2023年の『いい二郎の日』

 これはぼくとサイコバニーがラーメン二郎に行った日の話だ。本稿におけるサイコバニーとはブランド名じゃあなくて、サイコバニーと呼ばれている女の子のことを指す。


🐰


 二郎は食券制だ。食券を買ってから列に並ばなければならない。食券機と対面したサイコバニーは「朝から何も食べてないし、いけるいける!」と言いながら初めてなのに豚ラーメンを頼もうとするから、ぼくは「チャレンジメニューじゃないんだから、美味しく食べ切れる量にしたほうがいいよ」とたしなめた。


 サイコバニーはなので他人からどう見られているかなんて気にしちゃいないんだろうが「いけるいける!」と言った瞬間に、カウンター席で今まさに丼と向き合っている人たちのうちの半数がこっちをチラ見した気がする。そして冷笑された、ような。何がなんでも止めなくてはならない。


「キミは何にする?」


 内角低めにボールが投げ込まれた。いい球筋だ。だけども、空気は読める。その絶妙なバランス感覚が、ぼくは好きだ。


「小ラーメン」

「じゃ、おんなじのにしとこっと」


 券売機に千円札がするすると飲み込まれ、ボタンは点灯する。サイコバニーは人差し指で「ポチッとな」と『小ラーメン』のボタンを押した。第一関門突破。ランナーは一塁。


 ぼくも宣言通り『小ラーメン』にする。二郎のラーメンは『小』ラーメンでも普通のラーメン屋の大盛り以上の量だ。まあ、店によるけど。元から『ミニラーメン』という選択肢があるところもある。


 サイコバニーの胃の容量を考慮すると、通常でもデカデカとしたチャーシューこと『豚』(※二郎では、チャーシューのことを『豚』と呼ぶ習わしだ)がどどんと乗っかっているのに、その『豚』の枚数が増える『豚ラーメン』は明らかに食べ切れないだろう。サイコバニーのことだから「タッパーに入れて持ち帰る!」などと言い出しかねない。また顰蹙ひんしゅくを買ってしまうな。そんなものはいらない。


「男の人ばっかりだねぇ」


 最後尾に並んだサイコバニーの感想。そうだね、と同意しようとしたら、ぼくらの後ろに細身の女性が並んだ。ツヤのある黒髪を肩まで伸ばしている彼女は『大豚』と『生卵』の食券を握って「ふんふん」と鼻歌を歌っている。


 大丈夫なのか?

 その細さに『大豚』のボリュームが収まるか?


 と、その体型を二度見してしまう。


 誰もが目を疑うだろう。……いや、助手はわかっているっぽいな。


 でも『生卵』を買っているということは、初心者ではなさそう。な気がする。『生卵』に『豚』をしゃぶしゃぶのようにくぐらせると美味しい。二郎のスープは塩分高めなので『生卵』を投入するとまろやかになって二度美味しい。通の食べ方だ。


「ニンニクアブラカラメ、ニンニクアブラカラメ」


 サイコバニーは手元のスマホを見ながら『コール』の練習をしている。ピンク色のケースには、のイラストが描かれていた。去年だかに原宿に行った時に、好きなイラストでスマホケースを作ってもらえるところがあって、そこで作ってもらったものだ。サイコバニーはおっちょこちょいさんなので、すでに何度か落としてしまったっぽくて、まだ一年経っていない気はするけども、結構使い込まれている風である。


 二郎ではラーメンが提供される直前に、無料のトッピングの量を聞かれる。有名な「ニンニク入れますか?」のセリフで。字面通りに受け取れば、質問は『ニンニクのトッピングの有無』を聞いているだけ、なのだが、ここではニンニクの他に、もやしをメインにした『ヤサイ』のトッピングの多さと背脂もとい『アブラ』のトッピングの有無、あとは味を濃いめにする『カラメ』をするか否かを訊ねている。店によっては『ショウガ』があったり、二郎『系』の某店は日替わりの『アレ』というスペシャルなトッピングが加わったり。


 二郎と二郎『系』の違いは、二郎本家ののれん分けで自分の店を持つようになったのが二郎、そうではなく、二郎が好きで二郎にインスパイアされたラーメンを提供するようになったお店が二郎『系』。という違いだ。二郎として営業していたが本家から破門されて、それでもなお二郎っぽいラーメンを出している二郎『系』もある。その辺の事情はインターネットに詳しい情報が転がっているので、気になった人は調べてほしい。


「食券見せてください」


 列が進み、店の中から助手が出てきた。ここで食券を見せることで、次のロットに投げ込む麺の総量が決まる。二郎特有の太めでもっちりとした自家製麺はそれなりにゆで時間がかかるから、食券をカウンターの上に出す前にあらかじめ聞いておくことによりラーメンの提供がスムーズになるのだ。


 麺あげしてトッピングを盛り付けるのは修行を積んだ店主の役目で、助手は列の整理や丼の片付けをする。助手がトッピングを盛ることもある。あとは『ヤサイ』を切ったりゆでたり。もやしばかりに見える『ヤサイ』だけど、店によってはキャベツの量が増える。


 たびたび〝店によっては〟というワードを使わせていただいているが、二郎は本当に店によって違うビジュアルのラーメンをお出ししている。同じ屋号なのにね。日によっても、時間帯によっても変わる。神田神保町店はレベルの高い合格点を超える二郎をオールウェイズ出してくれる――として有名。ぼく的には、ちょっと量が多すぎてきつい。


 基本的には『ヤサイ』と塊のような『豚』が盛られた豚骨醤油ベースの、うどんのような太麺。豚骨醤油のスープが、店によっては乳化(※脂が溶け込んでいい感じにクリーミーになった博多豚骨ラーメンの手前のような状態)していたりしていなかったりで二郎愛好家、通称ジロリアンの間でも好みが分かれる。これは二郎『系』にも言えることで、事前の調査が必須だ。丼の上で目を惹く『豚』も腕肉だったり脂身が多かったりとまちまち。湘南藤沢店や関内店などは巻き豚(※通常のチャーシューのように巻き物のような形になっているもの)になる。


 とはいえ、二郎に興味を持ったのなら一度は三田本店に行くべきだと思う。原点にして頂点といっても過言ではない(※諸説あります)。二郎の総帥、山田のラーメンを食べよう。ご高齢なので今は昼の部の最初のほうにしかいらっしゃらないらしい。息子の作るラーメンも美味しいが、存命のうちに山田のラーメンを食べたほうがいい。


「二名様どうぞー」


 山田のラーメンに想いを馳せていたら呼ばれた。サイコバニーをそっちのけで雑学を披露してしまったな。


「もうお腹ぺこぺこだよー」


 サイコバニーは頭の上のウサミミをぴょこぴょこさせながらカウンター席に座る。どうやって動かしているかはサイコバニー自身にもわからないらしい。本人にわからないものがぼくにわかるわけないだろ。


 ぼくはサイコバニーの分とふたつ、コップに水を入れて、サイコバニーの隣に腰掛けた。山田は目分量で、蛇口からぬるい水を入れてくれるぞ。食券をカウンターの上に置いて、あとは待つだけ。


「次の方どうぞー」


 ぼくらの後ろに並んでいた美人さんも呼ばれて、自分の分の水を用意し、ちょっと離れた席に座った。セミロングの髪は食べるときに邪魔なのか、ぼくが雑学を披露しているうちに一つに結んだようだ。


「モアちゃん、いつもどうも!」


 何度か来ているっぽくて、店主が『生卵』を出しながら話しかけている。モアちゃんっていうんだ。


「うむ! ここのラーメンの美味しさを、故郷に持ち帰らねばならぬからな!」


 それだけ気に入っているのなら弟子入りも――いや、きっと本業があるんだろうな。


「三番の女性の方、ニンニク入れますか?」

「に、ニンニクアブラカラメで!」

「隣の」

「ヤサイ少なめニンニクで」


 無事にコールも終えて、ご対麺だ。白い丼に、少なめとコールしても十分な量の『ヤサイ』と食べ応えのある『豚』に、レンゲ一杯ぶんぐらいの国産ニンニクが添えられている。サイコバニーの丼には『ヤサイ』の上から『アブラ』がかけられ、さらに醤油(FZラーメン二郎専用しょうゆ)をスープレードルの一杯ぶんも『カラメ』としてかけられる。


 まずは『ヤサイ』の下から麺を持ち上げた。こうして『ヤサイ』の上に逃してやることにより、麺が伸びるのを防ぐ。列で助手に食券を見せる段階で『カタメ』と注文する人もいる。


「うまあ!」


 サイコバニーは『豚』にかぶりついていた。確かに『豚』をショートケーキのイチゴのように大事に大事に最後まで取っておくと、麺や『ヤサイ』でおなかいっぱいになってしまって『豚』を堪能できないケースがある。最初に食らいついておくのも作戦としてはありだ。


「奥の女性の方、ニンニク入れますか?」

「ヤサイマシでお願いするぞ!」


 すごい。めっちゃ食うじゃん……。さすが常連なだけある。家二郎、頑張ってほしい。


 ご対麺から小一時間ほど格闘し、ぼくは完食。スープは……半分ぐらいは飲んだ。全部飲むのは気が引ける。こんなからだに悪そうなラーメンを好んで食べているのに今更何を気にするんだって話でもあるけども、完飲はさすがにね。サイコバニーはあと三口ぐらいがきつかったようで、半分涙目になっていたのでぼくの丼に二口ぶん入れてもらって、ぼくが食べて完食とした。


「美味しかったぁ!」


 美味しかったならよかったよ。


「小でよかったでしょう?」

「チャーシューがばりうまかったから、あれをおつまみにしたいな!」

「店によっては持ち帰り豚もあるよ」


 このあと、サイコバニーが「スタバ行こ」と言い出してスタバに寄った。甘いものは別腹らしい。別腹にしてもエクストラホイップなフラペチーノはやりすぎじゃない?

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