信仰と檻
夜明朝子
序幕
にんげんって、いいな
晴天を仰いで 無為に時を消費する術を
雨天を逸らして 宿りの行いに身を投ず術を
曇天を吸いこみ だれかをなにかを待っていて
つねに ごらくが あるんでしょう
知っているから 羨望を
にんげんって、いいな
川の流れのせかるる音は その二つの貝がらで
水の滴り落つるさわりは その二つの葉っぱで
涙を流した意味をもって 表す
つねに くらして いるんでしょう
知っているから 反逆を
にんげんって、いいな
にんげん消したら、人と成る?
***
雫の落ちた先は、ぼくの頬だった。
ぴちん、ぴちん……と一定の間隔で、一筋の光を纏いながら、天井の石の隙間から這い出るように落ちてくる。光は、どこからやってきたのかな。
ふと体を起こすと、にぶい金属がぶつかって鳴り、反響する。そして、ぼくの耳を突いた。
ああ、そうだったね、そう。
くらあい、暗いこの部屋には、到底手の届かぬはるか上の天井付近に、小窓がある。そこから漏れ出した〝あさ〟を告げる光だ。光は、虚しくもぼくを照らすことはない。はるか上に道を作ってくれてはいるが、僕はそこに決して届かない。目の前の鉄のすだれは、ぼくがその隙間を通ることさえも許してはくれないのだ。
でも、ときどきその金網から手を伸ばしてくれる人がくる。その人の手を取ろうって、思うんだ。きっとぼくをここから出してくれるんじゃないかって。
絶対に、できないけど。
なぜだろう? どうしてできないって思ったんだろう。
そうだ、ぼくは、ぼくのこの手は、にんげんを消してしまうんだ。しかも決まって、わるいにんげんだけ。
本物の英雄など、この世にはいやしないのだ。
何を淡い期待を抱いている。冗談も大概にしろ。
ぼくは、ぼくは、ぼくは。
今日も、この狭い部屋で静かに膝を抱えている。ひざこぞうの上に、また光の水が落ちてきた。
壁の町は、慈悲と調和と善の町。
決して悪はない。
だからこそ悪は、余所者だ。だから、ぼくに消されてしまう。
体を引きずるように、隅へと移動すると、土と石で出来た壁から、さああという風の音が聞こえた。じんわりと冷たさを感じて身震いをする。せめて、もう少しだけ温かい布切れがあれば、こんなに心が凍えることもないのかと思ってしまった。
しかし、仕方がないのだ。なぜならばここは壁の町だから。
「でも、せめて、おはなしするひとがいたらなあ」
じゃり、と今度は足首にまとわりつく金属が一鳴きした。
「僕は、今頃こんな惨めな思いをしていなかっただろうに」
呆然と光を眺めていれば、なぜだか懐かしい感じがした。一年前にもこのようなことがあったような気がする。ああ、そうだ、また忘れてしまっていた。
頼りなくか細いこの鳥の鳴き声のような音は、笛の音。心臓がなる音と共鳴して鈍い打撲音を響かせるのは、太鼓の音。いくつもの高さの声が重なり一つの祝詞を紡ぎだすのは、人の音。これは、祭りの夜だ。
そして、足音が聞こえてくる。
おかしい、これは。
これは、善の足音じゃない。
足音は、止まった。これまでの流れで一番大きい地点で。すなわち、ぼくの、目の前で。
「……子ども? なんでこんなところに居るんだ?」
「だ、れ?」
見える。少し赤らむ頬を滴るのは、汗だろうか。まあるく開いた目からは驚愕が見て取れる。首からは、四角く黒い箱、いやその箱についている円柱を見るに、写真機というものを下げているに違いない。そして、背中にある大きな荷袋を見るに、彼は間違いなく余所者だ。
彼は、瞬きを数度繰り返し、何かを思案する素振りを見せたかと思うと、ぼくと彼を隔てるその鉄の棒を勢いよく掴んで、叫んだ。
「虐待か!? お前、全身ぼろぼろじゃねーか!」
「……………………」
ぼくは一度、静かに目を伏せる。そして見えた暗闇を泳いで、一つの結論にたどり着いた。
「おにいちゃん、たすけて……!」
じゃりじゃりと、金属が鳴き続ける。重たい体を持ち上げて、二本の脚で体を支えながら、彼へと手を伸ばす。そして、その隙間から出ることが許されているこの鎖で繋がれた腕を外へ。
「ああ! 分かった! 待ってろ、どうにかしてこの鍵をあけ」
彼は、ぼくの手を取った。
そして、消えた。
これで証明される。彼が、余所者で、悪であったということを。
「…………ざんねん。おともだちになれたらよかったのにね」
残念だ。ほんとうに、心から。
「でも、だいじょうぶ。おにいちゃんはこれから」
これから、彼は。
「善人に成れるよ」
そして、ぼくは。
「また、にんげんに近づけた?」
思わず上がってしまう口角を隠すように顔を手で覆い、元の隅へと戻る。
今度は、本当の善の足音が聞こえた。
「___、______________」
頭の中に、さっきの彼を思い浮かべれば、簡単に目から汗を流すことができる。何の意味もなく、何の理由もなく、その目の前の善人を騙すためだけに、ぼくは、なみだ、というものを流すのだ。
ここは、壁の町。
ここは、慈悲と調和と善の町。
ここは、人の踏み入ることの許されない神の町。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます