第16話 フレンド申請

 インターフェースを装着して最初に見た、真っ白な光――それが再び愛佳を包んでいた。


 光が消え去ってから、愛佳は自らの両足がしっかりと地面に着いていることを確認する。どうやらまた雲の上に飛ばされることはなかったようだ。


 愛佳が立つのは、白塗りの壁に囲まれた殺風景な部屋の中だった。部屋の中央には丸テーブルが置かれ、それを二つの椅子が挟んでいる。他に余計な家具は一切ない、生活感の消え失せた部屋。


 置かれていた椅子のひとつに――彼女は座っていた。


「グッドゲーム」


 白無垢の部屋に佇むは、海の碧を纏った少女。先程まで勝利を求めて苛烈に吠えていたジャスミンは、穏やかな表情で愛佳に語りかける。


「わたしたち、どこに来ちゃったんですか?」

「ここはFHSに用意されたあなた専用のプライベートルーム。FHSでは試合マッチの前後はこういったルームで待機するの。あなたはまだアカウントを作ったばかりだから、この部屋もまだ何の装飾も施されていないってわけ」


 愛佳はしばらくぽ~っとその場に立ち尽くして、それからハッと背筋を伸ばす。


「――っていうことは、ゲームはもう終わっちゃったんですか?!」

「そうね」


 淡々と頷くだけのジャスミン。


「結果はどうなったんでしょう……?」

「窓の外を見ればわかる」


 ジャスミンに促されるまま、愛佳は殺風景な壁に空いた穴を覗き込む。そこに広がっていたのは、広大な城の風景。愛佳たちが居る部屋は、城の一角、高く聳える尖塔に在った。愛佳はこの城を見たことがある――そう、FHSの世界にやって来た愛佳が最初に着陸したメーン・キャッスルだ。


試合マッチの舞台になるドリーミング・ワールドと内部的には別物。プライベートルームを含む試合マッチ以外で利用される空間は、試合マッチに用いられる各世界ワールドをモチーフにしているの」


 目を凝らして見ると、愛佳が最初に着陸した中庭が華やかに飾りつけられている。可愛らしい三角旗に、ぷかぷかと浮かぶ風船たち。その様子はまるで何かを祝っているかのよう――


「あっ」


 思わず声を上げてしまったのは、その催しの中心に見たことのある顔がふたつ並んでいたからだ。愛佳がFHSへ参加したとき最初に出会ったふたり――ロリータ衣装のヨヒラと呼ばれていた子と、ピアスを付けた派手な衣装のソレイユと呼ばれていた子。ふたりがたくさんのプレイヤーが集まる中で祝福を受けている。


「あの、行ってみませんか?」

「えっ?」


 彼方に待ち受ける未知に、考えるより先に身体が動いた。愛佳はジャスミンの手を取り、部屋の扉を開ける。


 高くに聳える尖塔から地上の中庭まで、移動時間はゲームの画面が切り替わる程度の短さだった。気づけば愛佳はジャスミンの手を取ったまま中庭に立っている。催しに参加するのは、アニメキャラクターのような色彩の髪やドレスを揺らすスーパーヒロインたち。彼女らは愛佳やジャスミンと同じく、今回の試合マッチの参加者なのだろう。


「すっごく賑やか!」


 興奮を抑えきれず、愛佳はきょろきょろと周囲を見渡す。ずっと屋敷の中で暮らしていた愛佳にとって、こんなにたくさん人がいる場所に来るのは、本当に久しぶりのことだった。普段は使用人に付き添ってもらいながら体調を気にしつつ街中を散歩したり学校を見学する程度。そういったときは、道行く人々も学校の同級生も、使用人に囲まれ丁重に守られている愛佳を遠巻きに見つめるばかりだった。あのとき愛佳が見た人たちはたしかに現実の存在ながら、それはまるでテレビ画面の向こう側からこちらを見つめられているような心地だった――しかし今回は違う。ここは虚構の世界ながら、愛佳は試合マッチに参加した多くのプレイヤーのひとりとして、皆と同じ空間で同じ時間を過ごしている。


「ねぇ――」


 背後からのジャスミンの声で、愛佳はようやく自身がジャスミンの手を握りっぱなしなことに気づいた。というか今日会ったばかりなのに手を繋いじゃうなんて――愛佳は慌てて握っていた手を離す。


「し、失礼しましたっ」


 ジャスミンさんの手を取ったのは、一緒に来たかったからというか、FHSではジャスミンさんとずっと一緒だったからつい――


「別に嫌ってわけじゃないけど」


 視線を逸しながら、ジャスミンは片手でくるくると前髪を弄る。その様子を見るとまるで満更でもなかったような――


「はっはっはっ、見たかプレミアム・ランカー!」


 そんな愛佳とジャスミンの間に割って入ったのは、部屋の窓から見えていたソレイユだった。


「流石のプレミアム・ランカーも、あたしとヨヒラの絆には勝てないってわけよ!」

「いや、勝てたのはソロになった私が上手く隠密ハイドできたからであって、無理な突撃で最序盤に脱落した貴女は何もしてないでしょ」


 ソレイユの背後から現れたヨヒラの冷静なツッコミ。ソレイユは「うぐ」と痛いところを突かれる。


 その様子にジャスミンは「はぁ……」と小さく溜息をついた。


「だからロビーに来るのは面倒だったのよね」


 なるほど周囲を見渡せば、ソレイユ以外にも多くのプレイヤーがジャスミンに視線を注いでいる。どうやらプレミアム・ランカーは、身に纏うプレミアムレアドレスのせいで、どこでも注目を浴びてしまうらしい。


 しかしこうして見ると、海の碧を纏うジャスミンだけでなく、ソレイユとヨヒラもスーパーヒロインとして中々に派手なドレスを着ている。


 ソレイユが身に纏うのは、ビニールのような質感のカラフルなドレス。暖色を中心に様々な原色を織り交ぜたそのデザインは、奇抜さを強く意識しているのだろうか。すらりとした手足やおへそを露出し、小麦色に焼けた肌を惜しみなく見せているその姿は、活発なイメージを印象づけられる。両耳に付けたゴツゴツしている金のピアスは、全身の健康的な雰囲気から浮いており、一種のアクセントとして機能していた。


 そしてヨヒラが身に纏うのは、ソレイユの原色とは対照的な、モノクロに彩られたゴシックロリータのドレス。深い心の闇を表象する黒に、乙女の純潔を表象する白。華やかなフリルがこれでもかというくらい大量に連なっており、しかしそれらは下品さとは無縁で、むしろ上品で荘厳な印象で纏まっている。胸のあたりに刺繍された刺々しい茨の文様は、軽率に近づく者を拒絶するような物々しさと共に在った。くるりとカールした派手な睫毛に、真っ白な白粉おしろい、そして鮮やかな朱を塗った唇。僅かな隙もなく全ての要素が完璧に整っているその姿からは、ヨヒラのゴシックロリータへの強い拘りが見て取れた。


 ふたりに共通しているのは、頭の上に銀色のティアラを被っている点だ。それは試合マッチ中には被っていなかったはずのもの。


「どうよ、初心者。これが試合マッチに勝利した証たるティアラ――レアアイテムとも交換できる全プレイヤー垂涎の品だぜ」


 自慢気に語るソレイユを見て、愛佳は大事なことに気づく。


「もしかして、おふたりが勝ったということはわたしたちは――」

「――そう。私たちは負けたの」


 ジャスミンの言葉と共に、愛佳の前に画面が表示される。そこに映るのは今回の試合マッチにおける愛佳たちの成績だった。


「……二位」

「あと一歩だったのだけどね」


 わたしのせいだ――愛佳の肩に責任の重圧がのしかかる。


「さてこのあたしがプレミアム・ランカーを出し抜いた瞬間をゆっくり見返しますか」

「だから出し抜いたのは貴女じゃなくて私でしょう」


 ソレイユとヨヒラは仲睦まじげに言い合いながら、愛佳たちから離れていく。周囲を見渡すと、どのプレイヤーも目の前に画面を表示して、先程の試合マッチの録画を見返しているようだった。テーブルの上に置かれた更に色鮮やかな果実が並ぶ様子は、華やかな庭内の飾りも含めてさながらパーティが催されている雰囲気に見えるものの、それらはあくまでゲーム上の演出らしい。このロビーと呼ばれる場所は、直前の試合マッチを見返したり、それについて他プレイヤーと語り合ったりするために使われているのだろう。


 誰もが試合マッチを見返しているということは、初心者の愛佳が一発も弾を当てられずにプレミアム・ランカーのお荷物になっているところも見られてしまうわけで――


「面白かった。だってあなた、目を瞑っちゃってるんだもの。目を閉じていたら、当たるものも当たらないでしょうに」


 柔らかく微笑むジャスミン。叱られるかもしれない――とびくびくしていた愛佳が目にしたのは、冷静に振る舞い続けていた彼女が初めて見せる笑顔だった。


「ごめんなさい。ジャスミンさんがあんなにたくさん他のチームと戦ってくれたのに、わたし何にもできなくて、最後の最後でも失敗しちゃって――」

「別にいいの。初めてのゲームにしては上出来だったし、自分のプレイを反省できるのはいいことだけど、初心者は何よりもまず楽しむことが大切だから」

「よくないですっ。わたしさえいなければきっとジャスミンさんは――」

「――このデュオ・ルールの試合マッチには参加できなかった」


 ジャスミンは端的に真実を述べた。


「どんなに強くても、プレミアム・ランカーでも、ひとりじゃ試合マッチにも参加できない。そう自分を卑下しないで。反省しなくちゃいけないのは私の方。あなたを勝たせるって言ったのに、ほんの僅かな油断のせいであってはならない逆転を許してしまった」

「そんなこと――」

「あなたはともかく私にはいくらでも反省点がある。今思えば時計塔突入作戦は無茶があったし、少なくとも淵源スペシャル法術アビリティに頼りすぎて隠密ハイドに裏を掻かれたのは私の明確なミスだった。それに私が先行しすぎて初心者のあなたをずっと置いてけぼりにしてしまったのも良くなかったかも。もっとゆっくり移動して、試合マッチ中にゲームのルールやワンドの撃ち方をひとつでも多く教えられたら、結果は変わっていたはず。それと――」


 ほとんど独り言のような反省を口にしていたジャスミンは、ふと笑みを漏らす。いったい何が可笑しかったのだろう。くすくす微笑むジャスミンの隣で、愛佳はきょとんと首を傾げるしかなかった。


「ごめんごめん。最近の試合マッチは殆ど予定調和で飽き飽きしてたから、こんなに反省点の出る新鮮な試合マッチは久しぶりだなって」


 よく分からないけれど、どうやらジャスミンさんも今回の試合マッチを楽しんでくれたみたい。なら良かったのかな……?


「ジャスミンさん、お願いがあるんです」


 今なら言えるかも――なんて思ってしまったのは、ちょっと打算的だったろうか。


「なぁに?」


 愛佳はすうっと息を吸い、それから一言にそれを口にする。


「――わたしとお友達になってくれませんか?」


 息を吐ききってから、背中にどっと冷や汗が出た。断られたらどうしよう――なんて訳の分からない不安が胸の奥から湧き出て、愛佳の心をきゅっと締めつける。


「フレンド申請ってこと? いいよ」


 あっけない返事と共に、ジャスミンは手元でぱぱっと何かの操作を行う。それと同時に、愛佳の目の前に「フレンド申請を承諾しますか?」という画面が表示された。


「肯定するときは頷いて、否定するときは首を横に振る。これはディープスペースで共通の操作だから覚えておいて」


 ジャスミンの言葉に応えるつもりで頷くと、それがフレンド申請の承諾になってしまった。ぴこんと音が鳴って申請画面が閉じる。


「フレンドになると、相手のオンライン状態やプロフィールが見えるようになるの。お互いがオンラインなら一緒の試合マッチに参加できるし、試合マッチをしなくても、ロビーで待ち合わせしたり、自分のプライベートルームに招いたりできる――」


 ――友達。わたしとジャスミンさんが、友達。


 ふわふわと宙に浮いたような心地に包まれて、愛佳の耳にはジャスミンの説明がまるで届かない。


「――それで次はいつ暇?」


 その言葉で愛佳は我に帰る。


「次?」

「お互い現実リアルでの都合もあるでしょうし、時間を合わせないといっしょにプレイするのは難しいから」

「それってつまり――」

「言ったでしょう? あなたを勝たせるって。今回は勝てなかった。それなら勝てるまでやる。あなたが初心者を卒業できるまで、きちんとティーチングしてあげるから」


 胸の奥からぐわ〜っと喜びが湧き上がって、愛佳は動揺のあまり目尻に涙を滲ませてしまった。それはなんてことのない約束のはずだった――いっしょにゲームで遊んで、帰り際に「またあした」なんて、そんな当たり前がどうしてこんなに嬉しいんだろう。


「それじゃあ、明日の夜九時に」


 次の約束を取り付けて、いよいよ別れの時がやって来た。現実世界ではもう夜中の零時を回っているらしい。こんなに夜ふかしをしてしまったのは初めてかもしれない。朝にきちんと起きられるだろうか。


 ジャスミンが背中を向けて歩き出す。彼女の身体がきらきらと光に包まれ始めて、そのときになって愛佳は大切なことに気づいた。


「待って!」


 思わず上げた声に、ジャスミンがログアウトを中断して振り向く。


「わたし、名前を決めました。ここでのハンドルネームは――ホワイト・リリィです」


 ちょっと気取った名前すぎるかも――勢いで口にしてから、湧き上がってきた恥ずかしさに胸がくすぐったくなる。


「ホワイト・リリィ――うん、いい名前だと思う。よろしくね、リリィ」


 けどそんな恥ずかしさは、ジャスミンの柔らかな微笑みにすべて吹き飛んでしまった。


「よろしくお願いします、ジャスミンさんっ!」


 初めて独りで外の世界を歩いて、そこでたくさんの未知を経験して、そして素敵な友達と出会えた――屋敷の中で退屈な毎日を過ごしていた愛佳に訪れた僥倖。


 今日という日のことをわたしは絶対に忘れない――胸に溢れる喜びを固い誓いに変え、愛佳のFHS初日は幕を閉じる。

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