何か悪いことしたか、俺 ―関ヶ原合戦軍馬余話―
中岡潤一郎
第1話
「よしよし。よく辛抱したな」
俺の背中で、鎧武者がつぶやいた。その手はゆっくりと首をなでてくる。
「いよいよ合戦だ。今日こそ勝って、いい馬草を食わせてやるからな。もうひと踏ん張りだぞ」
けっ、何を言う。
お前さんを乗せるようになってから四年になるが、うまい餌に出会ったことなんて、一度もねえよ。雑草に毛が生えたような代物ばかりで、こっちの胃はとうに荒れ果てちまったよ。
俺が鼻を鳴らして首を振ると、鎧武者は笑った。
「はは。血がたぎるのか。わかるぞ。このまま敵を蹴散らしてやろうな」
武者の顔は正面を向く。
視線の先には、敵の騎馬勢が並んでいた。
ちょうど丘を越えて姿を見せたところで、数は1500、いや2000か。
すでに鉄砲衆はやられていて、敵と俺たちを遮るものはない。
いよいよ騎馬同士の激突であり、本来だったら血が騒ぐところだが。
俺は周囲を見回して、吐息をついた。
狭い平地に集まる味方の騎馬は、わずか300。足軽を加えても1000がいいところだ。
倍以上の騎馬武者と戦うのは、かなり厳しい。
最初の一撃で突き崩されたら、それでお終いだ。
どうして、こんなことになっちまったのかね。
考えてみれば、ちょっと前まで人間だった俺が馬に生まれ変わることがおかしい。輪廻の果てとはいえ、これはなかろう。
しかも、ここで天下分け目の大戦おおいくさに狩り出されるとは。最悪もいいところだ。
この関ヶ原っていう、狭い地に出てきたは三日前のことだ。
味方の数は多くて、楽勝だって思われていたが、いざ戦いがはじまってみると、動くはずの兵が動かなくて、逆に動かなくていい奴が思いきり動いていた。で、気づいた時には、すっかり追い込まれていた。
今や回り全部が敵。
正面の2000を打ち破ったって、その奥には5000の兵がいる。
横にも2000ぐらいいるかな。
見事に囲まれちまって、逃げ場すらない。
なのに、俺の主と来たら……。
「あれだけ敵がいれば、首の三つや四つは取れるな。手柄は立て放題。うまくやれば知行は倍だぞ」
笑ってやがる。いい気なモノだ。
元々、のんびりしていたが、ここまでとは。怒るより呆れるわ。
俺が正面に顔を向けると、太鼓の音色が響いた。
ようやく味方の騎馬武者が隊列を整える。
お、いよいよ突撃か。
主が手綱を振るので、仕方なく俺も隊列に並んだ。
「かかれえ!」
大将の声にあわせて、300の騎馬武者が馬蹄を轟かせて前へ出る。
「行けえ!」
主は激しく俺の腹を蹴った。
痛えぞ、くそっ。
重い鎧武者を乗せて、俺はひたすら前に出る。
敵との間合いはたちまち詰まる。
数はさらに増えている。
3000、いや、もっとか。
やっぱり、負け戦だよ。本当にツイていない。
……あのな、今まで言わずにいたが、俺、実は、馬になる前は立派な侍大将だったのよ。
それも一つの国を支配する大名ってやつ。
戦ばかりの世で懸命に戦って、でっかい版図はんとを手にしたのさ。
まあ、最後は下手を売って、ちょっと派手に死ぬことになっちまったがな。
今度、生まれ変わったら天下を取ってやろうと思っていたが、まさか馬になるとは。
しかも、ダメな主人に捕まって、負ける側につくなんて。
何の因果か。
そんなに悪いことしたかね、俺。
喊声に押されて、俺は小さな川を飛び越え、敵騎馬武者の左側に回り込んだ。
それに気づいて、敵の200ばかりが、こちらに向かってくる。
何だよ、動きが早えな。
これじゃ、やられちまうじゃねえか。隙がなさ過ぎてつまんねえぞ。
さすがに今度、生まれ変わる時は、もっと気楽な生き方をするかね。虫とか、魚とか。
少なくとも合戦は避けたい……
俺が正面を見ると、敵武者もこちらを見ていた。視線がからみあう。
血がたぎる。
合戦の熱気を受けて、気分が高まる。
そうよ、これよ、これ。
ありえねえよな、合戦のない世界なんて。
己の力をぶつけて、欲しい物をぶんどる。馬を駆り、槍を振るい、武者の首を取る。
それに優る楽しみはない。
負けようが、何をしようが知ったことか。
俺は俺のために戦う。当然さ。
前の人生でも最後はうまく行かなかったが、平蜘蛛の茶釜を吹っ飛ばした時はおもしろかった。天下の名品を打ち砕いてやったんだから、ざまを見ろってところだ。
さあ、行くぜ、馬鹿ご主人。
道を切り開いて、でっかい版図を手にしようぜ。
俺がいななくと、主は笑った。
「おう、よい心意気だ。徳川家康の首、我らの手で刈り取って見せようぞ」
おう。あんな三河の木っ端侍に負けてなるかよ。
俺は四肢に力を込めて前進する。
間合いが詰まって、徳川の騎馬武者が正面から槍を振るう。
それを主は受け止める。
血の臭いが鼻をつく。
さあ、合戦だ。
我が名は
大和一国を制した底力、見せてやるわ。
何か悪いことしたか、俺 ―関ヶ原合戦軍馬余話― 中岡潤一郎 @nakaoka2016
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