4.サファイアを巡る攻防(1)

 マイスナー伯爵家の警備は厳重だった。


(広間の中央に置かれた、たったひとつのブローチのために、王城から借り受けた騎士が三、四……五人。街で雇った傭兵が五人。伯爵家付きの衛兵が十人)


 アリアは燭台の火で赤々と染め上げられた空間で、じっくりと男たちを見渡した。


(いや、九人か)


 衛兵たち十人のうちの一人に、アリアは変装していた。


 メイドに扮して屋敷に潜り込んだ際に、衛兵の一人を小部屋に連れ込んで昏倒させたのだ。

 今アリアがまとっているのは、その彼から奪った胸当てとかぶとだった。


 マイスナー家には、使用人に過ぎぬ衛兵にまで、騎士に近い全装備をさせ、宝石泥棒の『ラーベ』を必ず捕らえてやると意気込んでいるようだ。おかげで、紛れ込みやすい。


(「ラーベ」ねえ。まあまあじゃない?)


 兜で顔が隠れているのをいいことに、アリアはひっそり笑みを浮かべてみせる。


 今回に限っては貴族どものネーミングセンスがまともでよかった。

 これで「漆黒の堕精霊」だとか、「暴虐の紅蓮」だとかの、貴族が好む大仰な二つ名がつけられた日には、羞恥心でとても盗みなんか続けられない。


(でも、思った以上に早く、泥棒の存在が知れ渡ってしまったのは厄介ね)


 重い槍を反対の手に持ち替えながら、そんなことも考える。


 メイドや洗濯女に扮して屋敷に出入りするには、人出が多くなる舞踏会の日が最も都合がよかった。

 盗みの前後に貴族令嬢として舞踏会に出れば、盗難とは無関係だと印象づけることもできるからだ。


 だが、「舞踏会の日に主催家から宝石を盗む」というパターンを二件連続してしまったことで、舞踏会の主催者たちは警戒を強めるようになってしまった。

 このマイスナー家のほかにも、今日舞踏会を開くいくつかの家から、王城に警護要請があったと聞く。

 このぶんだと、騎士団や、場合によっては聖騎士までもが、警護に駆り出されているだろう。


(分散されてくれるなら結構だけど)


 念のため昨夜、アリアはまったく無関係の貴族の家の前に、烏の羽を置いてきた。

 いかにも、「近々ここに忍び込みます」とばかりに。

 攪乱かくらんだ。


 宝石泥棒に「烏」という名前が付いたおかげで、今や社交界中がその話題で持ちきりである。

 羽を置かれたヴァイゲル子爵家では大騒ぎだった。

 これで、少しでも騎士団たちが警護を割けばよいのだが。


(当然、割かれるはずよ。彼らには、あたしが盗む基準なんてわからないんだから)


 心を落ち着ける効果があるとされ、「怠惰」が好むエメラルド。

 「炎のように燃える目」の意味を持ち、「嫉妬」が好むパイロープガーネット。


 王冠のことを知っていれば、そこに繋がりも感じられるだろうが、「微妙な国宝」の詳細を知っているのは、アリアたちしかいない。


(今日は、「傲慢」のサファイア)


 目隠しをほんの少し上げて、アリアは広間の中央を見つめた。


 ご大層にも、重厚な大理石の台座の上、ガラスの箱で覆って置かれているのは、マイスナー家の誇るサファイアのブローチだ。

 数年前に王から与えられると、それを喜んだマイスナー伯爵によって即座に家宝名鑑に登録され、以降、うやうやしく屋敷の最奥に飾られてきた。


 サファイアは、その空を思わせる色味から、聖職者が好んで身につけるものだった。

 いかにも、枢機卿すうききょうを幾人も輩出してきたマイスナー家にふさわしい宝石である。

 きっと、このブローチを所持すると、天と一体化して、下界を悠々と見下ろす心地になれるのだろう。


(精霊の忌み嫌うもの――高ぶる目、ってね)


 アリア自身は不信心者だが、厳格な修道女ベルタに躾られたせいで、聖書はすべて暗記している。

 おかげで、人々を見下ろす空色の宝石サファイアには、「傲慢」の大罪が宿るのではないかとすんなり連想できた。


 屋敷にある家宝名鑑を見れば、サファイアを家宝としている家は三つしかない。

 同時に、男爵令嬢としてかき集めた噂話から、「最近マイスナー伯爵は人が変わったように使用人をこき使っている」との情報を得て、マイスナー家のサファイアに「傲慢」が宿ったと当たりを付けたのである。


「いいか。『烏』の羽が置かれたのがヴァイゲル家だからといって、けっして油断はするな。肉の盾となってでも止めろ。しょせん、おまえら衛兵にはその価値しかないのだから」

『ひえええ。「傲慢」のやつ、ずいぶんこの男の魂を蝕んじまったんだなぁ。見ろよ、あのサファイア、力を得てギラギラしてる』


 ガラスケースのすぐ傍に立ち、唾を飛ばして叫ぶマイスナー伯爵を見るに、アリアの推測は正解だったらしい。

 肩に乗ったバルトが顎を引いている。


 伯爵も以前は温厚な人物だったらしく――なんでも「謙虚なるマイスナー」というのがあだ名であったらしい――、彼が居丈高な発言をするたびに、衛兵たちがその変貌ぶりに戸惑う気配が感じられた。


「『烏』め……調子に乗りおって。だが今日がやつの運の尽きだ。なにしろ、精鋭中の精鋭、『蒼月の聖騎士』まで要請したのだからな……どんな大男でも、必ず捕らえてやる」


 マイスナー伯爵は、ぶつぶつと呟きながら落ち着きなくブローチ周辺を歩き回っている。


(おっと。キラキラ二つ名の聖騎士が来る前に、さっさと片付けなきゃ)


 おかげでアリアは、気を引き締めることができた。

 耳を澄ませば、反対の棟にある大広間では、音楽が鳴り始めている。

 夫人主催の舞踏会が、無事に始まったようだ。泥棒に狙われていても舞踏会を敢行する――ある種の、見栄と意地のようなものだろう。


「バルト、お願い」


 さあ、作戦開始だ。

 ごく小声で囁けば、白トカゲは『承知!』とばかり尻尾を振って、堂々と広間の中央に躍り出た。


 精霊である彼を「見る」ことのできる者は、この場にいない。

 だからこそできる芸当だ。


 バルトはするりと台座を駆け上り、ガラスケースに貼り付くと、大きく息を吸った。


(三、二、一……)


 ――ボォ……ッ!


 バルトがブレスを吐き出すや、たちまちガラスケース周辺に炎の線が走る。

 日中にメイドに扮したアリアが、ガラスケースを磨くふりをして、ケースの縁と木枠に、たっぷりと油を塗り込んでおいたからだった。


「な……っ!?」

「伯爵様、危ない!」


 あらかじめ伯爵に近い位置に立っていたアリアは、少年のような声を意識しながら、その場を飛び出す。


 炎からかばう振りをして伯爵を突き飛ばし、かつ、ばっと背後――ガラスケースを振り向いて、息を呑んでみせた。


「サファイアが……燃えている!?」

「なに!?」


 宝石が燃えるはずもないが、突然ガラスケースが「燃えた」ので、思わず信じてしまったのだろう。


 ぎょっとした伯爵に差し出すため、という態で、アリアは燃えるガラスケースを床に落としてたたき割る。

 散らばった破片の中からブローチを拾い上げる――と見せかけてハンカチごと鎧の左腕に押し込み、代わりに、鎧の右腕に仕込んでいた偽物のブローチを掲げ、叫んだ。


「大変です! サファイアが、真っ黒に……!」

「見せろ!」


 伯爵がもぎ取るような勢いでブローチを掴み、中央に真っ黒の石が嵌まっているのを見て取ると、へなりとその場に崩れ落ちた。


「……偽物だ」


 さすがに、下町で売られている安物のブローチとすり替えたのでは、すぐに偽物だと気付いてしまったらしい。


「すり替えられた……」


 伯爵はぐしゃりと髪に両手を差し入れ、震える声で唸った。

「『ラーベ』だ。『烏』が出た……」


 さすがに魂の深くまで蝕まれたら、即座に元の人格を取り戻すのは難しいのだろう。

 彼はぎりりと歯を軋ませ、当たり散らすようにして叫んだ。


「くそっ、『蒼月の聖騎士』はまだ来ないのか! 追え! 皆の者、『烏』を追うのだ! サファイアは今すり替わったのだ。きっとやつはまだこの屋敷にいるはずだ!」


 炎を操り、姿も見えぬ泥棒を、追えと言う。

 衛兵や騎士、傭兵たちも、困惑して顔を見合わせたが、それでも頷くと、一斉に広間を飛び出した。


「はっ!」


 アリアも、慌てたように返事をして――その実ほくそえんで――、急いで彼らに続く。


「僕は西棟のほうを見てきます! 舞踏会の人混みに乗じようとしているかもしれない!」


 誰にともなく宣言し、ガシャガシャと鎧を鳴らしながら西棟へと走った。

 このまま、追走するふりをして休憩室に忍び込み、今度は令嬢に変身して舞踏会に出れば、今回の任務も完了だ。


『やるな、アリア! 相変わらず嫌らしいやり口だ!』

「やあね、比類なき天才の所業だなんて、照れる照れる」


 ひょいと肩に乗ってきたバルトと、上機嫌に軽口を交わす。

 だがそのとき、不意に、バルトがびくりと体を震わせた。


『なんか……やばいのが来る』

「へ?」


 アリアは怪訝さに眉を寄せながら角を曲がったが、次の瞬間、その場に急停止することになった。


 ――す……っ。


 角の向こうから、一人の青年がやって来たからである。


 彼は、月光の射し込む廊下を、静かに歩いていた。

 胸当てと手甲は付けているが、兜は被っていない。

 おかげで、淡い光に照らし出される銀の髪や、塑像のような白い頬、そこに落ちる長い睫毛の影までをも、まじまじと見ることができた。


(なんてまあ、お綺麗な顔)


 恐ろしく整った顔を見て、アリアでも思わず目を見開く。

 けれど、逃走中の身の上としては、遭遇するのが絶世の美男であろうと、三年履き古した靴下のように悪臭漂う中年男であろうと同じことだ。

 つまり、とても厄介だった。


 同時に、その図抜けた美貌と、整った身なりから、彼の正体を察する。


 蒼月の聖騎士――ラウル・フォン・ヴェッセルス。


(ヴァイゲル家の警護に行ったものと思ってたけど……こっちにも来ちゃったか)


 内心で舌打ちを漏らしながら、アリアはすかさずその場に膝を突いた。

 高貴なる貴族に接したとき、使用人は声を掛けられるまで、あるいは相手が立ち去るまで、その場に跪くのが礼儀だ。


「君」


 だが、そのまま広間に向かうのかと思いきや、ラウルは俯いたアリアに話しかけてきた。


「騒ぎが聞こえた。なにがあった」


 まるで湖に溶ける月影のように、ひっそりと美しい、低い声だった。


「そのぉ、伯爵様のサファイアが、盗まれたんでさ……盗まれたのです」


 即座に頭をフル稼働し、この「衛兵」の設定を作り上げる。

 そのまま話すと、どうしても「少年にしては高い声」と覚えられてしまうから、訛りをつけて、印象をそちらに引き寄せたほうがいい。


 たしかマイスナー伯爵は北方と交易があり、使用人のいくらかは、そこから召し上げていたはずだ。


 今のアリアは、北方の辺境からやって来て、訛りも矯正しきれていない田舎者の少年。

 マイスナー家に存在して違和感のない「衛兵」を、アリアは自然に演じきった。


「盗まれた?」

「へえ……はい。伯爵様がずっと見張ってたんですが、突然炎がついて、気付けばブローチが、真っ黒の偽物とすり替わっていたんです」


 氷のように冴え冴えとした瞳を、あえてまっすぐ見つめ直し、アリアは頷いた。

 なぜだか、ラウルが驚いたように軽く目を見開く。


 サファイアのごとき碧い瞳を前に、闘志と高揚感が湧いてきた。

 色男だろうがなんだろうが関係ない。

 これは戦いだ。絶対に勝ってみせる。


「どうやら『烏』は、炎を操る力を持っているようなんです」


 泥棒「烏」に超人のような描写を与えてみせたのは、そうすれば、この聖騎士が反応すると思ったからだ。


 精霊力は、よほど高位の貴族か、信仰心の厚い聖職者にしか発現しない。

 「烏」は精霊力の持ち主だ、とでも思われれば、そのイメージは一層「アリア・フォン・エルスター」から遠ざかる。

 せいぜい、聖騎士同士で疑い合えばいい。


「『烏』はまだ屋敷内にいるんじゃないかと、皆で捜索しているところです。おいら……僕は西棟を見てきます。聖騎士様も、どうか、お力添えを」


 それでは、御前失礼いたします。


 もう一度頭を下げて、低姿勢を維持したまま、ラウルの前をすり抜ける。

 だが、そのまま走り去ろうとしたそのとき、背後から声が掛かった。


「待ちなさい」






***************

次話からようやく二人の攻防です!

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