第9話

(なぜ私は抱っこされているんだろう……?)


 ジェサミンは圧倒されるほどの長身なので、ロレインの目線の高さもかなりのものになった。

 紙吹雪が舞っている。いや、花びらだ。若い娘たち──ベラ、マイ、リンが籠を持ち、鐘の広場に花びらをまき散らしている。他の使用人たちは歓声を上げ、熱い抱擁を交わしたり楽器を鳴らしたりしている。

 すべてが非現実的だった。


(冷静に、落ち着いて。一瞬にして人生が変わったなんてあり得ない。多分、単純な間違いがあったのよ。身上書が他の令嬢のものと入れ替わったとか……)


 国王がサインをした身上書に、婚約破棄の一件が書かれていないとは思えない。傷物の令嬢であるロレインは、本国へ送り返されなければおかしいのだ。


「ケルグが情報を持ち帰るまで、二週間はかかる。その間はゆっくりくつろげ。マクリーシュが四の五の言ってくるようなら、力づくで黙らせる」


 片道三週間もかけてヴァルブランド入りしたロレインにとって、往復二週間は夢のような速さだ。やはり国としての格やスケールの大きさが、マクリーシュとは段違いなのだ。


「ベラ! お前がロレインの女官長だ。マイとリンは、ベラの補佐をせよ」


 三人の女官たちが走り寄ってきて、深々と頭を下げた。


「ロレイン様の女官となれて光栄です。誠心誠意お仕えいたします」


「私たちはロレイン様に、敬意と賞賛の念を抱いております」


「ロレイン様は私たちの希望です」


 ベラが口上を述べ、興奮したマイとリンの声があとに続いた。


「ティオン! 正妃の部屋は改装が必要だ。金に糸目をつけるな。ロレインの意思を最大限尊重せよ」


「は……はい?」


 ロレインはぽかんとしてジェサミンを見つめた。

 ばあやと一緒に荷解きをした正妃の部屋は優美で、室内装飾も見事だったのに。


「あそこはとても綺麗な部屋でした。変える必要があるとは思えません」


「いや、全部取り替えないといけない。最後に手を入れたのは五年前、俺が十九歳で帝位についたときだ。それほど最近ではない」


 つまりジェサミンはいま二十四歳ということだ。もちろん知っていたが、威圧的な雰囲気のためか実年齢よりも上に見える。ちなみにロレインは十八歳なので、彼とは六歳差ということになる。


「それに、何人もの女が仮の住まいとして利用している。俺の正妃のためにすべてを新しくする必要がある」


 どんどん話が突拍子もなくなっていく。目を白黒させるロレインを見て、ティオンが穏やかな笑みを浮かべた。


「ロレイン様。陛下は一度こうと決めると、よほどのことがない限り意思を曲げないお方です。せっかくですので最新の機能を最大限に取り入れて、素晴らしい居住空間を作り上げましょう」


 ティオンの言葉に、ジェサミンが大きくうなずいた。


「改装案はよく吟味せねば。ロレイン、お前はしばらく宮殿に住むがいい。後宮と宮殿を自由に行き来できるのは正妃の特権だ。早速移動するとしよう」


 とんでもないと言わんばかりに、ティオンが首を横に振る。


「お待ちください陛下。ロレイン様にはお支度が必要です。後宮の管理人として、いまのようなお姿で送り出すわけにはまいりません」


「確かにそうだな。すでに後宮の外では、多くの者たちが正妃決定を祝って集まっていることだろう。地味な服装では、彼らの高揚感に水を差す」


(こんなに派手なのに!?)


 ロレインは内心で悲鳴を上げた。

 三人の女官の手で磨き上げられ、準備万端でこの場に挑んだはずだ。紫色のドレスも白いガウンも、目を見張るような美しさなのに。

 ロレインが言葉を失っている間も、ジェサミンとティオンの会話は続く。


「いつか正妃様が決まる日のためにと、特別に作らせておいた金のガウンがございます」


「すぐに持ってこい」


「は!」


 ティオンが飛ぶように走っていく。そして薄皮に包まれた何かを持って戻ってきた。

 女官たちの手によって薄皮が広げられ、ガウンが取り出された。黄金色に輝く布地に銀の糸で刺繍が施され、真珠や小粒の水晶がちりばめられている。まさに豪華絢爛、目が潰れそうなほどのまばゆさだ。


「いい出来だ。金のガウンは正妃の証。そして皇帝の証でもある。お揃いだな、ロレイン」


 そう言いながら、ジェサミンはロレインを床に立たせた。すぐに女官たちが寄ってきて、かいがいしくガウンを取り換えてくれた。


「あ、ありがとうベラ。マイもリンも、ありがとう」


 金のガウンは、夢のような輝きを燦然と放っている。ロレインは内心で怯えながら、三人の女官にお礼を言った。彼女たちは嬉しそうに微笑んだ。


「よし、行くぞ」


 ジェサミンはもう一度ロレインを抱えあげ、扉に向かって歩いて行った。意匠を凝らしたその扉は、後宮と宮殿を繋いでいるらしい。

 ジェサミンの腹心の部下たち、ティオンと三人の女官が後をついてくる。抱っこされて廊下を進む間、ロレインの頭はずっとふわふわしていた。

 また別の扉を抜けた。目の前に信じられないような眺めが広がる。


「おめでとうございます皇帝陛下!」


「ああ、なんてお綺麗な皇后陛下だ!」


「お二人の末永いお幸せをお祈り申し上げますっ!」


 宮殿側の人々がずらりと並んでいた。誰もが笑みを浮かべ、歓声を上げている。中には涙を流している人もいた。


「この令嬢は俺の正妃になった! 皆の者、今夜は盛大に祝うぞ!」


 ジェサミンが高らかに宣言する。人々から「おお」というどよめきが上がる。


(こんなに温かく迎えられるなんて……)


 マクリーシュの貴族たちから背を向けられたことを思い出して、ロレインは目頭が熱くなるのを感じた。


「ロレイン、お前はヴァルブランドに喜びをもたらした。まさに天からの贈り物だ」


 ジェサミンが耳元で囁く。


(二週間後には国王様やエライアスから、取り上げられるに違いないけれど……) 


 それでもロレインは純粋な喜びを感じ、しばし感動に浸った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る