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「えっ、めっちゃ人おるやん!」

 神社に着くなり、ヒトミは白い息を吐き散らかしてそう叫んだ。ちょっと楽しそうな声。ヒトミは俺と違って、昔から人混みが好きなんだ。

「おー、拝んでさっさと帰るか」

 俺はジーンズのポケットに手を突っ込んだまま、気怠い声を出した。神社は一番近所にあるやつで、そんなに有名なとこでもないと思うんだが、周りには他に神社がないもんで、浜かもめ団地の住人がみんな集う。団地は廃れたっつってもやっぱバカでかいから、人口はそれなりに多く、それが一堂に集まるとこんぐらいの人出にはなる。つうか、夜ならまだ人は少ねえと思ってたんだが、みんな同じこと考えるんだな。

「えー、お祓いしてもらおうよ、わたし、厄年なんですよ」

 ヒトミが俺を振り返ってそう言った。甘えるような声を作んな。俺の腕を引っ張んな。

「嘘をつくとき敬語になる分かりやすい癖を止めろ! つうか意味なくしれっと嘘つくなよ。女の厄年が十八歳だって、いくらなんでも俺でも知っとるわ」

「さっすがミキオ係長。一般教養が豊富でいらっしゃる」

「……教養テスト欠点で係長の昇進試験に落ちた嫌味かそれは?」

「ほらほら、厄がついてる。やばいよ、落としてもらわないと、悪いこと起こるよ。ミキオも会社、クビになるかもよ」

「まじで、俺から離れてくれ」

「やだ、放さない」

「つうかおみくじ引けよ。どうせ大吉だから、それで良いじゃん。正月のおみくじ、だいたい大吉だから」

「やだ、変な種明かししないでよ。運気下がった」

 人混みに揉まれながら、俺たちはゆっくりと進む。入り口で紙コップの甘酒を貰って、身体がぽかぽかした。ヒトミの頬が林檎みたいに赤くなっててからかってやった。ヒトミは休暇に入ってから剃ってない俺の髭を引っ張って遊んだ。正月ゆえの興奮もあんのか、周りもみんなテンションが高く、釣られて気分が高揚する。なるほど、まあ人混みも悪くねえかもな。

 やっとのことで正月仕様のでっかい賽銭箱まで辿りついて、俺とヒトミは五円玉を握りしめ、同時に、ぽい、と放り込んだ。からからと音を立てて五円玉が跳ね、奥に吸い込まれるのを確認して、俺とヒトミは並んで手を合わせた。願い事はもちろん、ヒトミの受験合格。でもなんつうか、それはただの手段って感じがする。本当に願ってることは、ヒトミに一番叶えて欲しいことは、それじゃないんだよな。そう思って、俺は目を瞑った後、願い事を「ヒトミの願いが叶いますように」に変えた。それが一番いいし。どういうもんであろうとも。正月の神さま、クソ忙しいから、俺の願いなんて叶えてくれないだろうけど、もし何かの気まぐれで叶えてくれるんなら、その分でヒトミの願いを叶えて欲しいな。俺にとってヒトミは引換券かもしれねえ。それ以上に、俺はヒトミにとっての引換券になりてえ。まだ赤ん坊のヒトミを引き取った時、「こいつを絶対幸せにしてやる」って決めた、あの気持ちだけは嘘にしたくねえんだ。

「いやいや、どんだけ真剣に願い事してんだよ。迷惑だろ。神さまにも、後ろで待ってる人にも」

 ヒトミが半笑いで俺の腰を突いた。うっ、と俺は呻き声を上げ、ヒトミは意地悪くにやつく。いつも思うけど、何でこいつ、俺の急所を的確に突いてくんだろな。

「行くぞ! 次はおみくじだ!」

 俺は照れ隠しみたいにヒトミの袖を引っ張って、人混みを押しのけ、巫女さんが並ぶ販売所に向かった。ヒトミは「痛い痛い腕がもげる」って言ってたけど、知ったこっちゃねー。

 販売所もなかなかに長い行列ができてた。巫女さんたちはみんな若い子だった。ヒトミが受ける女子校はバイトは禁止なんだけど、郵便局の年賀状の仕分けと巫女のバイトだけは許されてるんだって。「巫女のバイトやってみたら?」って軽い気持ちで言ったら、「わたし、処女じゃないから、できないんだよね」って神妙な口調で返され、俺はつい絶句しちまった。そしたらヒトミは爆笑して、俺の肩をばんばん叩きながら、「信じた? 信じた? なわけないですよ! つうか何まじショック受けてんだって!」とまくしたて、俺はだいぶ気まずい思いをした。いつもならヒトミの後ろ頭を思い切りはたいてやるんだが、それもできんかった。自分でも恥ずかしいわ。顔が耳の先まで真っ赤に染まってるのが分かる。なんでヒトミが処女じゃねえってことなんかにショック受けてんだよ。いい年した大人が、童貞かよ。ヒトミがひとしきり笑い終えた後、目元の涙を拭いながら、「あーこんなしょうもないことが新年初笑いなんて、今年はいいことあるわ。高校合格間違いなしやな」って皮肉っぽく言って、それはちょっと、救われた。こんなことでヒトミが高校合格できるなら、もっと馬鹿をやってやってもいい。

 列がゆっくり進んで、小高い木の段を上がったところにある巫女さんの販売窓口まで辿り着いて、びっくりした。そこに座っている巫女さんはマリなのだった。

「あれ、マリじゃん」

 俺が目を白黒させて言うと、背後からヒトミが顔を覗かせて、

「なんて美しい。腐敗した大地に父ゼウスが遣わした天女のようだ」

 と、俺の両手首を握り、マリオネットみたいにへんな動きをさせながら言った。いや、俺を操るのやめろよ、そんな口調じゃねえし。あと、神道なのに「ゼウス」ってなんだよ。つうか、ヒトミはマリがここでバイトしてることを知ってたんだな。そりゃそうか。十五歳はバイトできないんじゃなかったか、と一瞬思ったけど、面倒くさそうだから訊かんかった。まあマリは大人びてるから二十歳ぐらいにも見えるし。それにヒトミが言った通り、巫女さんの服がよく似合ってた。いつもと違って化粧をしてないんだが、その方がよっぽど綺麗に見える。白熱灯に照らされるうすく汗ばんだ生肌が清らかだ。うん、天女みたいじゃん。

「あたしも嬉しいなあー。こんなに巫女さんいるのに、ミキオさんとトミーに会えるとか、超ラッキー。会えたらいいな、ってちょっと思ってたんだよ」

 マリは微笑んで言った。澄ましてると大人にしか見えねえけど、その嬉しそうな笑顔はやっぱ十五歳らしく無邪気なもんだった。

「えーと、おみくじひとつ」

 ヒトミとマリが話しだすと長くなりそうで、後ろの客からの殺気もすごいんで、俺はさっさと注文することにした。

「えっ、ミキオはおみくじ引かないの? あと、絵馬ぐらい買ってよ。合格祈願なんだから」

 ヒトミがまた俺の腕を掴んで言った。こいつ、今日やたら近いな。正月だからか知らんが、胸が当たるから触んな。

「あーじゃあ、絵馬ひとつ。俺はおみくじはいいよ。別に信じてないし」

 俺がヒトミを振り払いながら言うと、ヒトミは俺を押しのけるようにして、

「マリー! おみくじもうひとつお願い!」

 と指を一本立てて言った。

「おい!」

 俺が振り返って声を荒げると、ヒトミは口を尖らせて、

「わたしが買うんだからいいじゃん。ちょっとは運試ししなよ。わたしにだけ引かせるとか超卑怯だよ」

 と言った。まあ、卑怯ってのはそうかもしんないな。おみくじに興味なんて全然ないが。

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