第34話 スペラの覚悟~その1~

 ──エルフの里から戦闘音が消え、1時間が経過した。


 グスタフ、そして男のエルフたちによって縛り上げられた盗賊どもが次々に里の中心に集められている。盗賊団の支配から解放された里には久しぶりの安堵感がただよっていた。

 

 盗賊たちによって引き離されていた親子はその再会を喜び、女の子たちの中には緊張が解けて泣き出してしまうエルフもいた。ケガ人の治療も終わり、犠牲者も無く、最高のハッピーエンドと言える成果だろう。

 

 ……しかし、それで万事解決とはいかないのが現実というもの。


「ふむ……どうしたものかのぅ」


 重たいため息を吐いたのはこの里で最年長であるじいと呼ばれるエルフ。とある1つの住居の中に里内の重鎮じゅうちんである老エルフたちが集まって座っている。そしてそこには里で1番の術師であるスペラもいた。


「まさか、魔王軍が再び動き出すとは。そもそも魔王は勇者が討伐したのではなかったのか?」

「いや、魔王もまた勇者と同じく受け継がれるものだと聞く。300年ぶりにその時が来たのだろう。それで、どうする?」

「うむ……この里の場所を知られてしまっているのはマズいのぅ……」


 口々に言う老エルフたちに、スペラもまた重々しく口を開いた。


「マズいとは……300年前の【里の壊滅】が再び起こるのでは、ということですね」

「そうじゃ」


 爺は頷いた。


「スペラよ、あの時のお主はまだ生まれたばかりじゃったから知らなかろう。だが、ここにいるワシらはあのおぞましい日々を生き延びて今日までやってきた……そりゃあもうみっともない、逃げの一手でな」

「……そんなこと言わないでください、爺。確かに私にはその日の記憶があるわけではありません。しかし、残された書物を通じてちゃんと知っています。エルフたちが一丸となり、里を守るために魔王へと立ち向かったことを。そしてその結果として……多くの犠牲者を出して負けてしまったことも」


 その言葉に、部屋には泥の降るような沈黙が落ちる。老エルフたちは歯を食いしばっていた。その悲痛の表情から、その日の記憶がいまだ生傷のまま彼らの心に刻まれているのだということがスペラにもよく分かった。


「書物には、多くの優秀で若い術師たちが散っていったと記されていました。だから、私のような赤子や子供を生かすためにも、残された者は逃げるしかなかったのですよね」

「……うむ、そうじゃ。許せスペラ。お主の父と母は最期まで──」

「爺、その話について掘り下げるのはやめましょう。いまは、これからのことを」

「……そうじゃな」

「事は急を要します。『この里を再び捨てた場合にどうするか』、それを考えねばなりません」


 重苦しい空気を断ち切るようにスペラはりんとした声を響かせた。


「魔王軍の幹部がこのエルフの里へとやって来て、そしてグスタフさんによって倒されたのです。自然な流れとして、戻らない幹部を不審に思った魔王軍から何かしらのリアクションがあるでしょう」

「うむ、そうじゃろうなぁ。次は今回の幹部以上の力を持った幹部か、あるいはこの里を滅ぼすに足る大軍が押し寄せる可能性がある」

「ええ。ですから私たちはその前に、なんとしてでもこの里を出て別の場所へと逃がれなくてはなりません」


 スペラの言葉に、老エルフたちは苦い表情を浮かべた。

 

「スペラの言うことはもっともだ。しかし……いったいどこに逃げる場所がある? 300年前にこの魔の森の中に里を作ったのは、ここが1番人目に触れず安全だったからだ。いまさらこの森を出たところで……」

「ですが逃げなければ最悪全滅です。魔王に立ち向かうのが困難であることは尊い犠牲の上に築かれた真実でしょう」

「うむ……」


 再び押し黙る老エルフたち。それからしばらくの静寂を破ったのは、爺だった。

 

「……王国に、くだるしかあるまい」

「王国に、下る……?」

「里を捨てるのじゃ。本当の意味で、な」


 爺は哀しそうに目を細める。


「エルフの里を無くし、民を王国に受け入れてもらおうと言っておるのじゃよ」

「爺、それは……」

「仕方あるまいよ。我々だけでは魔王軍にあらがえんのじゃ」

「……本当に良いのですか、それで」

「長きに渡るエルフの里の歴史に幕を閉じるのは心苦しいが……みなの命には代えられぬ」


 重々しいその口調に、スペラは口をつぐんだ。他の老エルフたちもその案にざわつきはしたものの、しかし、それ以上の代案は上がらない。


「決まりじゃな。それでは……グスタフ殿へと、この件についてを何としてでも王国に取り次いでいただけるように頼まなくてはのぅ」

「……そう、ですね」

「問題があるとすれば……王国へと渡すことのできる財が少ないことじゃな」

「私たちはこの数百年、ほとんど外界との接触を絶ってきましたからね」

「うむ。保有する金銀は少ない。確実に、この里の民すべてを受け入れてもらうための額には足りないじゃろう。だが、それで諦めるわけにもいかん。ここはワシが地面に頭をこすりつけてでも頼み込んでこよう……」


 そう言って爺が立ち上がろうとして、しかし、


「お待ちを。……私が行ってきましょう」


 それを止めたのはスペラだった。


「現時点でグスタフさんと最も交流があるのは私ですし、私が代表者として話しに行った方がきっと彼も気を遣わずに済むでしょう」

「しかしじゃな……」

「それに加えて、私にはこの里に来るまでの道中にモンスターから守っていただいた恩もあります。そちらの礼も保留にしていただいていることですから、ひとまとめにお話した方がきっと向こう方の負担も少ないでしょう」

「う、うむ。それはそうじゃが……」


 スペラは、なおも不安そうな爺たちを何とか説き伏せて住居を出た。そしてまず向かったのは……しばらく帰っていなかった自分の家だ。変わり映えのしない自分の部屋に、しかしスペラはひと息吐くこともしない。

 

 スルスルと、これまで着ていて埃っぽくなった服を脱ぎ、下着も脱いだ。


「……ふぅ」


 スペラはかめから汲んだ水で顔を洗い、湿らせた布で手早く体を拭く。棚からめったに着けないパールホワイトの下着を引っ張り出し、クローゼットからは比較的新しく仕立てた、胸元の大きく開けた衣装を選んで着た。髪もかし、そうして最後にスタンドミラーの前に立つ。


「……よし。これならたぶん、大丈夫」


 スペラは、鏡に映る自分へと語りかけるようにつぶやく。


「さっきは断られてしまいましたが……おそらく汚らしい格好だったからでしょう。これならきっとグスタフさんも気に入ってくださるはずです……はずですよね……?」


 スペラは次第に弱気になっている自分へと気が付いてハッとすると、両手でパチンと頬を叩いた。


「ダメです。里のためなんですから、しっかりしないと。王国に我々エルフたちを迎えてもらうには、きっと里が保有する少ない金銀のそのすべてをかき集めて献上する必要があるでしょう。そうでもしなければ、王国が魔王軍に狙われるかもしれない私たちをかくまうメリットなどどこにも無いのですから……でも、そうすると今度はグスタフさんにお渡しできるものが何も無くなってしまう……だから──」


 スペラはスゥっと、覚悟を決めるように深く息を吸った。


「だから、グスタフさんには何としてでも、【私の肉体カラダ】だけでご満足いただかなければ……! がんばるのです、私っ!」


 鏡に向かってよしっと意気込むと、スペラは最後に香水を手首につけ、グスタフを探すため家を後にした。

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