第129話 ハデスの企て

「う、嘘だろ……?」


 杖の戦士、シンクの声が静まり返った空間に透き通るように響く。


「死んだのか……? オトナシが……!」

「クハハ、見ての通りだろう」


 レイア──いや、ハデスが戸惑うシンクをわらった。


「オレの名を気安く呼ぶからだ。そんなのは密閉された小瓶の中に湖の水すべてを無理やり詰め込もうとするようなもの。弾け散って当然のことよ」

「ワ、ワケ分かんねぇ……!」

「頭の足りんヤツにはこれ以上どう説明したところで無駄だ。勝手に永遠に悩んでいろ。さて、それにしてもこれからどうしたものかな」


 腕を組んで悩むハデスへと、

 

「……レイアは?」


 驚きに固まったままの表情で、ニーニャが問いかける。


「アンタ……レイアをどこにやったのよっ⁉」

「貴様は確か……ニーニャとかいったな」

「っ!」


 ニタリ、と。レイアの顔つきそのままに醜く笑ったハデスに、ニーニャの背筋をゾッとするような悪寒が走り抜ける。


「どうやら貴様は頭の良いガキらしいな? この身体うつわの内側から見ていたから知っているぞ」

「器……?」

「説明してやろう。オレは金貸しのようなもの。ただし貸すのは金ではなくオレの持つ冥力であり、返済は借主の体そのものだ。この借主はそれを承知でオレと契約したのさ。自分も仲間たちと肩を並べて戦うことのできる力が欲しい、みんなの足手まといになりたくないと、そう望んでな」


 ハデスはそこまで言うと、「ああ、そうだ」とハッとしたような表情をして、七戦士たちの方を向いた。


「決めたぞ。まずは貴様らを滅ぼそう」

「なっ……!」


 絶句するハヤシダたちに、ハデスはひとりウンウンと納得げに頷いた。


「そうだそうだ。そうしなきゃな。せっかく現界できたというのにこの世界が初期化されるなんてたまったもんじゃない。それに体に魂を馴染ませるには運動するのが一番だ」


 シンクは慌てふためきハヤシダにすがる。


「どっ、どうするハヤシダっ⁉」

「どうするって、そりゃ……」


「──そんなの、決まってる」


 剣の戦士レントが武器を構えてハヤシダたちの前に出た。


「アイツが俺たちを滅ぼそうとするのならば戦うしかない!」

「で、でもっ! アイツ……一瞬でオトナシを殺したんだぞっ⁉」

「それはそうだけど、じゃあ黙って殺されるのかっ⁉」

「ぼ、僕はヤだぞ! あんな化け物を相手にするなんて……!」

「落ち着けよ、ふたりとも」


 ハヤシダもまた槍を構えつつ、レントとシンクを諭した。


「確かにヤツはオトナシくんを瞬殺した。だけど、ソレしかしていない」

「どっ、どういうことだよ……?」

「ヤツは『名とは力』と、そう言っていた。オトナシくんが殺されたのは、彼がヤツの名前を口にしたその時だ。つまり……ヤツの力は【自分の名前を口にした者を殺す】効果があるスキルかなにかなのかもしれない」

「なんだよそれ、そんな能力聞いたこともねーよ……」


 目を丸くするシンクにハヤシダは苦笑いする。


「俺も聞いたことがない。びっくりさ。まさか自分がテストしてたゲームの中で、自分が知らない仕様が出てくるなんてね」


 ハヤシダの言葉にハデスは唸るように笑った。


「人間とはつくづく自分らを中心に物事を考える生き物よな」

「……どういうことだ?」

「貴様らは事象が貴様ら自身に及ぼした影響を見ているだけに過ぎないということだ。つまり、本質が見えていない」


 ハデスは自身の前に手をかざし、そこに冥力を集中させた。


「出でよ、貴様の名は【剣】」


 ハデスが言うと、かざしたその手に赤く禍々しい剣が生まれた。


「剣士か……!」


 レントはひとつ大きく息を吐くと、ハデスに向かって突き進んだ。


「ならば俺が相手だッ! ハヤシダさん、シンクくん、援護をっ!」

「なっ……オイ! 先走るなよっ!」


 シンクの制止の声にも止まらず、レントはハデスへと剣を振りかぶる。


「ハァァァッ!」

「フン……」


 鋭い剣の振り下ろしを防ぐようにハデスは剣を頭上に掲げた。


「……えっ」


 レントの口から渇いた声が出た。


「カヒュッ──」


 喉元からは空気の漏れる音。噴き出すヌメヌメとした温かで真っ赤な液体。真っ二つに【斬られた】剣。


「ッ⁉ ッ⁉ ッ⁉」


 レントは首元から大量出血をしていた。レントは剣を手放し、慌てて自身の首を押さえる。


「勝手に斬られにくるとは、愚か者が……」

「カヒュッ、な、なにを……⁉」

「オレは剣を横に構えていただけだ。貴様が勝手に突っ込んで来たんだろ。こちらの剣の切れ味も知らずにな。計算が狂わせやがって、この脳ナシが」


 ハデスは膝を着くレントの脇を悪態を吐きながら通り抜けると、その後方、ハヤシダとシンクの元へと歩んでいく。


「さて、そろそろオレの力は分かったかな?」

「……分かるかよっ!」


 ハヤシダの槍に赤黒い光が宿る。


「ほう? アレか」

「いけ! 『絶死絶命の槍ゲイ・ボルグッ!』」


 ハヤシダのユニークスキルが飛ぶ。曲がりくねって進む赤黒い光は、しかし迷うことなくハデスの心臓1点に狙いをつけて貫こうと迫る。

 

「出でよ、貴様の名は【盾】」


 ハデスが剣を持った手を掲げてそう言うと、グニャリと剣の形が歪んだ。そして一瞬の内にそれは盾となる。


「なっ……⁉」

「オイオイ、言葉を失うにはまだ早いぞ?」


 ハデスは不敵な笑みを浮かべると、ハヤシダの放ったユニークスキルへと盾をぶつけた。


「っ……⁉」


 ハヤシダが目と口を大きく開けて、固まる。自身の放った『絶死絶命の槍ゲイ・ボルグ』、それが爆竹のように一瞬で弾け散った様を見て。


「死の概念を冥界の主ハデスたるオレに使おうとは……このマヌケめ」

「そん……な」

「クハッ、クハハッ! いいぞ、絶望しているなッ⁉ いい表情だッ!」

「くそ……ッ!」


 ハヤシダはそれからいくつもの攻撃スキルをハデスへと叩きつけた。しかし、そのことごとくがハデスの持つ盾に容易く弾かれる。


「いいぞいいぞ、もっと攻撃してこい。それくらいでなければ運動にならん」

「くそっ、あと少し、あと少しだってのに……!」

「クハッ! あと少し? まるで届いてはいないぞ?」


 ハデスはグルグルと肩を回す。


「良い感じに馴染んできたな……」


 そう呟いたハデスだったが、突然後ろを振り向くと盾を振り回した。ドカッ! という音ともに盾に殴られた人の形を模した影が塵のように消えていく。


「……影分身か。なんのつもりだ、ニーニャ。いま俺に忍び寄って、何をしようとしていた?」

「……」

「オレが七戦士を滅ぼしてやろうというのだ。言わば味方。であれば、貴様がオレを狙う道理はあるまい?」

「味方?」


 ニーニャはハデスをにらみつける。

 

「アタシの仲間はレイアよっ! アンタじゃないっ!」

「……オイオイ、いまさらそんな些細なことにこだわるか? このままでは貴様らは七戦士に殺されるだけではないか」

「些細ですって……? アンタの目的が何なのか知らないけど、それが初期化よりタチが悪くないなんてそんな保証はどこにもないわ。それに……」


 ニーニャはハデスに指をさす。


「アンタの戦い方は間違いなくおかしい」

「……ほう?」


 ハデスはつまらなさそうに返事する。


「だが現にオレはすでに、お前たちが死ぬほど苦戦していた七戦士をふたりも片付けているが?」

「でもそれは全部アンタが直接手を下したわけじゃない。ふたりとも自滅だったわ。それに、アンタは自分の力の謎を解かせる方向へとアタシたちの思考を誘導しながら、自分からは攻撃せずに守ってばかり。まるで何か時間を稼ぐみたいに」

「……何が言いたい?」

「アンタはレイアの体を器と言った。冥力を貸す代わりに器を受け取る契約をしたと言った。なのに……アンタがこれまで姿を見せなかったのは何故?」

「……」

「答えないのね。じゃあアタシが言うわ。つまりアンタはレイアから体を受け取らなかった──いえ、受け取ることができなかったんじゃないの? これまでずっと、レイアの力の方が強かったから」


 ニーニャの言葉に、ハデスの表情が険しいものになる。


「でもアンタはレイアが衰弱した一瞬を狙ってようやく体を奪い取れた。でもきっと、本当に【やっとのこと】だった。だから、まだまだ取り返される懸念がある。それは、アンタの魂がそのレイアの体に馴染んでいないから。今はそれを定着させるための時間を稼いでいる……違う?」

「フッ、ただの憶測をまあ、ずいぶんと真実味を込めて語るじゃないか」

「ならアンタがこれまで一度もレイアの名前を口にしないのは……何故?」

「……」


 ニーニャはクナイ手に持ち、腰を落として、静かに構える。


「『名とは力』、アンタはそう言った。アンタの力は【名前に関係するナニカ】ってことは間違いない。アンタが名前を呼べば……レイアが起きるかもしれないから、だからアンタはレイアの名前を呼ばない。いえ、呼べない」

「……こざかしい。貴様は本当にこざかしい小娘だ、ニーニャ」

「アタシは誓ってんのよ……『次こそは絶対にレイアを守る』って。自分自身に! アンタなんかにくれてやるものか!」


 ニーニャが駆ける。ハデスへと向かって一直線に。

 

「アンタの声がレイアに聞こえるってことは、アタシの声だって届くはず。なら、アンタの近くでレイアのことを呼び続けてやる!」

「……フン。やれるものならやってみろ。【杖】よッ!」


 ハデスは盾を杖に変形させると、振りかぶってニーニャを迎え撃とうとする。


「『テレポート』」


 しかし、その隙をついて、突然ハデスの後ろにスペラが出現した。


「チッ!」


 ハデスは挟撃を嫌がるようにして離れようとするが、その方向から今度はハヤシダが槍を突き出してくる。


「オイオイ、節操がないな」


 ハデスは杖を持つ手とは逆の手に盾を作り、突き付けられた槍もろともハヤシダを弾き飛ばして大きく嘆息する。


「さっきまでいがみ合っていたろう、貴様ら。ここに来てまさかの共闘か?」

「……アタシらにそんな気はサラサラないわね」


 ニーニャの言葉にスペラも頷いた。


「私たちは私たちのために戦うまでです。レイア様は必ず取り返します……!」

「そういうことっ!」


 ハヤシダが槍を杖にして起き上がる。


「フッ、俺たちからしてみたら願ったり叶ったりだ……シンクくん!」

「っえ」


 恐怖で凍り付いたままだったシンクが我に返る。


「世界救済の第一歩だよ。王国組と一時共闘してヤツを殺す」

「わ……わかった」

「ハァ? 殺させないわよ?」

「共闘とは笑わせますね」


 決して意見の交わることのない両陣営は互いににらみを利かせ合ったが、しかし時間の無駄だと悟ったのか同時にハデスに向かっていく。


「くだらんな、あまねく滅ぼしてくれる……!」」


 ハデスは冥力を自身の周囲に拡げる。

 

「出でよ、貴様の名は【無数の槍】」


 大量の赤い槍がニーニャたちを迎え撃った。

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