第229話・リザルト
旅の疲れは吹き飛んだ、ような気になっていただけである。僕と満さんは、車の中で眠ってしまった。
「着いたぞ、リン……起きろ」
孔明お兄ちゃんが、僕を優しく揺り起こす。徐々に覚醒する意識の中、そこがどこかのかをやがて理解した。
それは、地下だった。車100台ほどが収容できてしまいそうなほど広大な、地下空間が開け放たれたドアの向こうに広がっている。
「うわ……広い……」
自分の目を疑った。そんなわけもないけども、地平線を発見できるのではないかとすら思った。
秋葉家はすごい。一旦力を合わせると、こんなものを作り上げてしまう。だけど、形ある物なんて、秋葉家が作ったものの中では上澄みにしか過ぎないのだ。
「広いだろ! ここ、俺たちの拠点だぜ!」
孔明お兄ちゃんはそう言ってニカッと笑う。
先に目を覚ましたのは僕だった。となりでは、最上さんが満さんを起こしている最中だ。
「満さん! ついたよー!」
僕は最上さんに加勢する。それでも、満さんは全然起きてくれない。それどころか、目を閉じたまま言ったのである。
「あと五分……」
本当に珍しい。満さんが、僕よりねぼすけだなんて。
「……明日にするべきだったかなぁ……。まぁ、今日のところは社長用仮眠室を使うといい」
秋葉家は社長すらVTuberである。放送の都合上、終電を過ぎるまで会社に留まることもあるのだろう。なにせ、従来型のトラッキングスーツを使った3Dスタジオは本社内にある。
設計では、1フロアまるごと使った仮眠室フロアが存在していた。おそらく、その一室を社長専用に指定したのだろうと予測していた。
「満様……全く起きる気配が……」
困ったことに、全くない。最上さんが、僕に助けを求める目をしていたので、ちょっと頑張ってみることにする。
「起きないと、ちゅうしちゃうよ?」
そんな、ものすごくエッチな脅しなら、いやがおうにも意識が覚醒するだろう。その先に関しては、僕にとっては恥ずかしすぎて想像すらできない。
僕が言うと、満さんは黙った。
「ははっ、これ待ってやがる……」
そんな満さんを見て、孔明お兄ちゃんが言った。やりたかったのは、ラブコメディー定番の、飛び起きる展開だったのに……。
キスに対する認識は、未だに僕とそれ以外で大きく異なるみたいだ。そう言えば足りていない、圧倒的にキスの経験が。僕はまだ、それをそんなものかと思えていなかったのである。
「え?」
どうしよう……。心臓が、高鳴った。
「ほら、してやれよ! 男見せろ!」
孔明お兄ちゃんは、僕に最も効果的な煽り文句を算出している。
そう、僕だって男だ。据え膳は、喰らわねばならない。
ままよと意を決して、満さんに口付けを敢行する。
唇が触れた瞬間、僕は満さんに抱きしめられた。
「んっ!? んー!」
唇を割って、満さんの舌が入ってくる。
暖かい粘液同士の接触は、まるで脳髄を直接舐め溶かされるかのようだ。
「うっわ……。激しいなおい」
孔明お兄ちゃんの顔は見えない。だけど、声は半笑いだった。
飴玉のようにねぶられる。意識が甘く、とろけていく。今僕は、経験したこともないほどえっちなことをしている。それも、人のいる前で。
こんな恥ずかしいことがあるだろうか。もう、どうしよう……。
ようやく、僕は解放された。蕩けて消えそうなところに、舐め溶かす舌による消費がなくなって、羞恥による意識の供給が追いつく。
「ごちそうさま」
そう言った満さんの妖しさは、まるで淫魔のようだった。
彼女に食べられてしまうならそれでも本望だ。だけど……。
「二人きりの時にしてよ! もう! もう!」
僕は満さんを叩く。……と言っても、痛いというほどの力は出さずに。
いいんだけど、それでも二人きりの時がいい。どんな恥ずかしいことをされても拒むつもりなんてない。二人きりの時ならば……。
「だって、リン君があまりに可愛いこと言うんだもん!」
それは、責任転嫁だと思った。
「リン……天然か?」
孔明お兄ちゃんは、ハッとして僕に訊ねる。
「え?」
言葉の意味が分からず聞き返すと、孔明お兄ちゃんは頭を掻き毟った。
「いや、進展したんだろ? そんなこと言えば、そうなる」
僕たちの恋愛の進展、それを孔明お兄ちゃんは予想していた。だけど、僕の朴念仁ぶりは想定外だったようだ。
結果として、満さんはしっかり覚醒した。おかげでようやく、エレベーターに向かうことができた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あれ? 最上階が16階?」
そもそも、なかなかおかしいと思うのだ。VTuber企業が、単独でビルを建てるだなんて。
そして、その規模もものすごくおかしい。
ついでに、満さんに抱きしめられながら移動している現状もおかしい。
「増設したぜ! 社長専用仮眠室をな!」
冷や汗が吹き出てきた……。
途中、地上15階予定通りであれば最上階。そこで、最上さんが降りる。
「では、私はこのフロアの仮眠室を利用させてもらいます」
そこは当初の仮眠室フロアであり、3Dスタジオフロアのすぐ下だ。
最上さんに別れを告げると、エレベーターのドアがしまった。
「ところでリン。ママのこと、満さんって呼ぶのは止したほうがいい」
理由もなく、言われたなら僕は大変不満だ。だけど、孔明お兄ちゃんのこと。きっと、しっかりとした理由がある。
「なんで?」
答えが返ってこなければ、ボコボコにする。
「放送で、満さんって呼び方が出ちゃうかも知れないだろ? そしたらイメージがなぁ……」
言われてみれば、満さんと僕双方のイメージに影響を与えることになる。それは、すごく困る。
「そっか、じゃあ……ママって呼ばなきゃか……。それでもいい?」
僕は満さんに……ママに訊ねた。
「どっちでもいい! いっぱい呼んでもらえるのが嬉しい!」
それはでも、僕にとっては少し残念であった。ママの子に少し回帰してしまう気がしたのだ。
「それとな……。どうせ、数年後にはまたママって呼ぶことになるんだぜ? ガキなんか生まれちまったりしてな!」
そう言って、孔明お兄ちゃんが豪快に笑う。
そんなことを考えてしまうと……残念さはどこかに吹っ飛んだ。
今日は珍しいことがたくさんだ。満さんが、赤面していた。
孔明お兄ちゃんは、きっと可愛いだの、秋葉家が溺愛するだのと、未来を妄想している。
やがて、最上階にたどり着いた。
そこは……ハート型の巨大なベッドがある場所だった。仮眠室なんて、ちゃちなものではない。間違いなく住める。
ただ、ベッドルームからバスルームが丸見えだ。お風呂が、丸見えなのだ。
ついでに、夜景がとことん綺麗だった。
「んじゃ、ごゆっくり……。あ、左の部屋に入るときは覚悟してからな!」
そう言って、孔明お兄ちゃんは部屋をあとにしたのである。
この部屋の作りが、高級なラブホテルに酷似ていることを、僕が知るのは少し後だ。それを知ったとき、孔明お兄ちゃんがここを僕とママの愛の巣的なものとして設計したのを知る。本当に、大きなお世話である。
ちなみに、左の部屋……。それはSMルームだった。孔明お兄ちゃん、ちょっとひどい目に合えばいい。
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