猫かぶり令嬢アリアの攻防
中村 颯希
0.プロローグ
新連載を始めました!
強気ひねくれ下町育ち、金貨、攻防、七つの大罪…今回も性癖の詰め合わせです!
どうか楽しんでいただけますように。
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アリア・フォン・エルスター男爵令嬢は、まるで谷間に咲く鈴蘭の花。
その清廉な美貌と
事実、クレーベ子爵家で開かれた舞踏会においても、アリアは現われるなり、賞賛の、品定めの、あるいは嫉妬の、
控えめな、けれど美しい挙措で広間にやってきたアリアに、最初に近付いたのは、
「やあ、アリア嬢。今日はお
「まあ……、もったいないお言葉ですわ」
女と見ればすぐ「風にそよぐ花」だなんだと言いやがって、おまえの頭部に優しくそよいでいる毛髪をむしり取って花瓶に活けてやろうか。
内心ではそんなことを思いながらも、アリアは恥じらった風に答え、肩に回されかけた手をさりげなく
小娘を休憩室に連れ込むまでが舞踏会だと思っている男は多い。巻き込まれるのはごめんだ。
鼻息荒く天に向かって毛髪を立てている青年や、視線と毛髪にじっとりとしたなにかを
「あらまあ、今日も人気者ね。でもご覧になって、あのドレスの地味なこと。貧乏男爵家の、しかも養女では、あれが精一杯のおめかしなのでしょうけど」
ならてめえのドレスはなんだよ、高熱のときに見る悪夢の柄?
そんな感想が浮かぶが、もちろんおくびにも出さない。
これでも、脳内での口調も淑やかにするよう、極力心がけているのだから。
「…………っ」
意識的に唇をきゅっと引き締め、眉間に力を入れて、瞳をわずかに潤ませる。
軽く視線を落とせば、「心ない悪口に傷付いた、気弱な美少女」の完成だ。
仕上がりは上々と見えて、特に男性陣からいたわしげな気配が醸成されるのを捉えた。
べつに彼らから同情されたところで嬉しくもないが、「繊細」「内気」といったイメージは重要だ。
アリア・フォン・エルスターの名の前に、無害そうな形容詞が付けば付くほど、安全を確保できるのだから。
傷心の表情を浮かべたまま、アリアは会場を移動しつづけた。
(ああ、ローストビーフのトレーまであと少し)
諸々の
壁沿いに並べられた銀のトレーを視界に入れただけで、アリアの口内に甘美な興奮が走った。
とそのとき、ちょろ、とトレーの近くを走り回る白トカゲを発見する。
アリアの
誰にも見えないのをいいことに、ちゃっかり食事にありついていたらしい「彼」を見て、アリアの飢餓感はますます強まった。
(抜け駆けなんてして。覚えてなさいよ)
ひそかに拳を握りつつ、あくまでも優雅にトレーへと接近する。
だが、子爵家の召使いに配膳を頼む直前、今度はまた違う人物に声を掛けられた。
「あら、どこの貧相な田舎娘が我が家に紛れ込んだかと思ったら、あなたでしたの。アリア・フォン・エルスター」
扇で口元を隠し、不遜にこちらを見下ろすその人は、この舞踏会の主催者の娘、フリーダ・フォン・クレーベだ。
彼女は、花のような美貌のアリアを検分すると、ふんと鼻を鳴らした。
「あなたも、我が家の舞踏会に特別に参加なさる、
「い、いいえ、そんな。わたくしはただ、社交期ですので、舞踏会に参じただけで……」
こいつの黒歴史を記した日記が社交界中に流出しますように。
「どうだか。わたくしたち年頃の娘で、『蒼月の聖騎士』ラウル様に憧れない者などいないもの。しおらしい態度を取りながらも、本当は彼との出会いを狙っているのでしょう!」
「いいえ、そんなことは……」
眉尻を下げて困惑を、胸の前で片手を握り締めて恐怖を強調。
ただし、ラウルとやらに会うために来たわけでないのは本当だ。
アリアは、巷で噂の美男子なんかに、かけらも興味はない。
浮かれぽんちで縁談を求めるほかの令嬢たちとは違い、彼女が今日舞踏会に参加するのには、もっと明確で、切実な目的があるのだから。
だがフリーダは、遠慮がちに否定を寄越したアリアに、一層声を荒らげた。
「嘘おっしゃい。彼は清貧を好むと聞きつけたからこそ、そんな質素な装いにしたのでしょう。月を思わせる、真っ白な肌。彼の瞳と同じ水色のドレス。歓心を買おうとする魂胆が見え見えだわ」
「そんな……」
震え声で呟きながら、アリアは内心で「おいおい、まじかい」と嘆息する。
ドレスの色はともかく、肌色など変えられないのだから、これは完全な言いがかりだ。
「お目汚しでしたら申し訳ございません。肌もドレスも、わたくしにはこれしか持ち合わせていないのです。ラウル様は、わたくしなどからは縁遠い、輝かしいお方。まみえようとすら思ってはおりません」
とはいえ、身分差を考えるに、ここで強く言い返すのは悪手だ。
神妙に目を伏せ、誠意と健気さをふんだんに粉飾した謝罪を述べると、やり取りを盗み聞きしていた周囲から痛ましげな溜息が漏れる。
それを聞いたフリーダは苛立った様子で、「あら」と、軽食の横に並べられていたワイングラスを手に取った。
「そのドレスしか持ち合わせがないというのなら、わたくしが色を変えて差し上げようかしら」
――ばしゃっ。
そして、中身をアリアのドレスに浴びせかけたのである。
「きゃ……っ」
わぁお。
なかなか威勢のよいフリーダの行動に、アリアも少々驚いた。
咄嗟に百種くらいの罵詈雑言を思い浮かべてしまい、なんとか飲み下す。
「あ、あんまりですわ……」
「おやまあ、着替えが必要ね。本当にラウル様狙いでないというのなら、今すぐこの場を去りなさい。休憩室はあちら。それと、出口はあちらよ」
さっさと立ち去れ、との態度に、周囲もフリーダの意図を察する。
彼女が、伯爵令息にして美貌の聖騎士、ラウル・フォン・ヴェッセルスに懸想していることは有名だ。
つまり、主催者の娘として彼に接触できるこの機会に、自分以上に美しい娘を割り込ませたくないのだろう。
観衆は呆れの囁きを交わし合った。
「フリーダ嬢は理性を失ってしまっているようだな」
「やれやれ、クレーベ家といえば、夫妻ともども忍耐強い忠臣ぶりで知られてきたというのにな。子爵はどんな教育をしているんだ?」
「いや、最近のクレーベ家は、なにかと醜聞が絶えないぞ。フリーダ嬢にしても、なんと醜い妬みぶりだ。アリア嬢が可哀想だよ」
だが、ワインを浴びせられたアリア当人はといえば、ぎらぎらと瞳を輝かせるフリーダのことを、ごく冷静に見つめていた。
まるで宝石のように、異様なほど光を跳ね返す彼女の瞳。
(これは、「嫉妬」)
フリーダの瞳に滲むのは、妬み。
「嫉妬」の念だ。
(なら仕方ないか。きっと、あと少しもすれば、彼女も
とそのとき、内心の独白に応じるように、アリアの耳に不穏な音が届いた。
――がしゃぁあああん!
大量のガラスが割れる音だ。
音は遠く、現場が会場内ではないことがわかる。
だが、確実にこの屋敷のどこかが、破壊された音。
何事か、とざわめく広間に、ややあってから、慌てふためいた様子の中年女性が飛び込んでくる。この舞踏会の主催者、クレーベ子爵夫人だ。
「フリーダ! ラウル様はまだなの。この場に騎士殿は、軍官は……誰か、その手の方はいないの!」
「お母様? どうなさったの?」
急いで駆け寄ったフリーダに、子爵夫人は人目も憚らず縋り付いた。
「大変。大変よ。わたくしのガーネットが、いつの間にか偽物にすりかわっていたの!」
夫人は、己の首から下がる派手な首飾りを引っ張る。
真っ青な顔で彼女が放った言葉に、その場は一層騒然とすることになった。
「ヒルトマン家に続いて、今度は我が家が……。家宝のガーネットを、盗まれたわ!」
蜂の巣をつついたような騒ぎになった広間を、アリアはするりと抜け出した。
元々気配を殺すのは得意だ。
使用人の仕事をするときは、存在感を消さなくてはいけないのだから。
それに今なら、一人だけ広間を出ていく姿を見つかったとしても、着替えのためと言い訳ができる。
人々に「この時間アリア・フォン・エルスターは広間にいた」と印象づけてくれたばかりか、悠々と現場を立ち去る口実まで与えてくれたフリーダには、感謝しなくてはならないだろう。
アリアは、日記流出の願いは取り消してやることにした。
『おい、アリア、どこ行くんだよ。しれっと俺を置いて行くなよな』
と、回廊を歩いていると、いつの間にか先ほどの白トカゲがひょいと肩に飛び乗ってくる。
爬虫類が人語を話すことに驚きもせず、アリアは人差し指で、トカゲの鼻面を押しやった。
「レディの頬に息を吹きかけないでよ、馴れ馴れしいトカゲめ。帰るのよ」
『トカゲって言うな! 偉大なる宝の守り手、白きドラゴンへの敬意を込めて「バルトロメウス様」と呼べって言ってるだろ! ってか、俺が口臭強いみたいな言い草やめろよ』
「ローストビーフの匂いがする。
素の口調で凄むと、精霊バルトロメウス――バルトは、『なんのことかな』と明後日の方向を向いた。
『それくらいいいじゃねえか。久々に
「縄に火を付けるだけで疲弊してどうすんの? 性能マッチ以下の低コスパドラゴン」
『流れるような罵倒はやめろよ。俺のブレスのおかげで、時間をずらしてガラスが割れたんだろうに』
バルトがぐるる、と唸る。
まあたしかに、アリアが広間にいるタイミングで、見事ガラスが割れてくれたのはお手柄だった。
きっと誰もが、クレーベ家のガーネットは、あの瞬間、ガラス窓を破って逃亡した誰かに盗まれたと思ったろう。
『よく思いつくよな。あらかじめ窓ガラスを割っておいて、破片だけ後から派手に落として、逃亡時間を偽装する、なんてさ』
今日のアリアは忙しかった。
シルバー磨きの使用人としてクレーベ家に潜り込み、舞踏会のために恭しく鏡台に並べられていたガーネットの首飾りを、精巧な偽物とすり替えた。
次に窓拭き女に扮して、人通りのない北棟の窓ガラスを静かに割って、その大量の破片を男服と一緒に縄で屋上にくくりつけておいた。
あとは、舞踏会が始まってからバルトに炎を吐かせ――といっても、彼のブレスはげっぷくらいの小さなものだが――、縄を燃やさせるだけだ。
縛りを解かれたガラスは落下し、派手な音を立てる。
いかにも変装に使いました、と言いたげな、大柄な男服も一緒だ。
先日、ヒルトマン家からエメラルドを盗み出すときも、同様の仕掛けをしておいた。
回廊を抜け、着替え用の休憩室に立ち寄ると、アリアはワインにまみれたドレスの裾をつまみ上げた。
ひどい染みだ。もう二度と使えないだろう。
「まあいいか、実際安物だもん」
あっさり見切りを付けると、躊躇わず裾を裂き、内側に縫い付けておいたあれこれを振り落とす。
変装用のかつら、衣装、ナイフにやすり、縄、小さな布袋。
それから、ガーネットの首飾り。
床に転がった、親指ほどもある大きさの宝石を、アリアは忌々しげに見下ろした。
情熱的に赤く輝く、パイロープガーネット。
その名には、昔の言葉で「炎のように燃える瞳」との意味があるらしい。
なるほど、嫉妬にぎらつく瞳を思わせる、まさに大罪が取り憑くにぴったりの宝石だ。
アリアは、ドレスの裾をもう一段引き裂くと、くれぐれも素手で触れぬよう気を付けて、ガーネットをぐるぐる巻きにした。
「これでよし、と」
『おまえさ……仮にも精霊の前で、堂々と足を晒すなよな。ドレスも可哀想に』
ぼやくバルトに、アリアは肩を竦めた。
「たしかにね。あたし好みのドレスだった」
もちろん柄の話などではない。
おしゃれに興味などないアリアからすれば、ドレスを選ぶときの基準は、どれだけ裾が膨らんでいるか――つまり、どれだけ多くのものを仕込めるか、の一点だけだった。
貴族令嬢が馬車にも乗らずに帰宅しては目立つので、今度は、「わがままな主人に夜中の買い物を頼まれた使用人」に扮することにする。
手早くドレスの残骸を丸めると、あらかじめ入手しておいたお仕着せに着替えて、その裾の内側に縫い止めた。
裁縫が得意でよかったと思うのは、こんなときだ。
最後に、礼装には似合わないからと外していた、古ぼけた金貨で作った首飾りを、いつもの通り首にかける。
しっくりと肌になじむ金貨の心地よい重みを感じると、アリアはほっと息を吐いた。
「天にまします我らが母よ。今夜の盗みもうまくいったことに、心より感謝を」
金貨を引き寄せ、軽くキスを落とす。
『精霊の女王に、そんな俗悪な祈り捧げんなよ』
肩に乗ったバルトは呆れの溜息を漏らすが、聞き入れない。
顔を上げたアリアは、ふっと好戦的に口の端を引き上げた。
「今日も、明日も、これからも」
強い意志を宿すとき、アリアの瞳はいつも色が鮮やかになる。
琥珀色だった瞳は、金貨の色味も移ってか、黄金色に光るかのようだった。
鈴蘭に例えられる「アリア・フォン・エルスター」は控えめな美貌が売りだが、清楚の仮面を外し、瞳を輝かせる彼女は、一層華やかで麗しい。
「あたしは絶対、捕まらない」
盗みを働くときのお決まりの祈りを唱え、アリアは悠々と、休憩室を出て行った。
エルスター男爵家の養女・アリアは、男爵家遠縁の田舎娘でもなければ、気弱でもない。
彼女はこの王都の下町にある孤児院で育った、強かな少女だ。
さらにいえば、ここ最近王都を騒がせている、宝石泥棒でもあった。
おしゃれに興味のない彼女がなぜ、人語を発するトカゲと宝石を盗み出しているのか。
それを説明するには、時を半月ほど、
***************
あらすじに追いつくまで、1日2話(朝&夜8時)を目標にガンガン投稿させていただきます!
体力が切れたら1日1話とさせてください。
本日は連載開始記念に、気合いを入れて3話投稿予定。よろしくお願いいたしますー!
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