ヒトミの手紙

   お父さんへ


 敢えてそう呼びます。そういえば、お父さんにこうして手紙を書くのは初めてだね。ああ、でも、小学校のときに書いたっけ。学校の課題でね。あのときは、いつもありがとうとか、そんな言葉を並べたような気がするなあ。まああれはさ、授業の中で「そういう風に書きなさい」っていうムードだったのと、先生に添削されるから気恥ずかしいってのもあって、本当は全然そんなこと思っても無かったんだけどね。でももしかすると、あの時からわたしはずっとお父さんに言いたいことがあって、言えないことがあって、それをこの手紙で、やっと言葉にできるのかもしれない。

 お父さん。好きです。ああこれはね、いま受験勉強で論文の対策もしてて、結論から入れって口酸っぱくして言われるから、とりあえずこういう風にして書いてみたんだ。いろいろ書きたいことはあるけど、やっぱ一番に伝えたいのはこれかな。知らなかったでしょ? だってお父さん、わたしと居るとき、いつも申し訳なさそうだもんね。あれ、どうかと思うよ(笑)。お父さんは、あなたが思ってるより、ずっと立派な人だよ。頑張って働いてくれてるし、料理は美味しいし、優しいし、賢くて、いつもちゃんとしてる。知ってる? マリー、ちょっとお父さんのこと好きなんだよ。でもマリーより間違いなくわたしの方がお父さんの魅力を分かってる。実はそのことで、マリーと喧嘩したことがあるんだ。まあ仲直りはしたけど、今でもわたし、マリーにはお父さんを渡したくないって思っちゃうな。他の誰にもね。お母さんにだって。

 わたしはね、お父さんが好きだけど、ひとつだけ、許せないことがあるんだ。何でうちにはお金がないのか、わたし、知ってるよ。お父さん、今でもお母さんに仕送りしてるでしょ。毎年増えて、先月は二十万も入れてたよね。手取り三十しかない癖に、そんなに仕送りしてたら、そりゃお金貯まんないよ。本当に馬鹿だよね、あなたは。そんなところも、まあ好きなんだけど。

 あのね、お父さん。お父さんが仕送りしてるお金は、もうお母さんには届いてないの。驚いた? 全部、わたしの手元に入ってるんだよ。わたし、小学生のとき、実はお母さんに会ったことあるんだ。知ってる? お母さん、すぐ近くの隣町に住んでるんだよ。すごい偶然だよね。お父さんはわたしが幼い頃から家計をわたしに任せてくれてたから、何かおかしいなっていうのはすぐに分かった。で、お母さんに仕送りしてるんじゃないかっていうのも、何となく想像がついた。女の勘なのかもね(笑)。

 そうなると、やっぱりお母さんに会いたくなるじゃん。今は学校でね、インターネットの実習っていうのを盛んにやってて、学校にもちゃんと個人のパソコンがあるし、そこではいろんなことができるの。まあ、お父さんの好きなアダルトサイトとかには繋がんないみたいだけどね。あたしが探したかったのは、アダルトサイトよりもよっぽどやばい、お母さんの居場所。すごく興奮したな。で、結構苦労するかと思ったんだけど、SNSがこれだけ広まってる時代だと、個人情報ってザルなのね。ネットに詳しい友だちにも教えてもらって、お母さんの名前で検索し、順々に辿っていったら、お母さんの連絡先はすぐに見つかった。あ、お母さんの名前は、納戸の段ボール箱に入ってる手紙を漁って勝手に調べちゃった。そういうの、もっと整理しといた方がいいよ(笑)。お父さんが昔書いた詩も見つかったよ。ごめんけど、下手だよね(笑)。中学生のがよっぽどうまく書くよ(笑)。

 お母さんに何て連絡取ればいいのか、それはすごく迷った。だってその時点では、当てはたったひとつのメールアドレスしか無かったから。お母さん、わたしを置いて逃げちゃったんでしょ? そういうのも詩の中に書いてあったよ。解読は大変だったけど、そういうことにすればお父さんの普段の素っ気なさも説明付くと思って、ああなるほどなあって。お父さんからは、「お母さんは死んだ」って聞かされてて、お父さんは嘘つきだから、それは半分しか信じてなかったんだけど、半分では本当かもしれないな、と思ってた。でも詩を読んで、お母さんは生きてるんだって、わたしは確信した。あの詩は下手だったけど、間違いなく生きてる人を思って書かれた詩だったから。でも、だとしたら、お母さんは間違いなくわたしのこと嫌いだったよね。連絡とかしたら、間違いなくうざいと思われちゃうよね。もうお母さんにも自分の生活があるんだろうし。もしわたしが変なメールを送ったらお母さんはわたしをあっさり切っちゃうに違いなくって、もう連絡は取れなくなるから、どういうメールを最初に送るべきか、すごく悩んだ。わたしは学校の成績は昔から良い方だけど、そういう大人の問題はすごく難しくて、全然分かんなかった。

 つまり、その問題を解決するために、わたしは多分、大人になる必要があったんだ。わたしは最初のメール、これだけを書いて送ることにした。


〈娘のヒトミです。連絡下さい。相談したいことがあります。わたしの言うことを聴いてくれるなら、お母さんとちゃんと離婚するよう、お父さんを説得します〉


 これは賭けだった。お母さんがまだ生きてるんなら、お父さんは絶対、籍を抜いてないと思った。お父さん、そういうところあるもんね。他人を簡単には切れなくて、それでいつも損してる。まあそれはわたしも同じというか、親子だなあと思うし、お父さんのことは言えないんだけど(笑)。そしてお母さんは、そういうお父さんのこと、きっと嫌いだろうと思った。だからちゃんと離婚できるって知ったら、きっと乗ってくるだろうって。ごめんね。でもわたしは女子だから女々しくてもいいけど、お父さんのそういうところ、モテないと思うよ。わたしにはお父さんの魅力は分かるけど、わたし以外の女の人には、絶対分からないと思う。

 お母さんから返事があるまで、一週間はかかるかなと踏んでたんだけど、これは予想外で、返事はすぐに来た。で、話はとんとん拍子に進んで、わたしとお母さんは会ってお茶することになったんだ。

 お母さんとどういう話をしたとかは、書かないでおくね。聴きたくないだろうし。ただわたしは、あの人嫌いだし、お父さんにはちゃんと離婚してほしいと思った。

 ひとつ、大事なことだから書いておくと、お母さんと話をする中で、わたしが出した条件は、「お父さんが仕送りしてる通帳を返してくれること」。これは思ったより簡単に飲んでくれた。それに、入金されたお金には全然手をつけてなくって、そこはまあ、常識的な人だと思うし、評価してる。まあ、今はいいとこの法律事務所で働いてるらしいから、お金なんか要らなかった、ていうのが本当のところだろうけどね。腹立つよね。で、お母さんが出した条件は、「離婚届にお父さんの判子を貰うこと」。これは、わたしが中学校を卒業するまで待ってほしいって猶予をもらった。お母さんはすごく不満そうだったけど、わたしも大概口が立つから、何とか言いくるめた。

 なんで猶予を貰ったかって? だって離婚したら、わたしはお父さんに付くか、お母さんに付くか、決めないといけない。それをまだ決めかねてたからなんだ。おかしいと思う? そりゃそうだよね、わたしはずっとお父さんに育ててもらってて、お父さんのほうがずっと好きだし、愛着もあるんだから。だからだよ。わたしにとって、「お父さんと他人になる」っていうことは、それなりに価値があったんだ。大嫌いなお母さんと暮らしてもいいと思えるぐらいにはね。分からないよね。分かろうとしないでね。分かられたらわたし、恥ずかしくて死んじゃうかもしれない。

 高校受験を前にして、わたしはやっと決めたんだ。お父さんを、お父さんと呼ぼうって。GLAYのライブに誘った時、お父さん言ったよね。「俺たちはいつか離れなきゃいけないんだ」って。あの言葉が決め手だったかな。あれは言っちゃまずかったよ。お父さんだって知ってるでしょ。わたしはひどい天邪鬼なんだ。お父さんと同じでね。

 だからわたしは、この人と、一生を添い遂げるんだって決めた。娘になって、お父さんと呼んで、一生大事にして、最期を看取るんだって決めた。もう決めたんだからね。お父さんのせいなんだから。文句言いっこなしだよ。ざまあみろ、バーーーカ!


 p.s.高校合格したら、GLAYのライブ、一緒に行こうよ。


ヒトミ

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