極東の魔王 その5
その日の夜、ヨハンネのキンブレイト邸ではグレイゴスとジュリエンタと食事をしていた。食卓に並ぶの豪華な料理。豚の丸焼きや牛ステーキ、高級チーズなど外国から仕入れた珍しい食べ物まで揃っていた。キンブレイト家は一代で地位を築き上げ、今では一部の地方の地主である。葡萄酒・ラム酒・エール酒・麦酒・はちみつ酒などを製造し市場で大当たりした。キンブレイトの名を知らない者は居ないほどだ。
そして、キンブレイト邸には百人の使用人と三百人の農奴を抱え込んでいた。欲しい物は何でも手に入れる。それがグレイゴスの主義である。
礼儀作法に厳しいキンブレイト家では無言の食事が絶対だった。食事中に話をするなど、ご法度だ。しかしヨハンネが何が言いたい素振りをし始めた。彼はある事を考えていたのだ。
それは昼間の女剣闘士の事である。
(―――――――――僕はどうすれば、良いのだろうか)
女剣闘士を救い出す方法。闘技場からの脱走をさせるのは厳しい。なぜなら国軍と奴隷監視委員会の人間が一日中、巡回警備にあたっているからだ。その監視の目に見つからないためには、透明にならない限り不可能だろう。ならばと替え玉を使う方法も考えた。がジパルグ人なんて、プルクテス、少なくともスブラスには彼女ぐらいだろう。これでは関所を通るときすぐにばれてしまう。
(―――――――考えろ、何かあるはずだ、方法はきっとある)
ヨハンネの様子がおかしい事に気が付いたジュリエンタが手を止め、小首を傾げる。
「あらぁどうしたの? ヨハンネ」
それにグレイゴスもヨハンネの様子が変であることに気がつき、視線を送ってきた。
ヨハンネは思わず、視線を下に向けてしまったが、ある方法をひらめく。これならば、正当性、さらには自分の身分を利用してやればいいと考えた。
「父上。お願いがあります」
真剣な顔でヨハンネはグレイゴスに言った。そう言われようとも引き下がらないという気持ちで父親を見入る。
(――――――もう彼女を救うにはこの方法しかない)
「ん? お前が願い事とは珍しいな?」
怪訝しながらもグレイゴスはナイフで肉を切り口に運び込む。
ヨハンネはモジモジしながら言葉を選び、思い切って告げた。
「あの……その……奴隷の人を買って欲しいのです……」
どう言われるか恐ろしく、不安に満ちていたが、グレイゴスは目を一瞬見開いて驚いた様子だった。手を止めて、食卓にナイフとホークをゆっくりと置く。そして肩を震わせて、突然、大笑いした。
「ガッハハハハ―――――――ッ!!! 流石、わしの子だな!! そうか人が欲しいか!? 面白い、ヨハンネは暴君になるぞ。なぁジュリエンタ?」
「ウフフ。私も驚きましたわ。こんな大胆なヨハンネは初めてです。いつも控えめな子なのに」
そういってクスクスと口を押さえて笑っていた。食事中に笑い声が上がるなど、一度もなかったので、メイドらは驚き、同僚らと顔を見合わせた。
「いいんですか?」
「よかろう。それで、どこの奴隷が欲しい? サンベル地区か? それともアリテナ地区か?」
サンベル地区とアリテナ地区はスラム街として有名であり常に人狩りが行われている場所である。
「いえ。違います。女剣闘士を一人欲しいのです」
「ほぉ?」
グレイゴスは釈然としなかった。
(―――――――なぜ、そこまで、その剣闘士にこだわるのか)
グレイゴスが釈然としない顔をしていることにヨハンネは悟った。こだわる理由を述べる。
「―――――実は今日、闘技場で一人の女剣闘士に出会いました。それで、僕は衝動的に欲しいと思ったのです。だから、父上、彼女を買ってください!」
ヨハンネは食卓に両手をついて、立ち上がった。部屋の隅で控えていたメイドらがヨハンネの行動に青ざめる。厳格なグレイゴスの性格からして、激怒すると思ったからだ。
だが、そうはしない。グレイゴスは自分の息子には優しい。怒ることもなく普段通りだった。
ヨハンネは父を説得するには、“欲しい”と言えば買って貰えると思った。言っている事と内心は違っているが。ただ、彼女を助けたいだけであった。欲しいという感情は存在しない。罪もない彼女を地獄から解放してあげたかったのである。彼はそう思っていたが、心のどこかでは、彼女が欲しいという感情がなかったとは、棄てきれない。
だが、救いたいという気持ちは確かだった。現にこうして行動に移しているのだから。
「……なるほど。よかろう。お前の願いは叶えてやる。それで、その剣闘士の名はなんという?」
「それが名が無いようです。ただ、“極東の魔王”と言う称号が付いているだけです」
「はて? どこかで聞いたような称号だな?」
グレイゴスは眉を寄せ顎鬚を触る。喉を唸らせる。腕を組んで考え込むグレイゴスにジュリエンタが話しかける。
「それは最近有名なジパルグの女ですよ」
ジュリエンタは噂好きで話好きな人である。彼女は国の隅々の噂話をほとんど把握している。
「あぁ思い出したぞ。よし! なら明日でもサルサットの奴に話をしておく。さぁ座れ」
ヨハンネの肩に手を置き座らせた。少年が自分の父親に礼をした。
「ありがとうございます!」
ヨハンネは目を輝かし純粋に嬉しいと思ってしまった。
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