第50話・夏の戦火

『只今よりM104一日目を開催いたします!』


 その声と同時に地響きが鳴った。


 早歩きのリズムで百万人近い人々が地面を踏み鳴らしたのだ。


 その一体感はまるで一つの群れのようだった。


 平均体重58キログラムの人間が、この場所に地震を起こしている。


 それが、突然止まった。


「来るぞ……」


「何がですか……?」


「戦火だ!」


 止まったのはリズムが崩れたからだ。


 つまり、お客さんたちはこのホールに流れ込んできた。


 だけど、まだわずかな揺れを感じる。これは、一体なんの揺れなんだろう。だって、入場時の列はもう崩れたはずだ。


 なのに、規則正しく地面を踏み鳴らしているのは一体何なのだろう。


 そう思っていると、列がそのままこっちに向かってくるのが見えた。


「アルバムとおまけお願いします!」


 その列はそのまま、僕たちのブースに並んだ。大行列だ。


「ありがとうございます! 1500円になります!」


 そこからは必死だった。もう、何をしたか覚えていないほどに。


「アルバムとおまけお願いします!」


「ありがとうございます! 1500円になります!」


 そのやりとりを何度繰り返したかわからない。


 ともあれ、アルバム一万枚はものの五時間半で完売したのである。一人、武吉さんがずっと行列整理をしてくれて、それ以外の五人はフル稼働で商品を売っていた。ひとりあたり十秒で、お客さんを捌いて、ずっとしゃべりっぱなしだった。


 本当に、疲れた……。


 ただ覚えているのはAlenさんと思わしき人が来てくれたことだ。アルバムとおまけを三枚ずつ買って行ってくれた。二枚目は予想できる、Mikeさんの分だ。だけど、三枚目……ひょっとしてシモンさんの分だろうか……。まさかだ、だってだったらおまけは興味ないと思うから。


 実を言うとおまけは添い寝ASMRだ。ダミーヘッドマイクを借りて、作ったのである。実は、台本を噛んじゃってリテイクを100回以上出した。もう二度と作りたくない。


「こんにちワ! 売り切れ? おはなし、イイですか?」


「あ、はい! Alenさんですよね? 是非、お話しましょう!」


「oh! どうしてわかったノ? やっぱり、日本語オかしい?」


 正直、文字だとわからない程度には日本語が正しいだけど……。


「ちょっとだけ、英語の発音が混じってます」


 英語の発音は海賊楽団の歌で研究済みだ。だから、僕はたまに混ざる日本語らしからぬ発音が英語のものだってすぐわかった。


「リンちゃん。これ、ワたしておきたいとオもって。ワたしの、名シィです!」


 そこにはこう書いてあった。『Bakerプロダクション代表取締役Alen Baker』。つまり、Alenさんは芸能事務所の人だ。ウチに招待したいっていうのは、このことだったんだ……。


「え!? 焼きプロ!?」


「焼きプロ!?」


 満さんの突拍子もない言葉に僕は驚いてしまった。焼きプロじゃあ別のものに聞こえる。何かを焼く人みたいだ……。


「Bakerプロダクションの通称だよ! 音楽系タレントの事務所としてはかなり大手だよ!」


 満さんがなぜだか詳しくて、僕は驚いてしまった。


「みっちーママ!? 二人並ブト、親子みたい! 凄ク、かわいイデす!」


 そう言いながら、Alenさんはおどけたように、両手でサムズアップを向けてきた。


「えへへ、ありがとうございます!」


 満さんと並んで親子って言われるとちょっと嬉しい。


「oh! てぇてぇ過剰摂取デ倒レそうデす!」


 Alenさんはそう言いながら胸を押さえた。そういえば、てぇてぇってなんだろう……。


「Alenさん、大丈夫ですか?」


 僕はAlenさんの背中をさすってみた。


「リン君、それオーバーキル!」


 満さんにそう言われて止められてしまった。


Japanease日本人の kawaiiかわいい is so scaryってすごく怖い!」


 と、Alenさんは胸を抑えながらつぶやいていた。


「so! 今回、来たのは名刺を渡すため! Americaに行キたくなったら、電ワください! じゃあ、アンまりいると、私死んじゃうので。バイバーイ!」


 そう言って、Alenさんは去っていってしまった。


「リン君! リン君はすっごく可愛いから、自覚しないとダメだからね!」


 僕は、満さんに肩を掴まれて怒られてしまっている。悪いことはしてないつもりだったのに……。


 でも、かわいいから自覚……どうすればいいんだろう……。


「ふーん、えっちじゃん?」


「わっ!?」


 気が付くと、隣のサークルの人がブースのテーブルに肘をついてこっちを見ていた。


「驚かせてごめんね? アタシ、隣のサークルの歌い手。Necoroって言うんだ。よろしくね、秋葉の歌姫ちゃん!」


 僕たちは壁サークルで、となりも当然壁サークルだ。そこで、歌い手をやっているなら超実力派かつ声の質まで保証されている。プロでも通用する人物だ。


「あ、はい。秋葉リンです!」


「知ってる! 歌超よかった。実はアタシ、ファンなんだ。握手もらえる?」


 凄く、雰囲気に呑まれる人だ。歌うような話し方もも、金と赤が入り混じるような髪色も、全部奇抜だ。


「あ、はい!」


「うっわ、おててちっちゃ。この手でギター弾いてるんだ!? Fとかきつくない?」


 ギターの話はちょっと嬉しくなる。基本コードを僕は知らないまま、ギターを始めたけど、結局基本コードも後から自分で発見した。


「あ、全然大丈夫です! 実際、ギターを引き付ければ、指の根元まで使えるので、むしろ長さは余るんですよ!」


「ふーん、本当にギター好きなんだね?」


「あ、はい……」


 あまりに熱く語りすぎて、ちょっとだけ恥ずかしくなった。


「あ、これ電話番号。アルト音域の歌手が欲しくなったら、連絡ちょうだい」


 そう言って、僕に一枚の紙を渡してNecoroさんは去っていった。


 振り返ると、満さんがちょっとすねていた。

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