JACKALOPE
こんな話を信じてくれるものはいるだろうか。
赤茶けた砂漠が延々と広がる中、点々と並んだスタンド。そのひとつのうらぶれた酒場で、その男は澱んだ眼を私に向けた。
「その顔は信じていないって顔だな? あんちゃん」
「いえ、いえ。そういうわけでは」
男は鼻を鳴らした。
「別に信じないならそれでいいんだけどよ。何か話はないかってかけてきたのはあんちゃんのほうだぜ?」
ツケが払えないと言って店員とごねていた彼に、私が酒代を融通したのだった。礼の代わりに、何か耳寄りな話はないかと持ち掛けた。
店内の席は九割がた埋まっていて、店員も含め誰もが男性だった。砂埃と汗の臭いが滞留していて、強いアルコールを嗅いだだけで意識が飛んでしまいそうだった。
それなのに目の前の男は安物のウイスキーを開けていて、相当酔っぱらっている様子だった。向き合って座っている私までやられてしまいそうだった。
「続きを──」
私は不快感を笑顔で覆い隠して言った。
「ジャックラビットがどうしたんでしたっけ?」
「ジャッカロープだ。ウサギぽっちじゃねえ」
「ああ、そうでした。ジャッカロープ──奇妙な言葉です。初めて聞きましたよ」
「ここいらでもほとんど見かけないんだ。大きさはこんくらいで──まあウサギくらいだな。だがただのウサギじゃねえ。頭んとこにはアンテロープのツノが生えてやがんだ。こんな風に……」
男は両腕を広げてみせた。
商売の話にはなりそうにないと私は見限っていたが、一応は興味ありげな反応を示した。
「ああ。それでジャッカロープ」
「俺の仲間のカウボーイどもが荒野で野営していた時にな、ふらっと現れたかと思うとそのまま一緒になって火を囲んでいたっていうじゃねえか。飯の足しにしようとそいつがライフルを構えたらな、「撃たないでくれ」「撃たないでくれ」ってしきりに言うんだよ。動物なのによ」
「ウサギは喋りませんものね」
「ああ。それはそれは訛りのない
「ははっ。アルコールは身体に毒ですよ」
私は笑い飛ばした。対照的に、男は酔って頬を赤く染めてなお語り口と目は真剣そのものだった。窪んだ目でこちらを見上げるようにして、男は話を続けた。
「それで話は終わりじゃねえんだ。同じような動物はそれから点々と目撃されるようになった。誰が呼んだかジャッカロープって名前もつきはじめてた。そいつはこのスタンドからそう離れてねえところにも現れたっていうからな。ああ、実際に言葉を交わしたやつってなるとだいぶんと少なくなるがな。……それでなあんちゃん。俺も見たことがあるんだ。そのジャッカロープってのをな」
「ああ。あれは俺が相棒と生き別れになって二か月くらいたった頃だ。相棒は元々は本国の貴族の血を引いていてな。父親の代で身を崩して一家でフロンティア入り。こっちでも事業に失敗して俺みたいな親の顔も知らねえごろつきと組んだわけだ。堕ちたもんだよな。優男でよ。モーテルの女にもほとんど手を出さなかった。こっちのケがあるんじゃねえのかって噂されてたくらいだ。ただ不思議とウマがあってな。俺たちはまあ阿漕な商売をしているわけで、俺なんかカタギの仕事は何一つ水が合わなかった質なもんだから本当にこれはおかしなことなんだけどな」
男は憧憬の目を虚空に向けた。私は彼のグラスにウイスキーを注いでやった。「おっとすまねえ」と男は礼を入れて一気にウイスキーを呷り、むせて咳込んだ。
「ゴールドラッシュのフロントラインと噂されているとこが、ここから二、三マイル行った谷にあってな。俺たちは荒稼ぎのために準備をして乗り込んだわけよ。谷底に洞窟が開いてるんだな。上から覗いたら真っ暗な口が開いてたよ。──興味ありそうな顔だな。まあ待て、話は全部聞くもんだぜ」
「明日降りようってことになって、着いた日は野営していた。そこで俺たちは砂嵐にあったんだ。俺は雉打ちに──雉打ちって分かるか? 要はしょんべんしに行ってたんだけどな──とにかくキャンプから離れたとこにいたんだ。そこに砂嵐なんか来たもんだからもうどこにいるか全然サッパリでな。ただ吹き飛ばされねえようにこう地べたについてじっとしていたわけよ。で、一時間もなかったか、とにかく止んでくれたから急いでキャンプまで戻ったら、荷物ごと相棒が消えてやがんだ。地面がえぐられたように削られててな。トンズラこかれたってかは吹き飛ばされたんだと、そう思ったね」
「それで、金のほうはあったんですか?」
「あ゛? あぁ、あんちゃん商売人か。必死な感じが痛々しいね」
男の馬鹿に仕切ったような声は私の癇に障ったが、私は驚異的な忍耐力でそれを顔に出さなかった。
「荷物が無くなったもんだから、這う這うの体でこのスタンドまで戻ってきて、それからすっかり無一文さ。ツキがないね。一念発起とばかしにちょっと仕入れ先を当たろうとしても、そういった交渉事は相棒の役割だったから俺はどうも苦手でな。昔の馴染みもみんなそっぽ向きやがる。もうだめかと思ったそんな夜のことだ。相棒に会ったんだよ」
「へえ。生きていたんですか」
「ああ。でもあんちゃんが想像するような『生きていた』じゃねえな。何しろ相棒はジャッカロープになっていたってんだからよ」
「アンテロープのツノの生えたウサギのことは噂にゃ聞いていたけどな。まさか本当にいるとは思わんかったな。そいつはいつの間にそこにいたのか火に身体を温めていてな。俺が気付いて呼びかけたので初めて顔を上げた訳よ。そんで『ウイスキーを貰えないか』って言うんだ。その声が紛れなく相棒の声で、俺は腰が抜けたね。『おい、相棒っ! どうしちまったんだ!? 俺だよ俺っ!!』。呼びかけて相棒も信じられないと叫んだね。『そんな! こんな偶然があるなんて!』
ジャッカロープ、いや、相棒によれば事情はこうだ。
『突然嵐になって、すっかり前が見えなくなっちまった。あって思った時には竜巻が目の前にあってよ。瓦礫とか石粒を巻き上げながらこっちに向かってくるわけよ。そんであっという間さ。砂嵐の竜巻に吹き飛ばされた俺は、件の谷底まで引きずられて真っ逆さまに背中からかな、落ちたんだ。もう痛ぇのなんのってさ。悶えるってああいうのを言うんだな。生きているのが不思議なほどだった。黄金の光が洞穴から差していたよ。横目で見えた。相棒、だがあそこは危ないからやめておきな。
谷底は流砂になっててな、ここいらじゃ珍しい砂の海だった。だから死ななかったのかもな。アリジゴクみたいに真ん中に吸い寄せられていって、他にもジャックラビットとアンテロープの、たぶん同じように風に吹き飛ばされたんだろうが、まだピクピクしているのが俺と同じすり鉢の真ん中に吸われていったんだ。同時に中心に集まって、漏斗みたいに流れ落ちていったよ。
そこで俺が見たものは、たぶん信じてはもらえねぇと思う。っていうか、俺自身、あれがなんだったのかよく分からん。端的に言えば、そこには化け物がいた。全身真っ白で、胡坐を組んで宙に浮いていて、腕は三倍で六本もあった。大きさは軽く二十フィートってところかな。頭の部分に頭がなくて、そこには巻貝の殻みたいな白い螺旋の構造があった。部屋は黄金で眩しくて目も開けられないほどだったが、はっきりと覚えてるぜ。
俺は無造作に持ち上げられて、螺旋の前で──俺を観察している感じだったな──不意に身体をぐしゃぐしゃにされたんだ。ぐしゃぐしゃだ。まるで俺が粘土でできているみたいにな、柔らかくなってこねくり回されたんだ。気持ち悪かった。べろべろに酔っぱらったような感覚が一番近いかな。アンテロープとジャックラビットも同じようにぐにゃぐにゃにされていた。
もう分かるだろう? 俺はそうやってドッキングさせられたのさ。だからこんな身体で、こうやって喋っていられるのさ、相棒』」
「……それで、あなたはそれを信じたのですか」
あまりに荒唐無稽な話に、私は思わず口を挟んだ。
男は私をじろりと睨みつけた。
「ああ。そうだ」
「えぇ……」
二の句が継げない私に、男は言い訳でもするかのように両腕を広げた。
「オーケイ。信じられないのもわかるし、別に信じなくてもいい。けどあいつは確かにウイスキーが大好物だったし、どんなに汚ぇスラングを使っていても発音だけは綺麗な
「勿論ですミスター。話の腰を折ってすいませんでした」
私は慇懃な笑みを浮かべたが、相手はすっかりへそを曲げたようだった。
せめて黄金の在処を聞かなくては。私は食い下がり、バーテンに言ってもう一杯男に酒を馳走した。
「──ちっ。場所だけだ。だが忠告しておく。あそこには行かないほうがいい。俺も実際に見たことがあるから分かる。地形が危険だって以上に、あの谷底には何かがある──そう思わせるだけの何かがな」
酒を飲んだ男はしぶしぶ私に黄金の谷の場所を告げると、乱暴な足取りでバーを出て行った。
「あの男はいつもあんななのかい?」
「ええ旦那。あいつはいつも飲んだくれてますね」
「相棒が云々とかいう話は?」
「ええ、ええ。何遍も聞きましたとも。その、ジャッカロープでしたっけね、それになっちまったって話もね。……別にあの後、たいしたオチがある訳でもないですから、適当に聞き流しとくのが正解ですよ。黄金っていうのもどれだけ本当かねえ」
私はバーテンに礼を言って、少し多めに勘定を払うと店を後にした。
ダンブルウィードがかろうじて道と呼べる道を転がっていった。砂埃に喉を痛めながら、私はモーテルへ戻った。
そしていま。
ひとりで乗り込んだ谷底で、私は話にあった白い巨人のような悪魔と対峙していた。否、そいつの手に握られ、動けなくなっていた。
こんな話を信じてくれるものはいるだろうか。
触れたものを柔らかくする力でもあるのか。
私は自分自身がぐにゃぐにゃになっているのが分かった。これもまた随分と不思議な感覚だった。
周りには黄金。悪魔が無造作に黄金の塊を手に掴んだ。私はこれから、このフロンティアの荒野の地の底で、どうなるのだろうか。黄金を持った手が近付いてくる。私は悲鳴を上げた。
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