。その性質は、誰もが知ってるものなの?」
『ゆ、揺さぶるなよ! さ、さあ、俺にとっては常識だけど……。「力ある財宝」に宿りやすいのは精霊だって同じなんだ。ちょっとでも精霊や、宝石に詳しい人間なら、誰でも知ってるんじゃねえ?』
目を回しはじめた相棒をぱっと手放すと、今度は養父に向き直った。
「ヨーナス様。名鑑に登録される家宝っていうのは、先祖代々受け継がれるものじゃないの?」
「いいや。その家の当主が大事にしているものは皆『家宝』だからね。経歴は様々だよ。もちろん、先祖代々の品を登録することもあるし、愛人から本妻になった女性が、正当性を主張するために、安物の結婚指輪を登録することだってある」
質問の意図を掴めなかったらしいヨーナスは、首を傾げながら答えた。
元は金細工師の一族だけあって、宝石の来歴や登録事情については詳しい。
「あとは、下賜品とか。たとえば、それこそ、ヒルトマン家のエメラルドや、マイスナー家のサファイアは、暴動鎮圧の功績を称えて、数年前に陛下から贈られた品だし、クレーベ家のガーネットは、たしか孫の誕生祝いに陛下から贈られた――」
だがそこで、妙な符合に彼も気付いたらしい。言葉を途切れさせ、目を見開いた。
「……大罪が取り憑いた宝石のうち、三つが陛下からの下賜品?」
『おいおい、なんかきな臭えな』
バルトまでもが驚いて顔を上げる。
アリアは「四つよ」と素早く訂正した。
「王妃様の嫁入りの際に、ルビーを贈ったのも王様でしょ。なら、七つの内、少なくとも四つは王家の贈った宝石だったってことになる」
「ど、どういうことなんだい。まさか陛下が、忠臣たちに大罪を取り憑かせようと?」
『意味わかんねえな。忠臣を悪徒にしちまったら、最終的に自分が苦しむだけじゃねえか』
怪訝そうに尻尾を揺らしたバルトに、アリアは頷いた。
その通りだ。
忠実な家臣に大罪を憑かせては、むしろ王は困難に陥る。
せっかく暴動で離れた人心を取り戻しつつあるのに、忠臣、賢妃と名高い周囲を、悪に蝕ませてしまっては。
だからきっと、真相は逆なのだ。
王を陥れたい人物が、王に忠誠を誓う人物に、大罪の憑きやすい宝石を送りつけた。
「……下賜品の内容まで、いちいち王様が決めるわけじゃないんでしょ。素案を上げたり、手配を任されたり、そういう、実務担当の人間がいるはずよ」
慎重に切り出したアリアの意図を、ヨーナスは即座に理解した。
額に手を当て、ぶつぶつと呟く。
「そうだ……そうだね。たしかに、詳細は全部会議で決まる。下賜品を決める会議の出席者は誰だろう。褒賞や人事にも関わる話だから、上位貴族だけのはずだ……」
だがすぐに、途方に暮れたように眉を下げた。
「ごめん、アリアちゃん。末端貴族の僕じゃ、会議の出席者も、進み方も把握できないよ」
「……そうね。わかってる」
アリアは静かに頷く。
自分でも驚くほどすんなりと、取るべき方針が固まっていた。
「あたし……今すぐ、ラウル・フォン・ヴェッセルスに、会ってくる」
ラウルの手を取るのだ。
驚いた様子で振り返ったヨーナスたちに、アリアはばつが悪そうに唇を尖らせた。
「べつに、求婚を受けるわけじゃない。情報を聞き出すだけよ。こっちの事情を把握していて、しかも情報をくれそうな高位貴族の知り合いなんて、あいつしかいないんだもん。それで、その情報を携えて、お望み通り登城してやるわ。
そう。
彼は「報告についての認識を変える」と言っていた。
おそらくラウルも、この一連の事件にきな臭さを感じていたのだろう。
王冠破損は、エルスター家の不手際でなく、なにか深遠な事情があるのではないかと疑っていた。
だとしたら、報告に上がる行為は「自首」なんかではない。
ヨーナスは罪人ではなく、むしろ弾劾人だ。
ならばアリアは、扉を蹴破る勢いで王城に飛び込んでやる。
そのためには、大罪に憑かれることとなった人々が、どうした経緯で宝石を持つに至ったかを、調べる必要があるのだ。
ただ、それだけ。
それだけだが――ラウルが差し出してきた手を、ためらいなく取れる今の状況に、どこかほっとしている自分がいた。
「じゃあ、行ってくる。今ならまだ追いつけるかもしれないし」
「待って、アリアちゃん」
善は急げ、と
「それなら、これも持っていってくれないか」
彼が上着のポケットから引っ張り出したのは、くしゃくしゃに折れてしまった、数枚の紙だった。
「待って、今、鼻水に濡れたハンカチと同じところから出した、それ?」
「ご、ごめん。でもインクは滲んでないから」
あたふたとしながら彼が広げたそれには、見知らぬ言語が並んでいた。
「なにこれ?」
「ガザラン王国の、例の冠に関する伝承を調べたんだ。もしかして昔にも、冠が溶けたり、大罪が逃げたり、ということがあったんじゃないか……そうしたら、原因や対策がわかるかもしれないと思って」
ヨーナスはここ最近、王立図書館に籠もっては、史料を書き写していたのだと聞き、アリアは目を見開いた。
自分が宝石を回収している間に、彼は彼で、王冠破損の原因究明や対策のために奔走していたのだ。
「語学は不得手だから、ずいぶん時間が掛かっちゃって……。僕と同い年くらいの親切な司書がいて、彼が手伝ってくれたから、なんとかここまでは訳せたんだけど」
ふっくらとした指が示す箇所には、原文と思しきガザラン語と、ヨーナス自身が添えた訳文とが書かれていた。
宝石についての記述は難解で、訳文も途切れ途切れだ。
その後に、七つの大罪がいかに邪悪なものであるか、またそれを封じたかつての英雄がどれだけ偉大であるかの記述が続き、文はこう締めくくられていた。
――金の
一滴の……さえ、時をかけ、大いなる災厄を導く。
「結局、詳細を記した文献は見つからなかったし、意味も、完全にはわからなかった。手掛かりにはならないかもしれない。でもなんだか、この『金の枷』という部分が気になって」
これは僕の推論でしかないけど、と前置きしつつ、ヨーナスは続けた。
「金の枷って、台座の部分なんじゃないかな。大罪を、台座が枷となって封じていた。ここの語がわからなかったんだけど、一滴の……とにかくほんのわずかな傷とか、油断でさえ、枷全体を弱らせて、封印が解かれてしまうっていうことなのかな、と」
「すごい」
『すげえ』
いつもぽやんとしている養父の、初めて見せた推理力に、アリアたちは思わず心からの賛辞を送った。
「ヨーナス様、ガザラン語が読めるの?」
「い、いや、司書が手伝ってくれたからで……。肝心の、台座がどう傷つくといけないかもわかっていないし、そもそも、僕の管理が悪くて傷がついてしまったのかもしれないし」
「なに言ってんの。王冠は蔵に入れたきり、ずっと放置してたでしょ。自然に傷がつくはずないじゃない」
思わず、興奮に声が弾んだ。
王冠は、エルスター家以外の誰かに傷付けられたのだ。
たとえば、運搬時。あるいは、審査の際。
金の台座を少し傷付けるだけでいいなら、誰でも「封印の解除」は可能だということだ。
そしてその人物がわかれば、いよいよ破損はアリアたちの責任ではなくなる。
「わかった。貸して。あの上出来な頭をお持ちの聖騎士に、それも解読してもらう。使えるものは全部使わなきゃ」
「う、うん。よろしくね。いや待って、心配だから僕も一緒に行くよ」
「一人でできることを二人でやっても仕方ないでしょ。聖騎士殿の屋敷にはあたしが行くから、ヨーナス様は王立図書館に行って、関連文献を全部借りてきて。王様に『密告』するとき、あったほうがいい」
「そうか。そうだね」
先ほどまでとは打って変わって、意欲が満ちあふれている。
アリアはてきぱきと指示を飛ばした。
バルトもいそいそと肩に乗り、身支度を済ませたアリアとヨーナスは、あたふたと玄関で別れる。
「行ってらっしゃい、ヨーナス様」
「うん。アリアちゃんも気を付けてね。あと、うっかり場の空気に流されて、求婚に頷いたりしないでね。心から愛し合っているなら止めないけど、でもやっぱり、ちょっと展開が早いっていうか、心の準備がっていうか……」
「どんな流れに乗ったらそうなんのよ。『質草としての婚姻なんていらない、結婚するまでもなくあんたがあたしに尽くすのは当然のこと』、って突き付けてやるわ」
「それでこそアリアちゃんだ」
ヨーナスはほっとしたように笑って、一つ先の馬車で去っていった。
(……もっと早く、周りに頼っておきゃよかったのかな)
もう一台の馬車に乗り込みながら、アリアはふと、そんなことを思う。
ヨーナスの言うとおり、早々に報告に上がっていれば。
ラウルが追いかけてきた時点で、頼ってしまえば。
せめて、素直に事情を告白していれば、もっと早い段階で、ここまでこぎ着けていたかもしれなかった。
(なんでだろう。どうしても、抑えられなかった)
自分はもう少し、要領のいい人間だと思っていたのだが、今回については、感情が勝ちすぎた。
大切な相手のことだと見境がなくなってしまうのは、きっと自分の悪癖なのだろう。
アリアは己を戒めるように、胸に下げた金貨を握り締めた。
「行こう、バルト。今度はあたしが、あの男を捕まえにいかなきゃ」
『おう』
瞳をきらりと光らせ、二人はヴェッセルス家への道のりを進んだ。
馬車を急がせれば、途中で追いつけるかもしれないと思っていたが、意外にも彼の馬車は見当たらない。
優雅な外見に反して、なにかと移動の速い男である。
(んもう、追いかけても捕まえられないって、すごく苛々する)
初めて逆の立場に置かれ、舌打ちを漏らしそうになりつつ、アリアはとうとうヴェッセルス家に到着してしまった。
仕方がないので、しっかりと猫をかぶりなおし、「可憐で無垢なアリア・フォン・エルスター男爵令嬢」として屋敷の扉を叩く。
夕暮れの訪問など非常識だが、幸いにも、今のアリアはラウルを尋ねるのに、絶好の口実があった。
「突然の訪問をお許しくださいませ。聖騎士様が、手に傷を負ったと伺い、居ても立ってもいられず……。精霊の加護の宿った薔薇の露をお届けしたくて」
籠には、小道具として仕込んでいた香水瓶がそのままになっていたのだ。
驚く家令や使用人たちに、楚々とした態度で応答しつづけ、アリアはとうとう、ヴェッセルス家の応接間にたどり着くことに成功した。
「恥じらいつつも、どうしても愛しい方のお役に立ちたい」と決意を滲ませた態を演じると、使用人たちからは「頑張って」と言わんばかりの、温かな視線が返ってくる。
どうやら、屋敷中の皆が、堅物令息の初めての「恋路」に興味津々であるらしい。
つくづく、可憐で無害な美少女を演じてきてよかった。
飲み物を出され、待つことしばし。
せっかくの香り高い紅茶が、手つかずのまま冷めてくるのに比例して、アリアの機嫌も着実に急降下を始めた。
ラウルが全然やって来ないからだ。
「なんですぐ来ないのよ。レディを待たせやがって。百年先まで根に持つぞ」
『おい、声にドスが利いてるぞ、気を付けろ。誰かこっちに来てる』
バルトは
『ん……? あいつの精霊力じゃねえな。精霊力っていうよりむしろ――』
「やだ、すれ違っちゃった?」
アリアが、肩に乗ったバルトを振り向いた瞬間、応接室のドアが開いた。
「やあ、淑女をお待たせしてしまって申し訳ないね」
ただし、入ってきたのはラウルではない。それより年嵩の、気さくな雰囲気の男だ。
「ごめんね、アリア嬢。ラウルのやつは夕方頃から出かけて、まだ戻っていないんだ。じきに帰ると思うから、それまで、僕と話さないかい? あの子の意中の相手というのに、つい興味が抑えられなくてさ」
張りのある声に、品良く調えられた衣装。
彼が器用にウインクを決めた瞬間、肩のバルトが、小さく息を呑んだ。
『気を付けろ、アリア』
機敏な動きでソファに腰を下ろし、膝の上で優雅に両手を組む男。
「ああ、申し遅れてしまった。僕はドミニク。ラウルの叔父だ。三年くらい前かな、エルスター家の蔵の定期視察に加わった際、会ったことがあると思うんだけど、覚えているかなあ」
指先に触れたダイヤを無意識に弄ぶ彼を見て、バルトは唸るようにして告げた。
『こいつの指輪に……「
***************
次話以降、「ダイヤを巡る攻防」が始まります!
日々のコメントや評価を本当にありがとうございます。
感謝の気持ちを込めて鬼更新していたのですが、いよいよ時間と体力が追いつかなくなってきたため、20時更新のみとさせてください…!
それでできた時間と体力を使って、完結時に御礼SSでも上げられたらなと企んでおります。
(書き上がることを祈ってやってくださいませ…!)
話も徐々にクライマックス。
アリアとラウルの攻防を、引き続き温かく見守っていただけますと幸いです。
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