香梨寺 4

 香梨寺こうりんじは、地域に根付いた小規模な寺だ。

 敷地内には大きな駐車場と墓地も広がっているが、寺に務めるのは住職とその息子、山梨栽太やまなし さいたのふたりだけだ。山梨の母はすでに亡くなっており、行方不明だった兄も他界した。


 早朝、住職は本堂で経を上げていた。

 手元には、小さな写真立てが2つ並んでいる。長男の果絲かいととその母、絹笑きぬえの写真だ。

 住職が読経を終えると、背後から、

「住職」

 と、声をかけられた。

 振り返ると白い子狐がちょこんと座っている。

 子狐の足元には白い封筒が置かれている。住職は数歩近付いて床に膝をついた。

楓山かえでやまの狐か」

 不思議屋の白狐、笹雪ささゆきだ。小さく頷いて見せ、床に置かれた封筒を前足でスッと差し出した。

「不思議屋の婆さんから、手紙と線香代だ」

 と、笹雪は小さな口で言った。住職は驚くことなく頷き、

「近い内に、稲荷寿司でも届けると伝えてくれ」

 と、答えた。

「それなら、景都けいとたちに渡してくれ」

「あの子たちか。今はあの3人が不思議屋に行っているんだな」

「うむ。遊びに来るようになった」

「果絲も、あのくらいの時はよく世話になっていたな」

「住職もな。時が過ぎるのは早いものだ」

 そう言って笹雪は腰を上げると、ぺこりと頭を下げ、トトッと駆け出すように姿を消した。

 ひとり残った住職は、床に置かれた白い封筒を大切そうに拾い上げた。



 流石さすが、景都、咲哉さくやの3人は、通学途中に位置する香梨寺へ立ち寄った。

「おー、お前ら。おかえり」

 青色の作務衣で、今日も山梨は境内の掃き掃除をしていた。

「ただいま」

「ナッシー、ただいま」

 葬儀も埋葬も住んで日が経った。しかし、まだ3人は元気に挨拶をする気持ちになれずにいた。

 山梨は優しい表情で、景都の頭を撫でた。

 そこへ、本堂の裏から住職が顔を出した。手に、紫の風呂敷包みを抱えている。

「流石、景都、咲哉」

「あ、親父」

 山梨と並ぶと、住職の方が少々小柄だ。だが、表情のよく似た親子だ。山梨が坊主頭になった様子も、容易に想像できる。

「楓山の狐が来た」

 と、住職が言った。

「笹雪が来たの?」

 景都が聞くと、住職は目尻に皺を寄せて頷いた。

「あの狐は笹雪と言うのか。不思議屋の婆さんから、手紙を届けに来たんだ。わしも子どもの頃に、不思議屋へ行ったことがある。果絲も世話になっていた」

「え、そうだったんだ。兄貴も?」

 と、山梨が言っている。

「これを不思議屋に届けてくれ。稲荷寿司だ」

 紫色の風呂敷は重箱を包んでいるようだ。流石が両手で受け取った。

「そういや、果絲さんを見つけたって、報告行ってなかったな」

「うん……」

「これから行こう」

「うん」

 そういう事になった。



 楓山の山桜も、すっかり葉桜だ。

 緑も深まり始めている。

 老婆は今日も薄暗い不思議屋の中、番台のような囲み机の中にいた。

 流石は囲み机に、風呂敷に包まれた重箱を置いた。

「占いってのは不便なもんでね。訊ねなければ、答えはわからん。答えの方から知るべきことがやって来てくれる訳じゃないのさ」

 老婆が静かに言う。

 それを見上げる笹雪の表情は、どこか寂しそうだった。

「ナッシー、子どもの頃はお兄さんとずっと一緒だったのに、寂しいだろうな」

 景都が呟いた。咲哉も静かに頷くが、

「うぅー……」

 と、流石が唸るように俯き、突然、涙を落して泣き出した。

「……流石?」

 驚く景都と咲哉に、老婆が、

「お前たちは、お互いの事をまだよく知らないようだね」

 と、言った。

 景都と咲哉がハッとした表情を見せた。それに気付いたか気付かずか、流石は泣きながら大きく頷いた。

「奥に上がりな。茶を入れてやる」

 老婆は囲み机から降りると、奥の木戸を開けた。

 景都と咲哉も流石の背を促して、木戸の向こうの喫茶テラスへ足を踏み込んだ。

 鬱蒼うっそうとした楓山の風景と違い、窓ガラスの向こうに広がるのは見知らぬ高原だ。

 こちら側はまぶしいほど明るかった。

 3人は初めて来た時と同じ、中央のテーブル席に座った。

 テーブルには急須と湯飲み茶碗が用意されている。

「……俺、5こ上の兄ちゃんがいるんだ」

 緑茶の注がれた茶碗を見つめながら、流石が言った。

 近所に住んでいる景都は目をパチパチさせ、

「知らなかった」

 と、素直に答えた。

 山梨の兄の死で泣き出した流石に、咲哉は少々蒼くなりながら、

「兄ちゃんは」

 と、聞いた。

「体が弱くて、ずっと入院してるんだ」

 目元を擦りながら流石が答えると、景都と咲哉は顔を見合わせた。

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