第82話 作戦棄却
俺たちはさっそく、思いついたアイディアを形にするためチャイカの執務室へと再び足を運ぶ。おおむねの戦略会議はすでに終わったのか、その部屋にいたのはチャイカとダンサのみ。
……さて、しっかりプレゼンしなきゃな。
俺たちの考えたこのアイディアの実現のためにはチャイカの協力が不可欠だ。チャイカからの俺への心証は……まあたぶん悪いだろうが、だけど有用な案を人の好き嫌いで選り好みするほど彼女はバカではない。
来客のためのテーブルチェア、俺とチャイカはそこで向い合せに座る。ひとつひとつ、俺はアイディアとその狙いについてを語っていく。ときおり
「……ふむ、なるほどな。子爵、貴様らの案については理解した。確かにその方法が成功したならば、こちら側の犠牲は最小限……ゼロにすらなり得るだろう」
「そうでしょうっ? それなら──」
チャイカはガタリと音を立てて立ち上がる。
「却下だ」
「……えっ?」
「その案は飲めないと言っている」
有無を言わさぬその語気に、俺はなぜとも問えずに息を飲む。
「まず、子爵。貴様の兵士に対する認識は甘いと言わざるを得ない」
「甘い……?」
「ああ、そうだ」
チャイカは執務用デスクから先ほどまで使用していたのであろう、決戦の舞台となる丘陵地帯の地図を持ってきて、テーブルの上へと広げる。
「これが歩兵だ」
白い駒と黒い駒、それらは地図上で向い合せににらみ合うように並べられる。
「いま示したこの歩兵のにらみ合いによってできた線、これがこの戦局における最前線だ」
そしてその最前線の白い駒の後ろに、またいくつもの白い駒が置かれた。
「後ろにできるのが物資や食料の補給線であり、さらにその後ろにあるのが兵士たちの準備や治療を行うための我らの陣地。この最前線があるからこそ、我々は陣地防衛に厚みを持たせることができる。だが子爵、貴様はこの最前線を『開戦早々に大幅に後退しろ』と言う」
チャイカは白い駒すべてをザっと後ろに下げる。すると、王国陣地に至ってはカイニスの街のすぐ側まで下げられた。
「分かるか、子爵。陣地がカイニスの街にはみ出さんばかりになっている。これは地図上の縮尺による錯覚などではない。カイニスの街は国境線に近い位置にあるがゆえに、この最前線を少しでも押し下げられてしまえば街が戦火に包まれる」
「……それは、分かります。でも……」
「でも、なんだ? 『俺たちの作戦が成功すればそれで戦争は終わる』と? そうかもしれんな。だが、失敗する可能性だってあるだろう? いや、むしろ五分五分のギャンブルではないのか?」
「っ!」
それは図星だった。確かにこの作戦の成功率は検証できない以上は不明だ。しかし、時間的余裕と成功率で言えば一番のアイディアだ。
「ギャンブルに街への被害を賭けるなどというリスクはとうてい負えるものではない」
「伯爵、確かにあなたの言う通りかもしれません。だけど、カイニスの街の人払いはほとんど済んでいると聞いています。兵士の命が散ってしまうことに比べるなら、建物の損害などは安いものではないでしょうか」
「……ああ、だからだ。だから私は最初に貴様に言ったのだ。『兵士に対する認識が甘い』とな」
チャイカの言葉は物静かではあったが、しかしその並々ならぬ気迫が部屋の空気をこちらに向けて圧し潰してくるようだった。
「我々はこのカイニス領を守るために命を懸けている。この街を守るために命を散らすのであれば本望、それが兵士だ」
「そんな……そんなことはないでしょう! 人の命よりも街が大事だっていうんですかっ⁉」
「子爵、貴様は間違っている。『人の命』ではない、『兵士の命』だ。兵士は人々の生活を守るべきその日に備え、日々訓練を積むのだ。自らの命をこの領地に捧げたものこそが兵士なのだ」
「だ、だからって……」
「戦うべき時に戦えない兵士などタダ飯喰らいの置物だ。そして領民の生活を守るべき時に立ち上がれぬ領主はただのカカシに過ぎない。領主である私と、その私に忠誠を誓い兵士となった者たちは、領民として日々この街を支えてくれる人々に命を懸けて報いる義務がある」
チャイカは席に座る俺の後ろへとやってくると、その両手を優しく俺の肩へと置いた。
「ゆえに、前線は後退させない。カイニスの街を危険にさらすことはしない。子爵、貴様の提案については感謝する。しかし忘れよ。兵士とは……死ぬものなのだ」
「……」
「話は終わりだな? それでは私は所用があるため、失礼する」
そう言い残し、チャイカは背中を向けた。
「チャイ……伯爵!」
「我々のことにかまうな、子爵。貴様は砲の戦士をできる限りの範囲で食い止めてくれるだけでよい。多少の損害は仕方のないものと割り切るのだ」
「多少って……伯爵だって危ないんですよっ⁉」
「心配は無用だ。それでも我々が勝つからな。それに領主だからとて、女だからとて私を侮るな? これでもかなり腕に自信がある方だ」
チャイカはそう言って笑うと、部屋から去る。執務室に残ったのは俺たち4人だけだ。
「はぁ……ちくしょう……!」
上手くやれなかった、そのことに天井を仰いでいると背中に温かな手のひらが添えられる。
「グスタフさん。仕方がありません」
スペラは残念そうに微笑む。
「あれ以上は何も言えませんよ。完全にド正論パンチでしたから」
「……そうかもしれないけどさぁ」
「領民は畑を耕し、モノを作り、経済を
……確かに理屈じゃその通りだとは思う。でも、結局のところ兵士とは人間なのだ。割り切れと言われて「はい割り切ります」なんて即答できるほどドライではいられない。
「取り付く島もない、って感じだったね……ダンサちゃんはどう思った?」
ヒビキの問いに、ダンサは困ったように顔をゆがめる。
「グスタフ殿の提案自体はおもしろいものだと思ったわよ。でも……やはり私も考え方自体はチャイカ様に寄るわね」
「そっかぁ」
「兵士が替えの利くものだとは言わないけれど、それでも私たちが何を差し置いても配慮すべきは戦えない国民の命や生活だからね」
……やはり人を指揮する立場であるチャイカやダンサは、俺たちとは人や物の価値の見え方も少し異なるらしい。俺だって理屈じゃ理解はできるけど……。
「グスタフさん、考え込んでしまうのはやめましょう」
「スペラさん……」
「私たちには私たちのできることをしなければ。できなかったことを悔いているヒマなどは無いのでは?」
「……それもそうだな」
パチン! と俺は両頬を張る。
……なんだか昨日今日とスペラに励まされてばかりな気がするな。しっかりしないと!
「よし、それじゃあ砲の戦士対策をもっと煮詰めるとするか!」
「おっ、グフ兄元気になったねぇ! いいよ、徹夜しちゃうっ?」
「ヒビキさん? 夜はしっかり休みましょうね?」
「私はまたチャイカ様が戻りしだい戦略について話したいことがあるから、ここで待たせていただくよ」
俺たちは落ち込むのもそこそこに、それぞれ再び動き始めるのだった。
──そして翌日、戦端は開かれる。
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