第17話
「ロレイン様、ケルグさんがマクリーシュからお戻りです!」
ベラの言葉に、ロレインは読んでいた本を取り落としそうになった。朝からずっと待っていた連絡だ。すっかり日が暮れて、四人のお喋り仲間も帰宅している。
「そう。戻ってきたのね……」
興奮と緊張で体が震えた。もちろん、顔に出したりはしなかったが。
「はい。まずはケルグさんおひとりで、陛下にご報告されるそうです。立ち会われますか?」
「もちろん立ち会うわ」
ロレインは立ち上がった。ジェサミンから立ち合いの許可を貰ったときから、ずっと待ち構えていたのだ。
急いで謁見室に向かう。衛兵が即座に扉を開けてくれた。
「来たか」
ジェサミンの瞳が太陽のようなきらめきを放つ。ロレインは深呼吸し、彼の隣の玉座にしとやかに腰を下ろした。
すぐにケルグが入室してきた。
彼は三十代半ばで、いかにもジェサミンの部下といった雰囲気だ。つまり筋骨隆々としていて、威圧感がみなぎっている。黒いシャツに灰色のジャケットとスラックスといういでたちで、旅装のままであることが窺えた。
「ケルグ・バンダル、陛下より課された任務を遂行し、帰国いたしました」
ケルグは手のひらを心臓の真上に置き、深々と頭を垂れた。
「ご苦労だった。すぐに本題に入れ」
「はい」
ジェサミンの声に顔をあげたケルグの淡褐色が、わずかに揺らぐ。
「ご報告の前に、先にお詫びを申し上げたいと存じます。聞くに堪えない言葉もお耳に入れなければなりませんので……」
ケルグがこんなことを言う理由はひとつに決まっている。エライアスやサラが、想像するだけでぞっとするような罵詈雑言を吐いたのだろう。
その証拠に、ケルグの目はロレインを見ていた。嘘偽りがなく真面目な人だ。そして職務に忠実でひたむきな人。
ロレインは静かにうなずき、いささかの動揺の色も見せなかった。
ジェサミンが決然とした声を出す。
「気にする必要はない。言うべき必要のあることはすべて言え」
「はい。それではまず、ロレイン様のご尊父様ウェスリー・コンプトン公爵についてですが」
父の名前を聞いてはっとしたが、ロレインは冷静であるように努力した。
「陛下のご指示の通り、私以下七名が身分を偽って入国し、すみやかに公爵に接触いたしました」
彼らが王宮に向かえば、父は即座に微妙な状況に置かれることになる。だからこそジェサミンは、先に父の安全を確保するように指示してくれたのだろう。
「大変驚いておられましたが、すぐにご理解くださいました。あらゆる状況に対処するため、四名の『
『皇の狂戦士』というのは、ヴァルブランド帝国軍の精鋭部隊であるらしい。
真っ先に騒乱の渦中に飛び込んでいく、勇敢で怖いもの知らずの男たち。超人的な身体能力、そして戦闘能力を備えていて、並の人間では不可能なことを軽々とやってのける。
(よかった。皇の狂戦士が側にいてくれたのだから、お父様に危害が加えられたはずがない……)
マクリーシュ王立騎士団は、上層部が貴族の次男や三男の名誉職になってしまっている。おまけに首席騎士が、稽古をさぼってばかりいたエライアスだ。
サラの無駄遣いのせいで予算が大幅に削減されたそうだし、貧弱な組織であることは間違いない。
「公爵の身の安全を確保後、私以下三名は残りの者たちと合流し、王宮へと向かいました。ちょうど王太子エライアスと婚約者サラの、結婚式のリハーサルの最中でして。王宮内は蜂の巣をつついたような騒ぎになりました」
そうか、とロレインは思った。エライアスとサラにとっては、最悪のタイミングだったわけだ。
彼らは豪華な結婚式を計画していた。己が掴んだ栄光を見せつけたいとサラが願ったからだ。あまりにも費用がかさみ、財務大臣であるホートン侯爵が頭を抱えていたのを知っている。
「即座にリハーサルは中止となりました。王族が全員集まっていて好都合だったのですが、サラがものすごい癇癪を起こしまして。子どものように泣いて暴れるので驚きました。あの娘は、感情的になりすぎるきらいがありますね」
ケルグが疲れたような表情を浮かべる。恐らく、いまも耳の奥でサラの金切り声が響いているのだろう。
ロレイン自身、我儘な子供のように振る舞うサラを嫌というほど目にしてきた。何が何でも自分の要求を通そうとするのだ。
王太子妃になるような女性は、晴れの舞台が台無しになっても取り乱すことは許されない。大声を張り上げたり、癇癪を起したりするのはもってのほかだ。ケルグがどれほど呆れたか、想像するに余りある。
「私は精一杯丁寧に『黙れ』という意思を伝えまして。最終的には、マクリーシュ側がサラの体の自由を奪いました。軽く縛って猿轡を噛ませるという方法で」
(ケルグさんが丁寧に……そうとう迫力があったんだろうな)
ロレインは内心で苦笑した。
サラは結婚式のリハーサルの日に、人生最大の屈辱を味わったらしい。彼女の瞳に燃え上がる怒りの炎が目に見えるようだ。
「静かになったところで、粛々と事実を伝えました。ロレイン様が世界で一、二位を争う超大国ヴァルヴランドの皇后とおなりになったことを」
その知らせは、エライアスに大変な衝撃を与えたに違いない。
「国王一家は想像すらしていなかったようで、しばらく魂が抜けたようになっておりました」
ケルグが重いため息をつく。
「我に返った王太子が、死に物狂いで反論してきまして。ロレイン様が身上書を提出しなかったか、偽造したに違いないと、くだらない言いがかりをつけてきました」
「愚かだな。いや、愚かどころではない」
ジェサミンが氷のように冷たい声で相づちを打つ。
「まったくです。そうではないとわかると、エライアスは激しく打ちのめされて卒倒してしまいました。国王も王妃も貧血を起こし、正常な状態に戻るまで時間がかかりまして。時間は無限にあるわけではないと、最初に伝えておいたのですが」
「お前のことだから、その間に王宮内で人脈作りに励んだのではないか?」
「もちろんです。事前に役人のリストを読み込んで、目星をつけておりましたから。金の力も少々借りました。必要な資料は持ち帰りましたし、今後も王宮内のありとあらゆる情報を、たやすく得ることができます」
ロレインは背筋が寒くなるのを感じた。やはりヴァルブランドは敵に回すと危険極まりない。
「お前が持ち帰った情報は、このあと精査するとしよう。それで、続きは?」
「は。正味二日の滞在期間中、王宮内では何度も会議が行われました。高位貴族、法律の専門家、国内に駐在している他国の大使などが呼ばれ、対応策が検討されたようです」
「ご苦労なことだ。その時点で結婚式本番まで二週間か。それどころではなくなって、サラという女は歯噛みしたことだろう」
ケルグが戻ってきたいま、結婚式は一週間後に迫っている。サラは眠れぬ夜を過ごしているに違いない。
「最終的にマクリーシュ側は、後宮入りさせる令嬢の選考時に『手違い』があったと主張してきました。マクリーシュ国内で正式な手続きを踏んでいないので、この結婚は無効であると。ロレイン様が末端の妃としても相応しくない娘であることを示す、新たな証拠も提出するそうです」
ジェサミンの顔にたちまち怒りの表情が浮かんだ。ロレインも頭がくらくらするほどの怒りを覚えていた。
「いまさら結婚式を中止にするわけにもいかず、王族はマクリーシュを離れることができません。申し開きをするため、二名の代表者が選ばれました。それから、ロレイン様の『代わり』となる娘が八名」
ロレインは小さく身じろぎした。国王の臣下が血眼になって探しても、たった二日で八名もの令嬢が用意できるはずがない。最初から自分以外にも候補がいて、エライアスとサラによって握りつぶされたのだろう。
「宮殿のすぐ近くに待機させてありますが、お会いになりますか?」
「いいだろう、会ってやる。一時間以内に連れてこい」
ジェサミンが有無を言わさぬ口調で言った。
「反抗して俺にねじ伏せられるか、事実を素直に受け入れるかの、どちらかしかないということを教えてやる」
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