劣等感
しーちゃん
劣等感
「白石さん凄いね!」そんな声が不意に耳を刺した。白石茜は社内では有名な人。良くも悪くも社内は彼女の噂でもちきりだった。
「また、白石さんだよ。よくやるよね〜」
「あいつ媚び売りで有名だからね」
そんな陰口が聞こえてきた。俺はそんな言葉を馬鹿馬鹿しいと嘲笑いながらも少しイラつきが治まった気がした。入社してからというものなかなか成果があげられず焦っていた。同期の白石は着実と成果を上げていた。
そんな彼女に苛立ちを感じ、ついつい口をついて愚痴がこぼれる。「どうせ俺なんて。」そう呟いた時だった。
「社長〜、お茶入れましょうか?」甘ったるい声が聞こえた。またか。と溜め息がでる。白石は社長に媚びを売り成果を上げていると専ら有名だった。そんなこんな考えていると白石と目が合った。俺は慌てて視線を逸らした。焦る気持ちを押さえてパソコンに向かう。何かいいアイディアはないかと考えれば考えるほど何も浮かばなくなる。そんな時、急に自分が無価値な存在に感じる。『どうせ俺なんて』その言葉が俺の頭を埋め尽くす。「何、辛気臭い顔してるんですか?」後ろから聞こえた嫌な声。振り向くことなく、「別に。なんか用?」ぶっきらぼうに答える。「そんな怖い顔しないでよ〜。和泉くん。」相変わらず甘ったるい声だ。俺のイラつきは膨れ上がった。「さっき目を逸らされたから〜。気になっちゃって」そう言う彼女。「馬鹿にしてんの?」そう言うと、「全然。私は純粋に和泉くん頑張ってるなぁっていつも尊敬してるから」そう言う彼女を見て虫唾が走る。しかし彼女は切なそうな顔をしていた。「ねぇ、和泉くん!今日の夜飲みに行かない?」彼女はまるで子供のようにパァっと笑ってみせた。面倒臭いと思いながら「別にいいよ。」そう言った。
仕事が終わると白石の姿がなかった。ケータイを確認するとメッセージが来ていた。『会社から3つ先の信号の前のコンビニで待ってます。』普段の彼女からは想像できない、絵文字ひとつも無い淡白な文。俺は会社を出て彼女の言うコンビニに向かった。
「あ!来てくれた!帰られたらどうしようかと思った」そうおどける彼女。「なんで先に出たの?」そう聞くと「ほら、待ち合わせってドキドキするでしょ?それに、そっちもその方が言いでしょ」そう言って嫌味に笑う。確かにそうだ。一緒に帰るところなんて見られたらなんて言われるか。そんな事が頭を過り納得したが、悟られないように目線を外し問いかけた。「あっそ。で、どこ行くの?」「美味しいワイン飲めるお店あるからそこ行きません?」そう言われて、特に行きたいお店もないし、彼女がオススメするお店に向かった。思っていたよりこじんまりとしたお店だった。狭く薄暗い店内はふかふかの椅子がある訳でも綺麗な照明がある訳でもない。ギシギシとなる床、使い古された椅子、昔ながらの定食屋のようなそんな印象を受けた。とても意外だった。彼女には似つかわしくないとすら思った。彼女はお洒落なお店ばかり行くイメージだったからだ。もちろんそんなのは偏見だ。そんな事を考えていると「和泉くん?何飲む?」という彼女の声で我に返った。「あ。赤ワインで」「赤ワイン2つお願いします。」彼女が注文をしてくれた。オススメされた通り、かなり美味しいワインだった。当たりをキョロキョロ見ているかなりの種類の酒が置いてある事に気づく。ワインだけでなくウイスキーやビール、リキュールとまるでBARみたいだった。どうしてこんな店を知っているのだろうと、不思議に思い彼女を見つめる。すると目が合った。慌てて視線を逸らす。慌てる必要なんてないのに何故か直視出来なかった。チラッと白石をみて俺は魅了された。こんなお店でも彼女の立ち居振る舞いが綺麗だったからだ。グラスを持つ手。姿勢。全てが美しいと思った。彼女に不覚にも見惚れた。「白石は凄いなぁ」不意にそう呟いていた。「何急に。」そう笑う彼女は少し寂しそうだった。「いや、別に。純粋にそう思っただけ。」本当にそう思ったんだ。なぜか彼女には勝てないと感じた。そう思うと敗北感からなのか、すべてどうでもよくなった。もう、悔しいとすら思わない。すると途端に彼女が口を開く。「私、本当は知ってるの。」「何を?」俺が聞くと気まずそうに彼女がポツリと話し始めた。「皆私の事良く思ってないってこと。」俺は少し焦った。彼女の言う『皆』には俺も含まれていると感じたからだ。無論それは事実だった。そんな俺を後目に彼女は話し続けた。「私ね、本当に和泉君のこと尊敬してるの。皆口だけ。外側だけ見て内側なんて見てくれない。妬むだけで努力なんてしようとしない。オシャレなお店じゃなくても美味しいワインが飲める事もある。それを誰も知らないの。いや、知ろうとしないの。」俺は黙って話を聞いていた。「社長に媚び売ってるとか、顔がいいからとか言うけど、私は夜遅くまでアイディアを形に出来るように努力したし、もっと理解を深めるために工場や消費者の声を聞いてきた。私に出来る全てのことを頑張ったの。」そうだ。白石はいつも夜遅くまで仕事をしていた。ネットでアンケートを実施し消費者の声をリストアップした。彼女の功績は媚から来たものじゃない。彼女の実力その物だ。何故それに気づかなかったのか、自分が恥ずかしくなった。
「劣等感。」彼女が呟いた。その言葉に俺はハッとした。「劣等感って呪いだと思わない?」「呪い?」「そう。私なんて。そんな言葉が集まると、誰かに劣等感を抱く。でもね、1度抱いた劣等感はそう簡単に消えてくれない。そうしてるうちに、人は表面ばかりみるようになる。中味なんて1つも見えなくなる。すると人を恨むだけで現状をら変える努力を忘れるの。」そうか。彼女は努力をしてただけなんだ。なのに俺は彼女に負けている事実を受け止めきれず、全て彼女のせいにしてきたんだ。白石は少し微笑んで話を続けた。「皆アイディアを出す事を諦めて陰口を言う中、あなたは、和泉くんだけはアイディアを出す事を諦めなかった。努力をやめなかった。努力し続けられる人がこの世を制するの。私は本気で貴方を尊敬した。あなたは凄い人。」「俺は皆と同じだよ。俺は白石のせいにした。お前には勝てないとすら思って投げ出したくなった。俺はすごくない。」そう言う。「同じじゃない。」そう力強く俺の言葉を彼女がかき消した。「私をバネに貴方は戦い続けた。私はあなたを見て負けたくないと思って頑張れた。和泉くん?信じる者は救われるのよ。信じてみて?貴方はきっと凄い人になる。そんな気がするの」彼女の言葉に何も言えずにいた。彼女に抱いていたイメージが大きく違っていたことを実感していた。「劣等感は何も生まない。貴方がダメだと誰が決めたの?誰も貴方がダメだなんて言っていないのに、貴方が勝手に他人と比べて判断したの。」その通りだ。これまで生きてきて、誰かに『お前はダメやつ』なんて言われたことはない。ならなぜ『どうせ俺なんて』そう卑屈になっていたのだろう。そう考えて、すぐに答えは出た。あぁ。そうか。俺は彼女が羨ましかったんだ。『女だから』とか色んな言い訳を押し付け、彼女の努力を見て見ぬふりしてきた。外側だけで判断し、本当に見るべきところ『内側』を見ようとはしなかったんだ。そんな俺は凄い人なんだろうか。分からない。分からないけど、気がつけば彼女に対する劣等感は無かった。ただただ、自分の浅はかさを恥じていた。彼女に問いかける。「俺はどうしたらいいのか分からない。アイディアを形にする前にそのアイディアすら浮かばないんだ。」彼女はゆっくり答える。「貴方がどうしたいか。誰かのためじゃない。貴方が信じる事を形にすればいい。何でもやってみないと分からない。そんなものよ。」明確な答えじゃない。彼女の言っている意味を考えなくてはいけない。それに理解してもきっと簡単に出来ることではないかもしれない。すぐに何か変わるわけじゃないと理解はしている。でも、変わるかもしれない明日に、俺はワクワクしていた。もしかしたら、何も変わらないかもしれない。それでも、『もしも』の未来に希望を抱かずにはいられなかった。
劣等感 しーちゃん @Mototochigami
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