ハンドソープ
しーちゃん
ハンドソープ
「おい!ブス触んな。汚ねーな」不意に叫ばれた声にビクッとする。振り返ると遠くに男子生徒2人が見える。所謂ヤンキーと言われるような素行の良くない生徒たち。彼らの先には女の子が1人立っていた。大人しそうないかにも真面目そうな女の子。私に言ったんじゃなかった。と安心したが、1度早くなった鼓動を抑えるのは容易ではない。ドクドクと脈打つリズムに合わせて不安が膨れ上がる。
家に着くなり、急いで洗面台に向かった。ハンドソープを手にだし、掌、手の甲、爪の間、手首と洗い残しがないようにしっかりと洗う。何度も何度も洗う。ふと鏡に映る自分を見て我に返る。何してんだろ。手を洗うのを止めて、テレビをつけソファに座る。家は落ち着く。一人暮らしを初めてもう5年が経つ。大学を卒業してから5年間、会社と家の往復、家には寝に帰るくらいのものだ。しかし、最近は働き方改革といって退勤を急かされる。そのためにまだ日が沈み切らないこんな時間に家に帰れる日が多くなった。とは言っても、家でやらなければ行けない仕事が増えただけである。ノートパソコンを鞄からだし作業を始める。1時間ほどした頃、ケータイが勢いよく震えた。「びっくりした。」ケータイには『相田蒼』と書かれている。少し深呼吸してから電話に出る。「もしもし?蒼くん?」「あ!もしもし。今平気?」優しそうな声が聞こえる。「うん。ちょうど休憩しようと思ってたところ。」そう言うと、「仕事?」と返ってきた。「そう。働き方改革とか言うけど会社でするか家でするかの違いだけなのよ」そう少し愚痴を零す。「お疲れ様。大変そうだね。」申し訳なさそうな彼の声に話を変えようと話題を切り出す。「で、どうしたの?」そう言うと思い出したように彼が言う「あ!そうそう。明日の夜空いてたりしない?久々にご飯行かない?」「え。明日?あー。。。うん、いいよ。」「ほんと?やった!なら仕事終わったら教えて!」「分かった」そう言って電話を切った。正直迷っていた。彼とは付き合い始めて3ヶ月程たった。会社の取引先で会ううちに意気投合し何度かご飯に行き付き合うことになった。
彼には会いたい。でも、会いたくない。いや、正確には会うことが怖いと思った。
そんな不安を抱え何度もケータイを手に取り彼とのLINEを開く。『明日やっぱり仕事で遅くなりそう。』そこまで打って文字を消した。会いたい。でも会いたくないその思いに揺れ、気がつけば寝てしまっていた。朝起きて、また考え込む。どうしよう。それでも、いつもより念入りに身支度をする。髪型、メイクいつもより丁寧に何度も鏡で確認した。家を出るなり気が重く溜め息が溢れた。しかしそんな重たい足を前に出し歩き始める。
仕事も集中出来ない。
「あれ?加菜さん今日いつもより可愛いですね!」
後輩の未奈美が目が合うなり私に言う。
「そうかな?ありがとう。」そう言うと少し不服そうに「デートですか?」と聞いてくる。
「一応ね。」そう言うと未奈美は「ふーん。」とつまらなさそうな声を出しどこかに行った。
仕事が終わり彼に連絡を入れ、メイクを治してから行こうと御手洗に向かった。
すると、未奈美達の話声が聞こえた。
「今日加菜さん、蒼さんとデートらしいですよ」
「は?なんであんなブスと蒼さんなの?」
「加菜さんっていかにも真面目って感じでなんか見ててイラつきません?」
「分かる。ウザイよね。」
「てか、ずっと長袖着てるのも、見ててキモイし」
その言葉を聞くなり私は、逃げ出していた。その先の言葉を聞いたくなかった。そして、近くの公園に入るなり、鞄に入れていたハンドソープを手に出し何度も洗った。隅々まで洗い残しがないように。必死に何度も何度も洗った。周りの音も景色もその時の私には見る余裕がなかった。それくらい手を洗うことに集中していた。
すると不意に手を掴まれた。「加菜ちゃん。」なんで。どうして。思考が追いつかなかった。「蒼くん。なんで、」そう言うと「連絡来て迎えに行ったら走っていく加菜ちゃんが見えたから。」
「うそ。」絶句した。そして一気に不安が押し寄せた。なんて言おうか考えてると「とりあえず、どこか行こうか。」そう言われ、蒼くんの家に行くことにした。お店に行ける精神状態ではなかった。
道中、彼は一言も言葉を発しなかった。でも私の手を離すことはなかった。蒼くんは何を考えているのだろう。彼の顔を直視出来ない。彼はもう知ってしまった。私の癖。なんて思われるだろう。キモイとか汚いとか思っていたらどうしよう。振られたらどうしよう。嫌われたくない。頭から離れない嫌な妄想。不安で呼吸が浅くなる。そんな気持ちを必死に抑えていると彼の家についた。
部屋に入るなり「散らかってるけど、適当に座ってて。なにか飲む?」そう言われ、「あ。うん。」そう答えた。何も変わらない彼の部屋。清潔感溢れる部屋。「はい。どうぞ」差し出されたマグカップを受け取る。「ありがとう。」ひんやりとした陶器のマグカップは私の手を心地よく冷やした。でもどうしてだろう。冷たいはずなのに温かく感じた。「加菜ちゃん、ココア好きでしょ?夏だからアイスココア。」そう優しく笑う彼は、私の隣に座った。そして、優しく話し始めた。
「加菜ちゃん、俺加菜ちゃんが隠し事してるの知ってるんだ。」一気に私は緊張状態になる。鼓動が早くなる。どうしよう。怖い。そんな思いが込上がる「加菜ちゃん、もう夏になるのにずっと長袖のままだよね。本当は気がついてた。加菜ちゃんいつから?」そう聞かれて戸惑う。「え?いつからって。。。?」「いつから手を洗わないと気がすまなくなったの?そんな、手荒れする程。」彼の声は震えていた。怒りからではない。自分の無力さをきっと責めているのだろう。凄く凄く後悔した。「ごめん。なさい。」そう呟くと「謝って欲しい訳じゃないんだ。俺気がついてたのに触れることが怖くて逃げてた。」「私汚いから。醜いから。ずっとそう言われて、、、」ダメだ泣いてしまう。泣きそうな想いを抑えながら私は続けた。「それで、私綺麗にならなきゃって。」「加菜ちゃんは綺麗だよ」びっくりした。そんなこと言われたことがない。「あのね、加菜ちゃんはきっと誰よりも繊細なんだ。それだけなんだ。人は誰かのせいにしないと生きていけない事がある。加菜ちゃん、自分を責めなくていいんだよ。誰かのせいにしていいよ。もう沢山頑張ったんだから。逃げてもいいんだよ。」優しい言葉。優しすぎる言葉。
私はゆっくり話し始めた。「私、ずっと可愛いって言われて育ったの。中学の頃、クラスの皆に可愛いって言われた。先生にも。ある日先生に放課後呼び出されたの。そしたら、私。。。」言葉が上手く出てこない。その人は英語担当の先生だった。クラスの提出物を持ってきて欲しいと頼まれ私は言われた通り提出物を集めて持っていった。すると「ありがとう。安藤さんはとても優秀な生徒だね。」そう言い私の肩に触れた。戸惑った。逃げなきゃと思った。でも震える足は自分の意思に反して動いてはくれない。その後私は先生にありとあらゆる所を触られた。気持ち悪かった。怖かった。でも、何よりもショックだったのは『森本と加菜がヤッたらしい。加菜は誰とでもヤる女』と噂が流れた事だった。私のことを気に入らない女子がいるのは分かっていた。彼女達はあらゆる方法でその情報を拡散した。信じられなかった。先生は別の学校に飛ばされていたけれど、それでも、その日から私は汚いと近づくなと、死ねと罵られ続けた。そんな言葉をかき消すように手首にカッターを置く。死にたいわけじゃない。でもいくつもの傷を見る度に何故か安心した。不思議だった。でもクラスの皆にリストカットをしていることがバレてしまった。一瞬で噂は広まった。また皆の目が鋭くなる。『汚い』その言葉が私を洗脳する。その頃からだろう、不安になると手を洗わずにはいられなくなったのは。
「私、嬉しかったの。可愛いって言われて嬉しかったの。だから可愛く有ろうとした。かわいいをもとめた。皆が純粋にそう思ってくれてると思っていた。でも違った。私が悪いの。」そう言うと、彼が優しく抱きしめ、力強くいう。「君は悪くない。絶対に」絶対に?「加菜ちゃんは悪くない」なぜ彼がそこまで強く言いきれるのか分からない。でも私が可愛いって言われて嬉しかったことは、悪くなかった?可愛くあろうとしたことは悪くなかった?
私が可愛いことは悪くなかった。
きっと無かったことにはならない過去。消すことなんて出来ない思い。それでも、包み込んでくれた過去。否定せずに受け止められた想い。私の手を握る彼の手がすごく大きく感じた。これからはハンドソープに頼らなくても大丈夫な気がした。
ほんの少し前を向けるそんな気がした。
ハンドソープ しーちゃん @Mototochigami
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