オルフェウス死霊浪漫譚

きばとり 紅

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ラスト・ゾンビ・ソルジャー


 プリシィア王国はエイジ1677年7月、王宮参事会並びに国王の連名により、王国軍は軍制における死体魔術製戦列歩兵、いわゆるゾンビ兵を全廃し、新式のゴーレム兵へ転換することを決定した。

 プリシィア大陸軍グランダルメは決定の通達を受けて現行のゾンビ兵集団の解体を開始した。通達時、大陸軍に配備されたゾンビ兵の数はおよそ五千体にのぼり、その中でも最精鋭とされた知性化ゾンビ兵百体に対しては早急な武装解除が求められた。

 知性化ゾンビ兵作成の権威として知られた将軍ヨハン・ペールギュンデ伯爵らの抵抗が予想されたものの、周囲の警戒に反し、伯爵らは率先して知性化ゾンビ兵の解体に同意した。

 ……だが、ここで大陸軍上層部と王宮参事会の危惧していた事態が発生する。

 一つは、解体を待つ知性化ゾンビ兵の一部が拘束を解いて脱走、行方不明になるという事件が起こった。大陸軍は至急の捜索活動を開始したものの、その消息は分からなかった。

 脱走ゾンビ兵への対応に現場が混乱する中、第二の事件が発生する。

 ペールギュンテ伯爵が突如として失踪してしまったのだ。


「それで私が伯爵の捜索に?」

「そうだ。貴殿にはゾンビ兵捜索の任務から外れてもらうことになる」

 斥候装備ゴーレム兵を連れてゾンビ兵を探しに行った俺は、目撃のあった地域を虱潰しに調べたものの、なんの成果もなく帰還した。

 その矢先に、上官であるロダン将軍から言われたのがこれだ。

「ゾンビ兵捜索には時間が掛かる。だが伯爵の発見は急を要するのだ。わかるな?」

「……ペールギュンテ伯爵はゾンビ作成の権威であられた。抵抗はしなかったが、内心で造反の意思を持っていなかったとは言えない」

「むしろ当然、造反するだろうと誰もが思っていた。それほど強硬な反ゴーレム派であったからな。だが実際は違った。恐ろしいほど従順に、ゾンビ兵の廃止と解体に協力してくれた」

「軍は伯爵が何か思惑があって行動したと考えている? そして今回の失踪にもそれが絡んでいると?」

「断定はしないが……」

 ロダン将軍は言葉を濁したが、ほとんどそれは言っているようなものだな。

 だが、まぁいい。

 華々しい戦闘があるわけでもないゾンビ狩りに出向くよりは歯ごたえがあるだろう。

「了解しました。伯爵の捜索と確保は私めにお任せください」

「うむ。頼んだぞ、ドリジャ―ル・セルジュゲイル男爵」


 

 とは言ったものの、伯爵の消息の手がかりになりそうなものはそう多くはない。

 伯爵の邸宅タウンハウスには捜索が入っているが、めぼしいものは何も出てこなかったそうだ。

 ……ということは、伯爵の失踪は突発的なものではなく、計画的な行動だったことが窺える。

 ゾンビ兵製造部門のトップにいた伯爵が協力してくれたことで、ゾンビ兵の解体と廃棄は予定より速やかに進んでいた。ゾンビを解体するには組み込まれている霊体との繋がりを遮断してやらねばならないのだが、これは高位の死体魔術が使える人物でなければ難しかったのだ。

 当初はゾンビらしく、肉体構造を破壊して無効化しようという案も出されたが、霊体が組み込まれたままのゾンビは修復が効く。それさえ出来ないほどに破壊するなら、いっそ魔術的に分解してしまった方が早い。

 伯爵の手で組み込まれた魔術が解かれ、霊体が抜き出されたゾンビは文字通りの死体へと還元された。あとは土に埋めるなり燃やすなりすればよい。

 ……待てよ。

「ゾンビの肉体は俺たちが処分した。じゃあ、抜き取られた霊体はどうなったんだ?」

 そもそも死体魔術で作られたり、自然に浮遊している亡霊などを捉えて死体に入れたものがゾンビだ。

 一度作られたゾンビなら、製作者以外でも条件次第で使役が出来る。だから死地に赴く兵隊として使われてきたわけだが……。

 ……だめだ、俺一人でいくら考えても伯爵の行動を予測するには知識が足りない。

「……よし、なら、酒は酒屋に聞くべきだろうな」



 俺が向かったのは、王都に構える我が一族のタウンハウスだ。正確には、タウンハウスが繋がっている離れである。

 標準的な市民の邸宅よりちょっとマシ程度の、貴族の住む場所としてはみすぼらしい場所だが、そこに俺の弟が住んでいる。

 呼び鈴を鳴らす。戸口の奥から現れたのは、黒づくめで性別も分からないような姿をした従僕だ。

「オルフェは在宅か? 話があるのだが」

「おうせつまて゛ おまちくた゛さい・・・・・・」

 聞き取りづらい声で答えた従僕が奥へと消える中、俺は勝手知ったる足取りで応接間へ入り、スタントバーから適当に酒を注いで待った。

 やがて応接間にやってきたのは、汚れた金髪をした白衣の男だった。顔を見ると暫く休んでいないらしいことは明白だ。

「また徹夜してたのか。少しは身体を労われよ」

「気が付くと朝になってるだけだよ。ちゃんと寝てるさぁ」

 白衣の男は俺の正面に座ると、黒づくめの従僕がすかさず珈琲を注いで差し出した。

「うーん、良い香りだぁ」

「せっかくのスタンドバーも家主に相手されなくて泣いてるぞ」

「だって酒呑めないしさぁ。……それで? ドリジャは何の相談をしにきたのかな」

「相談だと分かる、お前の地頭の良さは好きだぜ、オルフェ」

 こいつはオルフェウスという、俺の弟だ。軍人貴族の家門に生まれたくせに、軍事ではなく魔術に傾倒した変わり者で、しかもペールギュンテ伯爵と同じ死体魔術に精通している。

「大陸軍でゾンビ兵を廃止したことは聞いてるか」

「いんやぁ。そうか、ゾンビ兵からゴーレムに替えるんだね。時代の流れだねぇ」

 珈琲を啜ったオルフェの視線が悲し気に漂っていた。

「ペールギュンテ伯爵が行方不明になった。途中まではこちらの要望に従ってゾンビの解体に協力していたのに、だ」

「それで伯爵がどこに行ったのか、僕に考えてくれと」

 眼を瞬かせてオルフェは俺を見ると、珈琲に目を移す。

「ゾーエ、珈琲お代わり。あと食べるもの」

「しょうしょう おまち くた゛さい」

 黒い従僕が頷き応接間から出ていった。

「……もう少しどうにかならないのか、あの従僕は」

「いろいろ仕込んでるんだけどねぇ。それこそ伯爵ほどの腕があれば、あれくらいのゾンビへ流暢に会話機能を持たせることができるんだけど」

「それだ。伯爵が、いや、死体魔術がゾンビを作る際の霊体は、解体された時どうなるんだ」

「何も対策をしなければ、紐づけされていた肉体との接続が停止すれば自然に消滅するよ。でも僕が伯爵なら、知性化ゾンビの霊体を消滅させるなんてもったいないことはしないかなぁ」

「もったいない?」

「そうさ。ゾンビの肉体と違って、霊体は経験を積んで成長するからね。できれば回収して別のゾンビを作る時に再利用したい」

 オルフェが説明するに、魔術師が作る人工霊体は手間もかかるし初動も悪いが、改修と経験を繰り返すことで機能が拡大され、より複雑な挙動や判断がとれるようになるらしい。

「逆に、その辺に漂っている自然の霊体を使えば、ある程度は自動で動いてくれるよ。それはそれで、使い勝手もいいしね」

「なるほどな……じゃあ伯爵は、手塩にかけて育てた霊体を回収するために、解体に協力したわけだ」

「そして回収が終わったから姿をくらました。新しいゾンビ兵を作るために」

「ゾンビを作る材料は? その辺の埋葬所から死体を盗み出しでもするのか」

「いや……そうはしないかな」

 オルフェの目がなにがしかの思案に漂った中、従僕が部屋に戻ってきた。手押しのカートには新しい珈琲のポットに、クリームの盛られたパイが乗っていた。

「のみものと たへ゛ものを おもちしました」

「はい、ありがと。うーん知能に沁みるねぇ……」

 目の前に並んだそれを、オルフェは夢中で腹に入れている。無邪気な顔をする、まるで子供みたいだ。

「……あ~、ドリジャも食べる?」

「俺はいいよ。そうだな、これのお代わりを注いでくれ」

「かしこまりました」

 従僕にグラスを渡すと、奴はスタンドバーに持って行って酒を注いでくれた。

 その動きには不自然なところはない。まるで生きているみたいだ。

「伯爵の行動は計画的だね。きっと以前から考えていたことなんだろう。プリシィア王国を出し抜いて、自分だけの、最強のゾンビ兵軍団を作るっていう」

「最強のゾンビの軍団……?」

「恐れない、死なない、そして強い。どんな状況でも戦い続け、命令を守り、そして」

 喋っている間にも皿の上のパイを平らげたオルフェが、フォークの先を俺に向けた。

「いくらでも作り直すことができる」

「そんなゾンビを作る材料を、伯爵は前々から用意していた。……どこに?」

「ゾンビの材料はもちろん死体さ。骨、肉、神経、皮膚組織。軟組織がたくさん残っているほどいいけど、後から置き換えもできる。それでも質のいい死体を使うのに越したことはないね。例えば」

「前線で倒れた兵士とか、か」

 ペールギュンテ伯爵は将軍だった。過去、幾度もゾンビ兵を率いて戦場を駆け抜け、名に負けない軍功を建ててきた。

「戦死した無名兵士を埋葬する集団墓地なら、死体を隠しておくのに最適の場所じゃないかな。傷まないように防腐処理しておけば、いつでも引っ張り出してゾンビに出来る」

「そうか! しかも集団墓地なら王都にも近い」

「叛乱を起こすなら今だろうね」

 口元に残ったクリームを舐めとるオルフェの目に確信の光が見えた。

 


 集団墓地の地下埋葬所へと続く鉄扉がある。普段ならそこは重厚な鎖と鍵で封印されているべき場所だ。

 しかし目の前には、千切れて揺れる鎖があり、虚ろに開いた両開きの鉄扉があった。

 タウンハウスから馬車を飛ばしてここにやってくるまで、俺はオルフェの推理が外れていてくれればと思っていたが、これを見せられてはそうも言っていられない。

「間違いなさそうだね。あれを見てよ、墓を掘り返した跡があちこちにあるよ」

「見えてるよ。……しかし、お前まで着いてくる必要はなかったんだぞ。これは軍の命令でやっていることなんだから」

「まぁまぁ、そう言わないでよ。僕も伯爵の死体魔術には興味がある。それに、何かあればゾーエがいるしね」

「おるふぇうすさまは わたしか゛ おまもりします」

「ね?」

 いい歳をして、まるで子供のようなことを言う弟に俺は頭を抱える。

だがこれでも優秀な死体魔術師であることに変わりはない。それに多少の武術の心得くらいはこいつもある。現に今、手には螺旋槍スピアを握っている。

「ゾンビ兵が完全に起動するまでどれくらいかかる」

「霊体を死体に定着させて、慣熟運転にどれくらいかけるかによるよ。でも、どんなに急いでも四十八時間はかかる」

「伯爵が失踪してそろそろ丸二日だ。時間がないな」

 もう少し余裕があれば、陸軍基地まで戻って捕縛用ゴーレムを連れてくることも出来たというのに。

「こうなれば強硬手段だ。行くぞオルフェ。お前もセルジュゲイルの男だ、老骨伯爵なんぞに後れを取るなよ」

「分かっているさぁ」

 のんびりとした声に不安を感じながら、俺たちは地下埋葬所に足を踏み入れる。

 すぐさま暗闇を照らすための光が、追従している従僕ゾーエの手から放たれた。

「便利だな」

「でしょ」

 中はそれほど複雑な構造ではない。左右の壁龕へきがんに棺が嵌っているのがどこまでも並ぶ下り勾配が続き、地下深く降りていく。

 足元が広くなったな、と思って見渡すと、いたるところに骨を用いた装飾が施された壁や柱、天井を支える梁やシャンデリアが見えた。

「これは一種の魔術増幅器だよ。術者の魔力を循環加速させて効果を高めるためのものだ」

「どうしてそんなものがここに……」

「儂の魔力を補うためだ」

 しわがれた声が闇の奥から響いた。

「よくここが分かったな。若いセルジュゲイルよ」

「ヨハン・ペールギュンテ伯爵!」

 誰何された主は問いかけと共に明かりを灯し、俺たちの前に現れた。

「戦場では狂犬の如き苛烈さで戦うお主だが、存外知恵も回るようだな」

「……伯爵。あなたの身柄を確保せよとの命令を受けている。大人しく従ってもらえるか」

「断る。儂の生涯を掛けた研究の結果を見るまでは、何人たりとも儂に触れさせるつもりはない!」

 伯爵の叫びに合わせて、四方の壁や柱の陰から人の姿をした物が飛び出して、俺たちに迫った。

「これは!」

「知性化ゾンビ兵だね。処分を免れて失踪したと聞いたけど」

「儂への注目を逸らすための囮として、敢えて分解を遅らせた個体だ。適当に軍の注目を引かせてから、儂の元へ集合させたのよ」

 知性化ゾンビ兵は一見すれば完全武装した歩兵のように見える。しかし、よく見ればその衣服はぼろぼろだし、露出する肌は腐食して土気色になっている。顔は包帯が巻かれて、崩壊を辛うじて食い止めている。

 虚ろな表情のゾンビたちだが、その動きは熟練の戦士と遜色がない。まるで隙が見当たらない。

「抵抗は無意味だ。お前たちが捨て身で掛かったとしても、このゾンビ兵たちと刺し違えるのがせいぜいだろう。儂はあとでゆっくりとこいつらを修復させるだけだ」

「ドリジャ、ここは大人しく伯爵に従うとしよう」

 オルフェは早々に抵抗を諦めたらしく、螺旋槍を床に投げ捨てて降伏した。

 ……俺は迷った。が、確かにここで暴れても無駄に終わるだろう。腰に差していた鎖刃剣ソードを同じように捨てた。

 俺たちの武器は速やかにゾンビ兵の一体が回収してどこかへと消えた。

「さあ着いて来い。ここまで来たからにはお前たちも利用させてもらわねばな……」

 ゾンビ兵たちに囲まれたまま、俺たちは伯爵について地下を歩かされた。

「軍も王も何も分かっておらぬ。ゴーレムのような不完全な代物で、儂のゾンビ兵の代わりが務まるなどと考えているのだからな」

「伯爵はゴーレム魔術に不満があるんだね」

「当然じゃ! ゾンビ兵こそ究極の戦士、完全なる兵士として作り出されたすばらしい魔術よ。そうは思わぬか、若きセルジュゲイル、オルフェウス」

 伯爵はオルフェのことを知っているらしい。オルフェは場違いな気の抜けた笑みで答えた。

「死体魔術の碩学せきがくで知られたペールギュンテ伯爵に名前を覚えて貰えているとは、嬉しいことです」

「スティグリッツ・セルジュゲイルの次男坊がイケーの魔女に師事して死体魔術を修めたとは聞いていた。その従僕は貴様の作だろう」

 オルフェの命令がないまま、従僕ゾーエは俺たちと一緒に歩いているのを伯爵は見た。

「お目汚しの出来で恥ずかしいなぁ。それに比べれば伯爵のゾンビは本当によくできている。霊体に組み込んだ命令が良く練られている……でも、これを新しい肉体に入れ替えるのは相当に大変そうだ」

「然り。儂の精魂込めて作り上げた人工霊体は儂の命令と経験知によって、非常に複雑な構造となっておる。故に、まっさらな新しいゾンビ肉体に定着させるには莫大な魔力が必要になるのだ」

 伯爵はそう言って地下を照らし出した。伯爵の明かりが見せたのは、無数の人骨が複雑精緻に組み合わされて作られた巨大な玄室だった。ドーム状の天井、壁面や柱、床に至るまで、白骨の鈍い白で覆い尽くされている。

 ……その玄室の中心に、鉄製の多段ベッドが何台も置かれていた。そのベッドに囲まれた場所にこれまた骨で作られた立派な椅子がある。……まるで玉座だ。

「これぞ、儂が作り出した死体魔術増幅装置と、厳選された死体を用いて作られたゾンビ兵アセンブルじゃ! 儂が回収した知性化ゾンビ兵霊体を用いて、こやつらを起動させる。じゃが、儂も老いた。これほどの増幅装置があっても起動のあかつきには死の危険があったが、おぬしたちを装置に繋ぎ、生体増幅器として利用するとしよう」

 伯爵の指示がゾンビ兵たちに伝わったのか、俺たちはゾンビ兵に引っ張られて、その増幅装置とやらの近くに立たされ、両手を鋼線でギチギチに縛り付けられてしまった。

「くっ、離せ! オルフェはともかく、俺が魔力の増幅なんてできるわけないだろ!」

「ドリジャ、それはひどいなぁ」

「これだから不勉強な軍人は困る。よいか、若きセルジュゲイル。貴様の意思や経験など、儂には何の価値もない。必要なのは、新鮮で健康な筋肉、神経、骨、体組織じゃ。それを大人しく提供せい」

 滔々と話しながら指を突き付ける伯爵の目が嫌に澄んでいた。この爺にとって人間は全部、ゾンビの材料か何かに過ぎないのだろう。

「ドリジャ。こりゃまずいことになったね。見たところ、こっちの増幅装置は生体材料を伯爵の肉体の延長に見立てることで、伯爵自身の魔力を増幅する構造だ。このままだと装置から送られる信号で、僕らの身体から強制的に魔力を抽出されるだろう。そうなったら僕らは廃人確定だ」

「そう思うんならもう少し抵抗らしい抵抗をしろ!」

 命が掛かっているとは思えないほどオルフェの声音は呑気だ。満足げな伯爵は装置の真ん中にある骨の玉座に座った。

 伯爵は座ると懐からガラス瓶のようなものを出し、その詮を外した。その瞬間、ただでさえ地下空間の底冷えする空気がさらに冷たいものになった気がした。

 横目で窺うと、オルフェは宙へ向けて視線を泳がせていた。

「ドリジャ、君にはわからないだろうけど、今ここには複数の人工霊体が浮遊しているよ。すごい高密度な霊体た。人間の霊体とほとんど遜色がないくらいだ」

「感心してる場合じゃないだろう! おまえも死体魔術師だろ、なんとかしてみせろよ!」

「うむ。ゾーエ!」

 それまで彫像のように微動だにしていなかった黒づくめの従僕が、オルフェの声に応えて動き出す。だが、ゾンビ兵たちも同じく動き出し、ゾーエを取り押さえようと飛び掛かった。

 しかしゾンビ兵の手がゾーエを捉えようとした瞬間、ゾーエの姿を形作っている黒い装束の中から何かが噴き出した。

「なんだこれは!?」

 明かりがつくる陰影の中を無数の小さい影が走り抜けた。そのうちの一つが俺の足から這い上がってくる時、その正体を知った。

「これは……ネズミ?」

「ゾーエは群体型ゾンビだ。99匹のネズミと一匹の猫のゾンビが合体して人の形を取らせているんだよ」

 ネズミのゾンビは俺の身体の上を這い進み、手を縛っている鋼線を前歯で噛み切ってくれた。

「ちょこざいな! ネズミ程度に儂のゾンビ兵がやられるか!」

 ゾンビ兵たちが各自に武器を取って、床や柱にかじりついているネズミたちを攻撃した。だがネズミの一匹一匹はとても小さいためか、ゾンビ兵たちの持つ武器ではうまく攻撃することができないようだった。

「伯爵自慢のゾンビ兵でも、ネズミ駆除なんてしたことはないでしょう」

 自由の身になった俺がオルフェに駆け寄った時、既にオルフェも拘束から脱出していた。その腕には黒猫を抱いている。

「一匹一匹は大した力はないネズミでも、柱や壁を壊すのは得意なんだよ、伯爵。ほら、ドリジャ。僕たちの武器は戻ってきたよ」

 オルフェが示す床の上で、ネズミの群れが波打つ絨毯のように動き、俺たちが投げ捨てた武器が運ばれてくる。俺はそれを拾い上げ、螺旋槍をオルフェに渡す。

「仕切り直しだ。覚悟しろよ伯爵!」

「ふん。若造が威勢のいいことだな! ゾンビ兵! ふたりを殺せ!」

 伯爵の命令で、ネズミたちを追いかけていたゾンビ兵が俺たちに向かってきた。

「残念。伯爵、それは詰みだ」

 オルフェの腕の中で猫ゾンビのゾーエが野太い鳴き声を上げた。 

 するとそれまで空間の全体に散っていたネズミゾンビたちが、一斉にゾンビ兵たちを襲った。

 身体中にネズミゾンビが張り付いたゾンビ兵は身動きが取れないようだ。まるで大蛇に巻きつかれた獲物のようだ。

「どうした!? なぜ動かんのだ!」

「僕のネズミゾンビは筋組織を強化してあるんだよ。ドリジャ、ゾンビは脊椎を破壊すれば霊体との接続が切れるよ」

「そうか!」

 俺は自分の鎖刃剣を抜く。回転を始めた鎖刃ブレードを身動きの取れないゾンビ兵の身体に叩きつけた。

 柔らかいものを切る不快な感触が手に伝わってきた。

「やめろ! やめろぉ!」

 伯爵が絶叫しながら俺たちに迫る。が、ゾンビ兵が無ければ彼は非力な老人に過ぎない。

 難なく伯爵の突進を避けると、伯爵がよろめいて倒れた。その上を床を這うネズミたちが覆いかぶさっていった。

「あっ」

「ぎゃあああ!」

 伯爵が床でのたうち回りながら叫んだ。間もなく骨や肉の折れたり千切れたりする音がそこから聞こえた。

 それっきり、伯爵は動かなくなった。

「しまった……」

「なんだ、どうしたんだ?」

「伯爵が死んでしまった。ゾーエの攻撃範囲へ不用意に入ってはいけないんだ」

 波が引くように、床を覆い尽くすネズミが散っていくと、そこには頸や腕があらぬ方向にねじ曲がり、口から血の泡をこぼして硬直した伯爵が横たわっていた。


 

 その後、俺たちは死んだ主の命令を固く守って襲い掛かろうとするゾンビ兵たちを一体ずつ始末した。

 知性ゾンビとはいえ所詮はゾンビ。複雑な作業が出来ても自分の意思をもっているわけじゃないのだ。

「これで全部か」

「多分ね。さ、ゾーエ、元に戻るんだ」

 オルフェが抱いていたゾンビ猫が一鳴きして床に降りると、猫を中心にネズミの群れが集まっていき、歪な人の形に姿を変えていく。

 最後に、オルフェは床に打ち捨てられた黒いローブを拾い上げ、人型に戻ったゾーエに被せてやった。

「さぁ、ドリジャ。君の苦労のかいあって、逃げ出したゾンビ兵は見事破壊されたし、失踪した伯爵の確保にも成功した。残念ながら伯爵は抵抗し、その過程で彼は自害してしまった……ということだよ」

「そのように軍には報告しろということか……」

 俺の前には他のゾンビたちと並んで斃れる伯爵の骸が横たわっている。

「伯爵もあれほど執着したゾンビどもと一緒に眠れて満足だろうさ……」

「そうだね。僕としても、伯爵のやり方は間違っていたと思う」

 オルフェは自分の傍に立っているゾンビの従僕を労わるように、ポンポンと肩を叩いた。

「ゾンビは愛でるものだよ」

 いや、それはどうなんだ……と俺は思ったが、弟の意思を尊重してこの場は黙っておこう。



 果たして、事件は解決した。

 プリシィアの軍からゾンビ兵は一層され、冷たい装甲で身を包んだゴーレムたちが戦場で活躍した。

 だが、本当にゾンビの兵隊は全て処分されたのだろうか?

 あの時倒したゾンビ兵たちが最後とは、何故か俺には思えないのだ。

 戦いの後、戦死者を葬る無名戦士の墓の並びを見ていると、そこから骨張った腕が突き出て俺を捕らえにかかる、そんな埒もない空想をするのだ。

 特にこうして、弟の従僕が出してくれる、不味い珈琲を飲んでいる時に。

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