第58話 生きてたってしょうがない

 ジャンニは病室をのぞいた。ぽっちゃりした男が横になって壁掛けテレビを見ていた。


「あのう、すまないんだけどチャンネルを変えてくれないかな。このリモコン、壊れてて……。くっそつまらないトークじゃなくて、ゆさゆさおっぱいのお姉ちゃんが見たい」

「オスカー、残念だな。このテレビはおっぱいが映らないようにしてもらったよ。あんたが女医さんに変な妄想を膨らませないように」

「だからこそ必要なん……あれ?」


 眠そうな目をしばたたく。


「あんたは、確か……モレッリ巡査部長。そうだろ? 懐かしいなあ、元気でやってるのかい」

「今は警部なんだ。あんたこそ気分はどうだ? 飲まず食わずで倒れてたって? 何があった」

「話したくない。なあ、ほかの番組にしてくれよ。ちくしょう、スマホはどこに行った」


 点滴につながった手が上掛けをめくり、ベッドの脇のテーブルを探った。ジャンニは上着のポケットから携帯電話を出した。荒らされたアパートの部屋で見つけたものだ。


「捜してるのはひょっとして、これかな。あんたの家の床に落ちてたよ。同じ番号から何件も電話がかかってきてる」


 着信履歴が見えるように向けてやると、オスカーはシーツを鼻の上まで引っぱりあげた。


「誰からだ?」

「知らない。頭がぼうっとして、何も分からない」


 ジャンニは椅子を持ってきて座った。


「じゃ、お喋りで頭をしゃきっとさせようか。世の中には困った人に金を貸す、心優しき人々がいる。彼らは聖人だから返済が滞っても脅したりしない。そっと思い出させるだけだ。キングコングを送り込んで家具で破壊芸術のオブジェをつくらせたりして。あんたはそういう連中に金を借りてるんじゃないか? で、逃げ回ってる。だとすると、ひとつ解せないことがある。だってあんたは金ならあるはずだから」

「なんの金だい?」

「身分証明書の偽造に加担して稼いだ金だ」

「何のことだか分からない」

「ミルコ・ロッシを覚えてるかい? あんたはやつに偽造身分証で銀行をだませると言い、ディ・カプア教授の連絡先を教えてコンタクトをとらせた。ミルコはあんたの言葉を鵜呑みにし、教授に前金を払った。その何割かはあんたに手数料として渡ったろ」

「何のことだか分からない。看護師さん、頭が痛い」

「ああ看護師さん、こっちです、この男ですよ。去勢手術が必要な患者は」


 女性の看護師はジャンニを睨み、質問を切り上げるよう言って同室の患者のほうへ行った。


「そうだよ、おれは安静が必要なんだ。何も喋れない」

「どっちみち、あんたは出頭を命じられて事情聴取される。うちの上司と検察官にしぼられる。どっちも犯罪者みたいな悪人づらでな、とくに上司は署内で有名な悪徳警官だ。被疑者の頭を壁に叩きつけて、やってないこともやりましたと言わせるんだよ。話すべきことは今おれに話したほうがいい」

「何も話したくない」

「力尽きて倒れたとき、川にかかる橋の上にいたんだって? 馬鹿なことを考えてなかっただろうな」


 オスカーは上掛けをかぶったまま体をそむけた。諦めきったような声は、丸まった背中から発されているかに思えた。


「おれなんか生きてたってしょうがないからね、モレッリ巡査部長」

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