第百八十話 惑わし

 薄い空気の壁があるような可視化させた隔たりを超えると、一瞬だった。恐怖感を抱かずに入り、空気感にも耐えれていたつもりだったが、そんなことを押し退けるかのように体中を邪気が蝕む。


 「――うっ……何……!」


 口を開くことすら耐えられない。体の内側を、内臓を破壊しようとするような受け付けない圧が巡っては痛覚へとダメージを与える。


 視界もぐちゃぐちゃで、意識も朦朧とする。鈍器で殴られたような痛みが頭部から爪先まで駆け抜けては、それを一周するように回る。叫びだしたくても余計に痛めるだけ。ならば、安静が1番であった。死を連想させるほどの恐怖感。これが御影の地なのだと、早々に折られそうになる。


 だが、それらを物ともしないのが最強の剣士であった。


 全ての感覚器官が曖昧に機能する中、肩に置かれた手と耳に響く声だけは薄っすらと聞き取れた。それから段々と明るくなる目の前。声も聞こえ始め、触覚もそれが手だと確定して脳へ伝達する。


 「ニア、大丈夫か?」


 「……イオナ先輩」


 「耐えられるか?」


 「……なんとか」


 手を置くは私のパートナーであり最強を背負う者。見たところ、私と同じ現象には至っておらず、その優しくも心地良い瞳で私に触れていた。


 その声に応えると意識も覚醒し始め、膝から崩れるように倒れていただろう私の背中を支えて居るのだと分かった。入った瞬間の出来事に、必然的にパニックになったが、やはり信頼する人にはそんなことは無関係のことだったらしい。


 「気派の乱れで意識が遠ざかって、更には過度な殺意に惑わされたってとこだ。今は俺の気派で安定させてるから、この先気を失うことはない」


 「そうですか……ありがとうございます」


 何が起きたか分からないからこそ、それに耐え抜いた流石の剣士に感謝するのは当然だった。命の恩人でもあるからして、それは強く。


 敵は、私たちが入ってすぐに襲うことは無かったらしい。死体は見当たらないし、戦闘の跡もない。それが何よりの証拠。だけれど、見回していると1つ重要なものが欠如していた。


 「先輩……ルミウたちはどこへ?」


 その場に居るのは私とイオナ先輩だけ。他の3人は姿どころか気配すら感じない。あの猛者感のある、存在感の強いルミウ様も、静かだからこそ特定しやすい気派を持つフィティーも、不思議と誰よりも存在感の強いニーナも。


 それに気づいたかと、イオナ先輩はそっと教える。


 「消えた。正確には、俺が入った後に入って来たのはニアだけだった。多分入った場所は同じでも、御影の地では別の場所へ転移したんだろうな。早速未知の力に惑わされてるってことだ」


 「……それは……問題じゃないですか?」


 「そうだな。考えられる中ではシルヴィアが1人になるのが最悪だ。他にも、いくらルミウとフィティーとはいえ、1人でのスタートは厳しいものがある。俺らのように3人揃ってくれてるなら良いんだが」


 どこか不安感と焦燥感に駆られたような、初めて見る焦りを顕にしたイオナ先輩。流石に想定外だったようで、全く違う世界へ転移したかのような危機感に狼狽していた。


 「とにかく俺たちは合流を最優先に、この先を進む。最大で半径500m圏内の人間の気派は感知出来るから、引っかかるまでは歩こう。幸い、感じるように時間の概念は無いらしいから、疲れることもなさそうだ。休まずに進もう」


 「分かりました」


 消えた不快な圧も、今では気分が良いほどに慣れてしまう。これがイオナ先輩のサポートのおかげかと、改めて異次元な対応力に感服する。


 立ち上がってその身軽な体を上下に軽く跳ねさせると、先を歩くイオナ先輩の隣へつく。離れてはいけないと、ここに来る前に言われた通りピタッと。どことなく安心感のあるその細身の筋肉質の体躯は、隣合わせの死を全く感じさせないほどに硬かった。


 4年前、初めて出会った時からの仲。既にその時から神傑剣士として星座に座っていたのは驚きだったけれど、今ではそれも頷けるほど確実な強さを持つ。いつからだったか、そんな実力を隠していると悟っていても、ひたむきに前へ進もうとするところに好意を持ったのは。


 隣にいることも、それが影響するからこそ、動悸が収まらないのかもしれない。場違いな鼓動を鳴らしているのは分かっている。けれど、どうしてもその安心感と危機感が、不思議とそれらを掻き立てる。


 「んー、場所を教えるか」


 突然止まって、何か考えがあるのか独り言を呟くと、刀を出した。


 「何をするんです?」


 「蓋世心技を使って遠くにいるかもしれないルミウたちに場所を知らせるんだ」


 「なるほど。それは良いですね」


 周りは木に囲まれた森林。無駄に伐採しても咎められない場所であるため、それらは許される。


 「使って5分で反応が無かったなら、ここを離れる」


 「了解です」


 ルミウとフィティーならば、こちらの意図を汲んで同じように場所を知らせるだろういう考え。シルヴィアが1人ならばどうしようもないが、同じ場所へ転移させられた可能性を考えて、やる価値はある。


 刀を振れるように若干距離を取る。前にしか斬撃は飛ばずとも、何を使うかを知らないので一応。


 「蓋世心技――」


 「待って」


 イオナ先輩が刀を振り上げると同時に、その先にある木の後ろから聞き覚えのある低くも通る声が聞こえた。

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