ずっと、一緒に

第3話 涙

　約束通り、和寿（かずとし）は店の前に立っていた。手をこすり合わせて、少し身を縮めている。

「和寿。ごめん。待たせたね。寒かっただろ？　中にいても良かったのに」

　今さら、と思いつつも、言わずにはいられなかった。

「大丈夫かな、と思ったんだけど、今夜は結構気温が下がったな。こんなんじゃ、バイオリン弾けません」

　おどけたように言う姿を見て、少しほっとした。

　ワタルは、和寿の両手を自分の両手で包み込んだ。本当に冷え切っている。これで楽器を演奏するのは無理だ、と思った。そして、その瞬間、何故だかわからないが涙が流れ出した。そんな自分に戸惑わずにいられなかった。

「どうした？　なんで泣くんだよ」

　首を傾げて顔を覗いてきたが、彼はすぐに目を閉じ、口許に笑みを浮かべると、

「ああ、お前の手、あったかいな。ありがとう」

　優しい声。その声が、ワタルをよけいに泣かせた。

「何で泣いてるんだろうね。自分でもわからないけど、泣けてきちゃって。どうしてだろう。僕、変だよね」

　涙は拭わず、和寿の手を包んでいた。

　離したくない。

　しかし、それは望んではいけないことだ。

　ワタルは和寿から手を離した。すると、和寿は驚いたように「え？」と言った後、ワタルの手を握ってきた。

「離すなよ。寒いじゃん」

　そう言って笑った。ワタルは首を振った。

「それはどういう意味？　なあ、ワタル。何か言ってくれよ」

「話って、何だい？」

　感情が揺れて、声が震えていた。恥ずかしい、と思ったが、どうしようもない。

「話ね。そんなにたいした事じゃないんだけどさ。今度、ちょっと出かけてくるから」

「今度っていつ？」

「ゴールデンウィークの前半。母の兄が弦楽器を制作してるから、久しぶりに工房を見させてもらうんだ。最近オレ、ちょっと調子悪いから、見てみたら何かが変わるかなと思って」

　和寿の伯父は、ワタルの実家がある県に住んでいるらしい。

「え。そうなんだ。すごい偶然だね。何だか親近感が湧くよ」

　涙は止まっていた。和寿は以前のような自然な笑顔で、

「じゃ、一緒に行くか」

　うっかり、行きますと言いそうになったが、

「ダメです。僕には仕事があるし、宝生（ほうしょう）先生との約束もあるんです」

「いいじゃん、そんなの。断っちゃえば？」

「そんなこと、出来ません」

「意地悪だな」

「結構です」

　言い合いをして、そして笑った。

　和寿と笑いあったのはいつ以来だろう。半月前か、一か月前か。ここの所、いつでも黒い雲に覆われたみたいだったが、今この瞬間は晴れ渡っていた。

「一緒に行ってくれないなら、まあ、仕方ないな。お土産、何買ってこようか」

　和寿の問いに、

「別に何もいらない。だって、地元なんだから。それより、気を付けて行ってきてね。帰ってきたら、話を聞かせてよ。どんなだったのか。楽器作るのって見た事ないから」

　ワタルが和寿を見つめると、彼は頷いて、

「わかった。土産話、楽しみにしてなさい」

　笑顔で言った。

　ワタルから手を離すと、和寿は手をひらひらと振り、

「じゃあな。お疲れさま」

　ワタルとは逆方向に歩き出した。ワタルもすぐに向きを変え、歩き始めた。心が軽くなり、一人だというのについ顔がほころんで、困った。