憂鬱ヴィラネル
葉桜
第1話青い湖
冷たい岩肌を裸足で走る。思わず笑いそうになるのを堪えて息を止めた。
三、二、一。
思い切り踏み込んで、私は崖から飛び降りた。
イルカのように優雅にとは行かず、ざっぱーんと飛沫を上げながら青い湖に潜り込む。冷たい真水が肌を刺激する感覚が心地良い。
ぬるりとした湖面を蹴って浮上すると、ギラギラと熱を放つ太陽とご対面。それがとても懐かしくて両腕を天に向かって突き上げた。
「あー、楽しい!」
濡れて顔にへばり付いた髪をかき上げて叫ぶと、湖水よりも冷たい声がした。
「いい加減にしたら?」
呆れた顔で腕組みしている幼馴染。彼女の黒縁眼鏡のフレームが、陽光を受けてキラリと光った。
「まだ五分も経ってないよぅ。休みが明けたら来れないし」
「社会人が湖に飛び込むなって話だよ」
地元残留組だってさすがにもう飛び込まないから。そう付け足して、麗子はため息をついた。
「都内にもプールくらいあるでしょ」
「塩素臭い」
「わがまま」
「えー」
たいして中身もない会話だけど、学生時代のような気楽さが心地良い。最近は忙しくて誰ともろくに話していなかったし。あ、ダメだ。わざわざこんなところで仕事を思い出したくない。
思わず首を横に振ると犬のように毛先から水滴が飛んでいく。そんな私を見て、麗子はくすりと笑った。
「夏以外も戻ってくればいいじゃない。東京なんて隣なんだし」
「そうしたいんだけどさ、なかなか……」
家と会社を往復するだけの生活。さすがに終電までは余裕があっても深夜と言うべき時間の帰宅。土日は昼過ぎまで惰眠を貪って、気付いたときにはもう日曜日の夕方で。まごうことなきサザエさん症候群。
「そう。でも、帰って来られないのと飛び込むのは別問題だから。もうやめてね、危ないから」
「はーい」
真面目に心配してくれているので大人しくうなずいた。怪我して入院すれば出社しなくても良いな、と頭の片隅で囁く声は無視する。悪魔の声に耳を傾けてはいけないのはセオリーだ。
「そろそろ行くよ。今夜はみんなでバーベキューの約束してるでしょ」
「うん」
足を滑らせないように気を付けて岩に上がる。青い湖面は少し揺れて、再び元の静寂を取り戻した。
憂鬱ヴィラネル 葉桜 @hazakura07
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