第6話 ようこそFHS

 気づけば、そこは空だった。


「へ?」


 雲ひとつない、見渡す限りの蒼穹。それを愛佳は仰向けに見上げていた。起き上がろうとするも、背中に触れているはずの地面が存在しない。ふわふわと宙に浮いたような心地。ひゅうひゅうと背中に冷たい風が吹きつけて、愛佳は自身の置かれている状況に気づいた。


「えーっ?!」


 愛佳は、遥かな空から地上に向かって落下していた。身体を捻って俯せになってみると、落下する先に雲が見える。見上げた空に雲がなかったのは、愛佳が雲よりも高い上空にいたからだった。


「――すごい」


 あの日、見上げることしかできなかった遥かな空を、愛佳は今こうして飛んでいる。


 落下は勢いを増し、次第に地上が迫ってくる。雲を突き抜けた先に広がっていたのは、緑豊かな大地だった。連なる山々から川が流れ、それが海へと続いている。木々に覆われた広大な平地の様子を見渡すに、おそらくここは外国の土地だろうか? 愛佳の予想は当たっていて、平地の森を拓いて造られた街々は、近づくにつれて洋風の建築物によって形作られていることがわかった。「あそこに大きなお城がある!」愛佳がそちらに視線を向けると、自然と落下の方向もそちらを目指す。ぐんぐんと近づいてくる城郭――そのときになって愛佳はようやく重大なことに気づいた。


 もしかしてこれ、このまま地上に激突しちゃうんじゃあ――慌てて手足をばたばたと動かした。もちろんそんなことをしても落下の勢いを止めることはできない。激突の恐怖に目を瞑りたくなって、それ以上に目の前の景色を瞳に焼きつけたい欲求が勝った。真っ白な城壁に、とんがり帽子みたいな屋根の青が映える、ゴシック建築の素敵なお城。激突してわたしの身体が挽き肉になってしまっても構わない――一秒でも長く、屋敷の外に広がる世界を眺めていたい。


 しかし愛佳が挽き肉になってしまうことはなかった。地上を目前にした愛佳の身体はゆっくりと減速して、そのままふわりと城の中庭へと着陸したのだ。


「い、生きてる……」


 両足でしっかりと踏み締める大地の感触と、青臭い芝生の香り。愛佳は大きく深呼吸して、速くなった心拍を抑える。身体の弱い愛佳は、たまの外出で体調を崩したとき、いつもこうやって気持ちを落ち着けていた。しかし今回は、あんなに壮絶な体験をしたのに、気分が悪くなることは一切ない。それどころか、愛佳の胸には不思議な高揚が満ちていた。


 気づけば、愛佳はいつの間にかパジャマから着替えていた。フリルに彩られたドレス。ピンクを基調にところどころへ水色の差し色が入っているその様は、小さい子が如何にも好みそうな可愛らしさが詰まっている。


 もしかしたらこれは夢の中なのだろうか。屋敷の自室から突然このようなおとぎの国のような場所へやって来て、華やかなドレスに着替えているなんて、夢でもなければあり得ない。現実の愛佳がベッドでぐっすりと眠っているのだとしたら、体調が悪くならないことにも説明がつく。ただし不思議なのは、夢のわりにはやけに意識がはっきりとしていることだった。


「誰かいませんか〜?」


 問いかけに答える声はない。愛佳が着陸した城の中庭には、色とりどりの花々が咲き誇っていた。白百合家の屋敷より敷地が広いぶん、白百合家より少し豪華になった庭園といった趣だろうか。


 蓮の葉が浮かぶ池を見つめると、水面に自身の顔が映る。白金に輝く髪に、翡翠色の瞳。その姿はさながらおとぎ話に語られるお姫さまのよう。莉都は白百合邸やそこに住まう愛佳に憧れていた。彼女の期待に応えようとするあまり、愛佳は夢の中で莉都の憧れるお姫さまそのものに変身してしまったのかもしれない。


 夢だとしても、せっかく屋敷の外に出られたんだから――愛佳は城内を散歩することにした。中庭から屋内へ入ると、そこはステンドグラスから射す光に明るく照らされている。ぴかぴかに磨き上げられた大理石の床を、コツコツとヒールの靴音を響かせながら歩いた。遥か高みに見上げるアーチ状の天井。小さい頃に観た子供向けのアニメで、このような景色を見たような記憶がする。こんなに巨大で壮観なお城は、まず現実には存在しないはずだった。


 こんな素敵な夢を見られるだなんて、今晩のわたしはなんてラッキーなんだろう――なんて喜びに胸を踊らせ、足取り軽やかに城内を歩いていたときだった。


 ひゅん――と愛佳の右耳の横を何かが掠めていった。高速で過ぎ去ったそれは、愛佳の視線の先、城内に置かれていた女性の彫像に突き刺さる。彫像に残ったのは――石を抉る弾痕だった。


「外した?!」

「下手な照準エイムねぇ……」

「う、うるさいわいっ!」


 城内に木霊する声。愛佳が振り向くと、遠く彼方にふたつの人影が見えた。


 人がいる!――愛佳は興味本位でふたりに駆け寄る。


「おい、近づいてくるぞ?!」

「というかワンドを持ってないし」

「初動に失敗した感じか?」


 愛佳が出会ったのは、愛佳と近い年頃の少女ふたりだった。ひとりはゴシックロリータのドレスを身に纏った子で、もうひとりはおへそを出したりと露出が多めな衣服に両耳にきらきら光る金のピアスなどを身に着けた派手な雰囲気の子。どちらの衣装も華やかなお城の雰囲気とは少し違っていて、この城に住む人の装束というよりは、何かのお祭りで仮装でもしているといった風だ。


「あの、ここって夢の世界ですか?」


 愛佳の問いに、ふたりは要領を得ず首を傾げる。


「えっと――まぁたしかにドリーミング・ワールドのメーンキャッスルだけど」

「何アンタまともに答えちゃってるのよ」

「いや聞かれたなら答えるのが筋だろ?」


 ドリーミング・ワールド? メーンキャッスル? 今日はインターフェースやらディープスペースやら、聞き慣れないカタカナ語をたくさん聞いている。それが夢にも反映されてしまったのだろうか。


「夢だとしたら、お願いがあるんですけど――」


 ちょっぴり恥ずかしいけど、どうせ覚めれば消えてしまう夢なのだから――愛佳は勇気を出して口を開く。


「わたしとお友達になってくれませんか?」


 ふたりは口をぽかんと開けて絶句してしまった。


「唐突でびっくりしちゃうかもしれないんですけれど、わたし同い年の友達が全然いなくって――だから夢の中だけでも、お友達になれたらな〜……なんて」


 やけに生々しい困り顔をするふたりの姿に、愛佳の胸の内でひとつの疑念が生じる。やはり夢にしては色々なものがはっきりしすぎだ。莉都が準備してくれたディープスペース接続用のコンピュータ。インターフェースを身に着けた途端に起きた謎の現象。自身に降り掛かった出来事を時系列にして整理すると、単なる夢とは異なる、もうひとつの可能性が浮かんでくる――


「もしかしたらこれ、チーミングの誘いかもね」

「マジかよ……あたし、チーミングって初めて遭遇したわ。こういう場合ってどうすればいいんだ?」

「それはもちろん……」


 ふたりはひそひそと言葉を交わしあい、その後にふたりの一方――ロリータの少女が愛佳に振り向いた。彼女の手にはいつの間にか、長さ一メートル弱の棒が握られている。ロリータ衣装の持つ暗い魅力を一層に引き立てる、刺々しく角張った意匠の棒――さながら黒魔法の杖のようなそれを、少女は愛佳に突きつけた。


「独りになっちゃったのは可哀想だけど、こっちは不正行為に手を貸すつもりはさらさらないから。悪いけどキチンとゲームオーバーになって、それからもう一回参加し直しなさい」


 愛佳に向けられた杖の先端がぴかぴかと輝き始める。もしかしてわたしを掠めて彫像に弾痕を残したのはこの杖なんじゃ――気づいたときにはもう遅い。杖の先端から愛佳めがけて光が放たれる。


「痛っ!」


 しかしその光が愛佳を刺し貫くことはなかった。光はまたも愛佳を掠めていく。声を上げたのは、愛佳ではなくロリータの少女だった。少女が棒から光を放つより先に、別の光が彼女を襲って、そのせいで彼女の狙いがぶれたのだ。


「おい、あそこ!」


 もうひとりのピアスの子が、吹き抜けの二階を指す。そこにはロリータの子を撃ち抜いた者の姿が――


「わ、きれい――」


 我ながら、間の抜けた反応だったと思う。けれど愛佳はそうするしかなかったのだ――そこに立っていた彼女の纏うドレスが、あまりに眩しかったから。


 吹き抜けの二階から愛佳たちを見下ろすもうひとりの少女。彼女は青を基調としたパンツルックの衣装を身に纏っていた。まるで王子様。しかし白のスキニーが見せるすらりとした脚のラインは、彼女が女性であることを物語っている。ドレスに散りばめられた青は、光を反射して七色に瞬いてた――それは、城内に聳える巨大なステンドグラスよりも、尚きらびやかに。さながら白い砂浜に打ち寄せる透き通った海水の碧が、太陽の光を浴びてきらきらと輝いているよう。


「げっ、プレミアムレアドレスじゃねーか!」

「一旦引こう、ソレイユ!」

「いや――今ならいける! 行くぞ、ヨヒラ!」


 ヨヒラと呼ばれたロリータの子が止めるのを聞かず、ソレイユと呼ばれたピアスの子は一歩を踏み出す。それに呼応するかのように、吹き抜けの二階に立つ少女は、その手に杖を構えた。


 荘厳な城内にぴりりとした空気が奔る。


 杖を構えるその挙動の意図を愛佳は知らず、しかしひとつ確信できたのは――ここで何らかの「戦い」が始まるということだった。

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