第231話・本社通常営業

 午前十時、秋葉家本社出勤目安時間らしい。それは、非常にユルい概念であり守る必要はない。要するに、出社するならこのくらいの時間がいいのではないかという提案だ。


 そして、現在はその一時間前、午前九時である。僕とママは、このまま本社の機能をしっかり把握するつもりだ。

 地上2階、事務施設。その一角は完全に要塞だ。孔明お兄ちゃんの仕事場である。


 パソコンモニター8面、骨伝導に通常のイヤフォンなどなど、8つの音声と映像を同時に出力できる。それを全部フル稼働させている姿は、もはやそういう神様だ。これは、祀るべきかも知れない。秋葉家守護神孔明之命こうめいのみことと書いた名札でも設置しようか……。

 そこに、おそらくVTuber低身長ランキングが、僕と同率一位な春風桜さんがやってきた。


「おはようございます!!!」


 その小さな体のどこから、それだけの声量を取り出せるのか。僕には不思議で仕方ない。

 見ると、僅かに肩が上下している。きっと、走ってきたのだ。


「おう、桜! 早いな! 唄が19分28秒後で、Necoroが44分12秒後の予想だ」


 みんな目安を守っていない。早く来る。だが、それはいい。秋葉家は時給制ではない。基本的に個人事業主扱いだ。例外は葛城さんと最上さんだけ。二人は最低保証の月給だけが提示されているらしい。


 あと、所属タレントVTuberにも最低保証を用意したいことを、先ほど孔明お兄ちゃんから聞いた。


「誤差五秒以内で!」

「俺は……その半分以内まで精度を高めたと思ってる。2.5秒超えたら、今日の飯は俺のおごりな!」


 桜さんと、孔明お兄ちゃんがちょっとした賭けをする。と言っても、商品は可愛いものだ。これは孔明お兄ちゃんから、桜さんへの愛情表現の一種かもしれない。

 ただし……。


「それ、一体何なの?」


 賭けの対象が人智を超越している気がする。


「いや、出社予想だが?」

「いやいやいや! なんで誤差五秒以内が前提なの!?」

「孔明さん、五秒以上の誤差出したことないですよ?」


 いくらなんでも、人外すぎるのだ。運命や、因果律なんてものを直接観測できているとでも言うのだろうか……。


「ところで、唄ちゃんとNecoroちゃんの名前が出たけど……。三人はなんの集まりなの?」


 ママが訊ねる。確かに、それも気にするべきだった。


「桜の歌唱指導を頼んでるんだ! 桜は、伸びたぞー!」


 孔明お兄ちゃんは、誇らしげだ。普通に考えて、指導側がいい。元日本一の歌姫に、Necoroさんだって歌がものすごく上手い。


「そうだ、リンちゃんも蒼に教えてくれませんか!? 蒼が今のコーチを卒業してからでいいので!」


 言われてみれば……。唄さんを卒業したら、僕……でいいのだろうか。唄さんは、僕の弟子入り志望だ。すなわち、唄さんに僕の歌唱力は認められている。でも、そもそも唄さん相手にはもう言葉で教えられるものはない。


「あ、ユニット組んじゃいなよ! ママ、Necoroちゃんのモデル作るよ!」


 自信満々の言葉だった。だが、孔明お兄ちゃんがすぐ否定する。


「ママはもっと自分を労われ!」


 そりゃそうである。ママにはまだ仕事が残っている上に、放っておくと気分転換すらしない。パソコンと向き合いっぱなしである。


「はーい……ごめんなさい……」


 怒られたからか、少ししょげた。


「なんとか、ママの負担が減ればいいけど……」


 それが、僕は秋葉家最大の懸念事項だと思っている。


「あ、そうだ、減るんだった。ママ、専用PCあるから開いてくれ!」


 孔明お兄ちゃんは、事務室の一角を指差す。役員席のような場所だ。

 代表取締役が、事務室で普通に仕事していると誰が思うだろうか。でも、合理的だ。ここなら、無理をしないようにいつでも監視できる。


「あ、うん!」


 ママは、そのPCを立ち上げた。

 現代のパソコンの起動は極めて早い。ロゴ表示のための時間が終わると、すぐに使える。更には、ママのPCは元々要求されるマシンパワーが極めて高い。高ポリゴンモデルを問題なく動作させるためだ。


「あれ? 孔明君、みっちープラスって何?」


 それは、ママの愛称であり、モデラーとしての名前でもある。


「ソフト名は仮だけどな、死ぬほど便利なはずだ。服のポリゴンを自動生成するソフトでな、俺と創介の合作だ!」


 僕にはイマイチピンと来なかったけど、ママの反応でそれがどんなものかわかった。


「すごおおおおおおおおい!! すごくすごいよ!!! チートだよ!!!」


 その利便性はどうやら不正ツールの領域に踏み込んでいるようだ。

 ママはそれを夢中になって弄りまわしている。クリック音が何回か連続するたびに、すごいと口にするほどにすごいのだ。


「フハハ! レースにニット、シルクにレザー! なんでもボタン一つだ! モデラー垂涎だろ!?」

「うん! うん!! テクスチャ作成の補助機能まで盛り込んであるよ! レースパターンもすっごい豊富!!」


 この時、みっちープラスでいじられていたのは僕のモデル。そして、朝の僕の格好、エプロン姿が僕の衣装差分に追加された。その実装の所要時間は五分だったのである。

 やっぱり孔明お兄ちゃんは、そういう神様なのだ。


「ところで! リンちゃんは蒼の歌を見てくれるんですか!?」


 それを一瞬忘れていた。なので、閑話休題だ。


「もちろん見るよ! 早速今日も見ていいかな?」


 歌は僕の担当ジャンルと言える部分がある。だから、僕も全力を注ぐつもりだ。


「今日からいいんですか!?」


 そんな僕の言葉に、桜さんは喜んで飛び跳ねた。

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