テメェ(貴様)は俺(私)がぶっ潰す!
ソメガミ イロガミ
000 夜は微かに赤く……
夜空を駆ける二つの影があった。
その何方も蒼い月の光を浴び、夜という静寂と暴力の世界に生きるものであった。
両者は一定の距離感を保ったまま追いかけっこを続けている。
屋根上を跳び、壁を跳ね、その身はさながらサーカスの曲芸のように。
一つの影は幼い少女。その身を黒いマントに隠し、夜風にたなびかせる黒い髪。
幼さの見える愛らしい顔をしているというのに、男を惑わす娼婦のような艶やかさも併せ持っている。
不思議な魅力を纏った女————いや、それは魅力というよりも妖気と呼ぶべきだったのかもしれない。
人は彼女を見ればこう評するだろう。
————美しい。だがそれ故に、現実味がない。
彼女はその通り現実のものとは思えぬ存在であった。
闇の中、一閃が彼女の腕を薙ぐ。
刃は確かに彼女の腕に切り込み……裂いた。
宙に舞う腕をもう一人の影は確かに見ていた。
だが、少女の腕の切り口は、空気に触れた瞬間にうねうねと、それは蟲が蠢くように波打ちだし、次にぼこぼこと泡を吹くように肉を形成し始めた。
そう、再生だ。
この少女の腕は今斬られたというのに再生しようとしている。
「————さすがはノスフェラトゥだ」
少女は夜の魔物。
怪奇の王。
不死身の吸血鬼。
畏怖からその名を
彼女の腕を薙いだもう一つの影。
それもまた女であった。
だが、ノスフェラトゥがまだ中学生のようにも思える顔立ちをしているのに対し、その影は見るからに高校生と分かるような、凛々しく、誇り高い雰囲気を纏っている。
髪を一本後ろで結い、前髪も視界を妨げない程度に切りそろえてある。
口は閉じられ、まるで噛みしめられているかのように開くことはない。その姿は戦乙女というべきか。
彼女の片手には得物が掴まれている。それは刀やハンマーといったありふれた武具ではなかった。
見るものの目を奪うような、異様なフォルム。
銀色の、夜を溶かしたような輝きを放つ金属製。
まさしくそれは、十字架であった。
彼女は巨大な、二メートルは優に超える十字架を携えているのだ。
「その得物は正しく『
ノスフェラトゥは茶会で語らっているかのような朗らかな声で笑った。
命のやり取りをしているにしてはあまりにも軽い。
『聖十字の棺』の少女は笑わず、まっすぐな視線をノスフェラトゥに向けた。
「最終兵器ではない。あくまでも手段の一つだ」
「だけどその得物が多くの同胞の血を啜り、その汚らわしい栄光を手にしてきたことは否定できないでしょう?」
「だが貴様ほどではない。今までどれほどの人間の血を啜ってきた」
「そうね……人間一人の血液量は一キログラムにつき約八十ミリリットルと聞くし……私は細身の男性、女性が好きですから……」
うーん、と顎に人差し指を当て虚空に視線を漂わせる。それは本当に何でもない考え事をしているようだった。
動きの止まっているその瞬間に、『聖十字の棺』の少女は距離を詰めようと足を踏み出す。
いや、駆け出す。
旋風の如く、加速は一瞬。
鮮血連盟において『聖十字の棺』の正統契約者に指名されるだけの実力はある。
それはノスフェラトゥにとっても共通認識であった。
彼女と比べれば生きてきた時間の差は云百年とあるだろう。だがその差を感じさせないほどに彼女の腕前は相当のものであったのだ。
血で血を洗うどころではない。
血で血を断ち切る。
それがこの狩人。
急速に距離を詰める少女に、ノスフェラトゥは意識を向けていない。
それは油断ではない。
相手をするまでもないという余裕。
何故————、少女は思う。
自らの力を過信しているわけではない。
だが、このノスフェラトゥをもってしてもこの力の脅威は相当のものであるはずだ。
何せ少女の武器は彼女の所属団体でさえ忌み嫌われるような悍ましい魔十字なのだから。
白い月の光が二人を照らす。
十字架を大きく振り、風を切る。
少女はノスフェラトゥに殺意の視線を送る。
ノスフェラトゥがその瞬間、空高く飛んだ!
飛躍と共に空気中に嫌な気が満ちる。
血を濁したような微かな匂い。
少女ははっと息を飲み、真横に降りつつあった十字架を胸の前に構えなおそうとする。
だが時すでに遅し。
空気の中からすっ、と今まで存在しなかった糸が出現する。
赤い糸!
吸血鬼の血を縫って創り上げられた殺人糸術!
少女が十字架でその血の糸を斬るよりも早く、糸は彼女の体に張り付いた。
締まる、締まる、締まる————!
悲鳴が夜にこだまする。
白肌を割き、血が噴き出す。
アスファルトを染めていく鉄の香り。
闇に映える血紅。
ノスフェラトゥの唇が静かに弧を描いた。
その僅かに開かれた隙間から、小刻みに震える嘲笑が響いた。
————鬼女の嗤いッ!
少女がそう感じ恐怖を抱いた時。
既に血の糸は彼女の腕を斬り裂いていた。
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