終末の決算会

萩野 最段

終末の決算会

 夏が終わり、過ごしやすい季節になってきた。窓を開けると爽やかな風が額を撫で、空がどこまでも高い。

 部屋に光と風を取り込み、テレビを付ける。ひとつの放送局以外は、ドラマの再放送や映画、昔のバラエティーを流し続けるだけなので、唯一報道を続けるチャンネルに合わせる。本日も、滑舌良いスーツ姿の男性が地球の寿命を淡々と告げた。非日常的な言葉は、もうすっかり日常に溶け込み、天気予報を聞くぐらいのテンションで受け入れてしまっている。

 ただ、そんなことよりも私にはもっと最悪な悪夢が訪れていた。

 下腹部を緩々と撫でながら、テレビと生理日予測アプリを交互に睨みつけ、私はスマートフォンをベッドへ投げつけた。あと七日で終わる世界で、私の子宮は二週間遅れて生理が来た。

 

 地球の余命宣告は突然だった。簡単に言えば、この星は爆発するらしい。

 一年ほど前から言われてきたが、陰謀論やフェイクニュースだと様々な憶測が広がり、正直、人類のほとんどが半信半疑だった。しかし、ちょうど一ヶ月前に、各国の大統領や首相が神妙な面持ちで、これが本当の正真正銘の事実だと言うことを発表し、遂に世界は地球が終わるのだと認知した。

 世界は混乱で大戦争でも始まるかと思ったが、案外、人々は落ち着いていた。世界が終わる寸前に、人間同士で争うよりも、自分の人生を見つめ返し、緑や水のせせらぎを眺めながら家族と抱き合う方が良い、という人間の思考が圧倒的に多かったらしい。

 やはり、世界平和を望まない人間はいないのだと、世界の終わりに人類は知った。


 私だって、世界平和を望む人間のひとりだ。

 季節外れのカイロを下腹部に貼り、向かいの窓の外を眺める各駅停車。どうか終点に着くまでの四十分、気分が悪くなりませんようにと祈る本日、歳を取っていると感じることが多くなった。

 まだ二十六歳。されど、アラサー。

 社会ではまだまだ若いよと茶化されるが、自分からすれば明らかに歳を取っている。昔は感じなかった身体の不調に悩ませる日々だ。

 月のものが重いなんて、社会人になってから経験し始めた。生理痛も社会に出てから身体が覚えた現象だ。始まってから二日目が地獄のようで、痛みに加えて、下痢と便秘が混ざった排便不調と手足の冷えに貧血。痛み止めが手放せないどころか、服用間隔の四時間が経てばすぐに飲み込む始末だ。本当は一時間おきに摂取したいところだが、身体が慣れて効かなくなる、と言う、誰かの脅迫声明が脳裏に張り付いているせいでそれはできない。

 もちろん、改善方法は色々と調べた。規則正しい生活。バランスの良い食事。運動。

 確実に学生時代よりは早く寝て、同じ時間に起きて、食べ物も気を遣っている。むしろ、時間になれば睡魔がやってきて、時間になれば目が覚めてしまうのだ。夜更かしも寝溜めもできない身体になった。眠るのにだって体力がいる。

 食事だってそうだ。ジャンクフードを食べれば、次の日は胃もたれで気持ち悪くなる。フードファイトぐらいの気持ちで挑んでいた食べ放題も、今や色々な食べ物をちょっとずつ食べられるものとして認知している。

 朝から夕飯の残りであるカレーや揚げ物を食べていた元気なニキビ面の学生も、今や白湯を飲んでからもち麦ご飯と納豆、味噌汁、作り置きの副菜を嗜む乾燥肌の社会人だ。夕飯だって、揚げ物は週に一回あるかどうか。それよりも湯豆腐を柚子胡椒とポン酢で食べる機会の方が多い。バランスの悪い食事を取るのにも、屈強な胃が必要なのだ。

 運動は少し減ったのだろうか。体育もなければ、自転車に乗ることもなくなった。それが怖くなって、半年前から夕飯から就寝までの間に筋トレを取り入れた。プロテインだって飲んでいる。最近は使い分けられるように、クッションぐらいの大きさの袋に入ったソイとホエイのプロテインを飲んでいる。カラオケやジャンクフードにかけていた金と時間を、運動とプロテインに費やしているのだ、やっぱり今の方が健康になってもらわないと割りに合わない。むかつく。

 毎日ストレッチもして、ブロッコリーや鶏胸肉も食べている。スキンケアだって、化粧水だけでは済まない。導入化粧液、化粧水、美容液、乳液、クリームの五段構え。夜なら、美容液の代わりにパックをする。その間、オイルを使って脚のマッサージ、明らかに今の方が圧倒的に手間暇かけているのに、学生時代よりも不調なのはやはり納得がいかない。

 これだけではない。

 低気圧と天気、アイツらも今や私の敵だ。雨が降ったら、バスで学校に行かないとな、傘を差すのはめんどうだな、ぐらいのものだったが、現在の私には死活問題だ。

 身体が怠くて、全く気力がなくなる。更に低気圧となれば、頭が痛くて猛烈な眠気に襲われる。肩周りには悪霊が三体は取り憑いているに違いない。地学の時間で習ったヘクトパスカルが、今頃になって私に復讐してきたらしい。物理が苦手だったから、地学、生物学は真面目に暗記をして、それなりの点数を取ったというのに、なぜ齢二十六になった今、陰湿な復讐をしてくるのか。やはり、トランスフォーマー断層、と間違えて記入したアレが効いてきたのだろうか。それにしたって地中の話ではないか。気圧が怒ることはないではないか。あまり責めると、いよいよ地層が怒って震災が起きて、想定より早い終末が来ては洒落にならないので、やはりトランスフォーム断層のことはしっかり覚えようとは思う。

 辛いのは不調になることだけではない。これが、思っている以上に他人から理解されないことだ。

 低気圧や天気、生理なんかで辛いと、同じ女性の先輩に相談したことがあったが、私なんてもっと酷いと被害自慢をされて終わった。ちょっと慰めてもらって、共感してもらおうとした私が馬鹿だったのか、お前の話は聞いていないと殴りたくなる気持ちを抑えて、大変ですねぇ、と本来ならば自分が欲しかった言葉を吐く。なんだこれは。

 その時、ふと思い出すことがある。学生時代、三ヶ月ほど来なかった生理が来た時、とてつもなく下腹部が痛かったことがあった。今思えば、あれが十代最初で最後の生理痛だったのかもしれない。体育の授業。男女別のせいか偶然かは知らないが、先生は女の先生だった。いつもジャージ姿でハキハキとした先生は、お腹が痛いので見学にしたいと言った私に向かって、「食べすぎかぁ?」と笑って言った。今もだが、他の子よりはふくよかだった私は、その言葉にひどく傷ついた。クラクラとした頭を首の骨で必死に支え、いつもより少し温度の低い指先を腹元で握りしめて笑って見せた。思い当たる節が生理しかなかった私は、生理痛という言葉は知らなかったが、きっと生理が原因な気はしていたので、月経とは何かを教科書をなぞって教えてきた教師が、そんなことを言うのかと落胆した。もちろん、悪気はなかったと思う。自分の見た目を気にするあまり、敏感になりすぎていた気もする。あの時も、今も、いくら思い返してみても、やはりあの言葉に悪気は存在していなかった。けれど、今でも思い出すぐらいには傷ついていた。

 同性だから分かってくれるなんてことはない、というのは経験済みなはずだけれど、いつか誰かが励ましてくれるかもと期待している自分もいた。その分、自分も人からそのことの相談を受けたら、辛いよね、と返すようにしている。

 ただ、心のどこかで自分の方が辛い、という思いがあるせいで、その相談に苛立つ時もある。その気持ちをグッと堪えても、相談した先で、まだ若いから大丈夫よ、と言われるのだから割りに合わない。ここまで来ると、この国の給与の低さにも八つ当たりしそうだ。働いた時間と、削られた体力と気力分が報われるほどのお金は欲しい。自分が他人へ向けた配慮と善意分の対価が帰ってこないなら、せめて週に一回、デパ地下で夕飯を買うぐらいのお金が欲しい。イライラを食にぶつけようとしても、結局、スーパーで割引のシールが貼って惣菜を選んでしまう自分が憎くて情けない。

 今日まで、ちゃんと生きてきたじゃないか。未来の自分のために節制もして、我慢もして、身体にも向き合って、ちゃんと生きていたじゃないか。困っている人がいたら、どうしたのと声をかけていたじゃないか。なのに、どうして、世界が終わる七日間、私を苦しめてきた生理と共に生きなければならないのか。そんなの絶対に嫌だ。

 悔しくなり、朝から無意味な涙をいくらか流した後、私はこの終末間際でもやっている病院を調べ、子宮を取り出すことを決意して電車に乗り込んだ。


 病院なんて、ほとんどやっていない。やはり人生の最後まで仕事をし続けたい人間などいないのだ。国が経営する大きな病院ぐらいしか今は機能していないため、わざわざ足を運ぶことを決意したが、やはり電車は苦手だ。因みに、電車もあと三日後には走らなくなる。本数だってかなり減っている。

 なんとか途中下車せずに辿り着いたはいいが、病院の前は行列が出来ていた。老若男女問わず、様々な人が並んでいる。

「あの、これって病院の受付で並んでいるんですかね……」

 最後尾の札を持った人に向かって話しかけると、はい、とシンプルな返事が返ってきた。

 一体何時間ぐらい並ぶのかと聞くのも疲れてしまうほどの長蛇の列。私は髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜて叫びたくなる衝動を抑えながら、ゆっくり天を仰いだ。

 天気が良い。世界が終わるなんて嘘みたいだ。

 数分だけ並んでみたが、立っているのも辛く、貧血直前の眩暈とゴツゴツの岩が下腹部で転がっているような腹痛に耐えられず、結局列から外れてどこか座れる場所がないかとフラフラと歩き出す。自分の後ろに並んでいた二人が一歩前に足を進め、抜けた私の穴を埋めるのを横目に眺めた時、簡単に自分の存在が消されたようで少し悲しくなった。

 誰もいない小さな公園のベンチ。子供もいないこの場所では、ただのオブジェと化した遊具が所在なさげに立っている。もう役目を終えたと、空を見上げているようにも感じた。

 そう、最後ぐらい、優雅でのんびりとしていたいじゃないか。遊具だって、今日まで子供たちに遊ばれ、踏まれ、時には不良少年少女のたまり場として、昼夜問わず人の相手をしてきたのだ。最後は、のんびりと、誰もいない公園で昔のことを思い出しながら地球の最後を見つめるのだろう。

 うらやましい。私は遊具に嫉妬した。

 必死に頑張ってきたのに。いつか結婚でもして、子供が出来て、辛いことがあってもこれが人としての幸せなのかなぁと思う日々が来ると思っていたのに。そのために、今日まで。

 あとたった七日しかないが、もうすでに、その七日間が私にとって幸せでないことが確定している。どうせ不幸を味わうぐらいなら、もう死んでもいいのかな。と、今までにないぐらいのネガティブな思考に自分でも驚いたが、すでに精神と体力の限界らしく、立ち直るだけのガッツが底を尽きていた。

 思わず涙が溢れ、視界がぐにゃぐにゃの歪み始めた。

 鼻を啜りながら、肩を揺らす。どうせ、もう結婚どころか彼氏だって出来ないのだからどうでもいいやと、遠慮なく手で涙が止まらない目をこする。こんな惨めな私を励ますどころか誰も気にもしないのだから、もうどうでもよかった。いくらでも腫れてパンパンになるがいい。

「なぁ、あんた、だ、大丈夫?」

 頭上から降ってきた言葉に、思わず涙が一瞬止まった。知った声だからというわけではない、久しぶりに人に話しかけられて驚きのあまり涙が引っ込んだのだと思う。

 私はシャツで大雑把に涙と鼻水を拭きとってから、ゆっくりと顔を上げた。ポジティブに言えば心配そうに私を見ている、ネガティブに言えば不審そうに私を見る彼は、全く知らない人だった。

 年は恐らく同じぐらいか少し下ぐらいの印象で、白いTシャツに半ズボンにサンダル。片手には小さな白いレジ袋。近所のコンビニに行くぐらいのラフな格好で髪は染めてはいない自然な色。顔は可もなく不可もなく、ただ目はパッチリ二重だ。

「あの、なんか、具合悪いとか、そんな感じ?」

 黙っている私を心配してか、不審がってか、彼は困ったように眉をハノ字に曲げて、ついで少しだけ屈んで視線を合わせてきた。

 今、私は、人に声をかけられている。更には、大丈夫か、具合が悪いのかと聞かれている。お腹が痛いと言えば、食べ過ぎかと笑われるだけかもしれない。それどころか、なんだそんなことかと言われるだけかもしれない。けれど、もう会社にも行っていない、地球が爆発するのを待つだけのなか、遅れてやってきやがった忌々しい生理しかない私には、彼の言葉はひどく温かく感じた。

「……ぜ、全然、大丈夫じゃないです」

 彼の目を真っ直ぐに見ながら、私は大丈夫じゃないと言った後に、またボロボロと涙腺が崩壊してしまった。こんな真っ昼間に、人の顔を見て泣き出すアラサーメンヘラ女に、きっと彼も逃げ出すかと思い、僅かな羞恥心も心の隅に存在していたが、それ以上にやっぱり嬉しいと感じていた。誰かが自分を気にかけてくれていることに、ホッとした。

 その安心感が引き金になってしまったのだと思う。何も知らない彼に、私はベラベラと生理が来たこと、これまで私がどれだけ体調改善に努めていたか、けれど結局最後の最後までこの現象に苦しめられていたこと、それを取り除くために病院に行ったこと、全てを口から吐き出した。順番も飛び飛びでひどく分かりづらい話だったと自分でも思った。それでも彼は、うんうんと頷きながら、私の隣に座って聞いてくれた。

「えらいなぁ、自分にちゃんと向き合ってて」

 話終わっても尚、涙が止まらず、肩で息をする私に彼はポツンと呟いた。空を見上げながら、本当に、感心したと言うように言った。

「えらくないですよ。結局、全部どうでもよくなって、全部捨てちゃえって自暴自棄になったんだから」

 もっと言えば、人に優しくしているとき、どこか見返りを求めている自分が居たことに気づいていたということもあり、話せば話すほどそれを彼に見透かされそうで後ろめたさを感じていた。

「だって、他人に理解されないなら、自分で改善しようって頑張ってたわけでしょ?」

 もう頑張りすぎなぐらいだよ、と続ける彼の横顔を、私は思わずジッと見つめてしまった。

 赤の他人だから、発言に一切の責任がないから、簡単に肯定してくれているだけかもしれない。それでも、私にとってその言葉がどれだけ救いになり、欲しいものだったか。胸の内が軽くなる感触に、ただ人に聞いてもらいたかっただけなのかもしれないと、まだ重たい下腹部を撫でながら小さく笑った。

「ありがとうございます。なんか、さっきまで弱気になってて、このまま死んじゃおっかな~とか軽く考えてたんで、助かりました」

 初めて会った人にこんな重たいことを言うのは些か恥ずかしかったが、それでも、どうせあと七日間しかないのだから、ほとんど吹っ切れていた。腫れ上がった顔がほほ笑むのは不気味かな、と自虐しつつも、私は誠意を込めて口角を上げた。

 そんな私の顔見て、彼は一瞬だけ戸惑ったようにも感じたが、返事をするように緩く笑った。

「よかった。君がそう決断したなら俺の業務はもうほとんど終わりかな」

「ぎょ、ぎょうむ……?」

 突然飛び出てきた不釣り合いな言葉に、思わず驚いて目を見開いた。しかし、驚いている私を見て、彼もしまったと言うように顔を歪ませたが、唇を指でなぞってからゆるゆると穏やかに笑いながら私に説明してきた。

「俺、天使なんだよねぇ」

 世間話をするような口調は変わらず、彼は言った。いよいよ、私は頭のおかしい人間に捉まってしまったのではないかと、こめかみから冷や汗が滲む。

「今、地球の終わりに向けて自殺する人が増えてしまって、天界が死者で大渋滞してるんだよね。思ったよりたくさん来ちゃったから、自殺事前防止のために何人か天使が下界に来てる状態で」

「は、はぁ」

 最近、終末までのカウントダウンと行政の動き、天気予報ぐらいしか報道されないため、まさか人類がそのような迷惑をかけているとは知りもしなかった。

「君は俺の管轄地区の人間の中でも、強くて、自分に厳しくて、人に優しくて、ほんと最後の七日間もきっと強く生きていくのかなぁって思ってたけど、さすがに弱ってたの見て心配だったからさ、安心したよ」

「えっ、管轄地区……?」

 どうやら、天使らしい彼が言うには、天使はいつその人が天界に来て天国か地獄に行くかの選別をされても困らないよう、常に天使たちが人間を観察、記録しているらしい。そして、今目の前にいる彼は、私をずっと観察していたらしく、今までのことが全て知っているとのこと。それこそ、産まれてから今日までのことを。

 なら、なぜわざわざ私に何があったかなんてよそよそしく聞いてきたのかと不満もあったが、この人の言うことを信じすぎるのもよくないかと思い、納得いかない顔のまま納得することにした。

「地球が無くなるのは残念だけど、俺は君を見て元気をもらってたよ。俺も人間だった時に、君みたいだったらなぁって考えるよ、ときどき」

「え、なんかあったの?」

 例え彼が天使であろうとなかろうと、ここまで泣き続ける女の重たい愚痴を聞いてくれた彼がほんの僅かに暗い影を見せたので、私はつい、お節介と分かっていても聞いてしまった。さっきまで、ハズレくじを引いたと後悔していたのに、人間の反射とは怖いものだ。

 私の問いかけに、彼は一瞬驚いたように目を丸くしてから、次は目を細めて笑った。

「最後なんだから、自分のためだけを考えて好きにしなよ」

 眉を下げて笑う彼に、私はやはりまだ胸に突っかかる何かを感じたが、私が言葉を続ける前に彼はゆっくりと立ち上がった。

 きっとこの後、振り向いてさよならを言われる。そう察した私は、彼の腕を咄嗟に掴んでいた。

 勢いよく掴んだせいで、パシッと肌がぶつかる音がした。天使と言っていたが、身体の質感はやっぱり人間そのものだ。

 レジ袋を持っていた方の腕を掴んだので、衝撃で少しだけ中が見えた。思わずそれを私は目撃してしまったが、特に驚かずに彼を見上げた。

「ねぇ、ほんとに天使?」

 ありがとう、と言うつもりだった。けれど、吐いた言葉は違った。

「あはは、やっぱ人間にしか見えないよね。天使なんてそんなもんだよ」

 ポンポンと頭を撫でられ、彼は手を振ってそのまま公園から出て行ってしまった。地に足を着けて歩く彼の背中から羽根が生えてくるわけでもなく、きらきらと星が散って消えることもなく、ただ歩いただけ彼の姿が小さくなり、そのうち見えなくなった。

 彼の持っていた袋に入っていた大量の睡眠薬を脳裏に浮かべながら、私はぼんやりと空を見た。

 地獄の閻魔様の隣で罪状を言うのって、鬼とか結構禍々しいタイプのやつじゃなかったっけ、と青い空の上で昔読んだ絵本を映して眺めたが、あまり考えても仕方がないと判断し立ち上がった。

 案外、まだ生きていくだけの根性が私にあったのだなと、僅かに温かいカイロを撫でながら家路に着いた。

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終末の決算会 萩野 最段 @modamoda6969

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