ジャンクフードを一緒に食べよう

広河長綺

第1話

せっかく帰宅したのに、玄関から先に行けない。


ここはスミレハイツ134号室。

本来なら残業疲れがたまった体を奥にあるベッドに横たえたいところだ。


しかし、今はできない。


玄関から見える位置にある冷蔵庫が開いているからだ。

今朝通勤する時は、こんな状態じゃなかったのに。


私はマスク脱ぎ手洗いうがいをしないまま、靴を脱ぎ、家にあがった。


ゆっくり慎重に奥へ歩く。

玄関から細い廊下が伸び、冷蔵庫の横を通って、リビングに繋がる。


本来ならそこは、誰もいないこたつが置いてあるだけの空間、のはず。


恐怖で心拍数が上がるのを感じつつそっと覗き込む。


電灯がついていない暗い部屋の中に、案の定、人がいる。

私は反射的に電灯をONにした。

ピンクのセーターを身にまとった女の背中が光に照らされた。

私の冷蔵庫から取り出した冷凍食品を、床に並べている。


冷凍餃子。

冷凍パスタ。

冷凍ピラフ。


茶色いフローリングが冷凍食品の袋でカラフルだ。


「なにしてるんですか」

恐る恐る声をかけると、その人はゆっくり振り返った。

目が合う。


「教団の聖水使って、汚れた食事を清めているんだよ。どう?」

私と同い年くらい20代の女性が、無垢な笑顔を向けてくる。

さっき点けた電灯の光に目を細めつつ誇らしそうに、冷凍食品を指さす。素晴らしいことをしてあげた、とでも言うように。

「綺麗になってるでしょ?」


ツインテールで低身長な女だった。

普通ツインテールといえば子どもの髪型という感じだが、顔が童顔なのでよく似合っている。


私は思わず目を背けた。

――コイツの子どもっぽさはなぜかキモい。

教団にいる間に何度も思った事だった。

そしてそんな過去の嫌悪感が呼び水になり、暗い記憶が蘇ってくる。


…そうだ。私は彼女が昔からずっとツインテールが似合うことを知っている。

この女、さちは私が緑の平和教団に初めて入った時の先輩ポジションだったから。


親の入信に巻き込まれる形で入れられた「緑の平和教団」は、ありとあらゆる文明を否定するナチュラリストカルトだった。

輸血。

抗生物質。

ワクチン。

インスタント食品。

電気。


ありとあらゆる文明を取り上げられて、私は子供時代を過ごした。

思い出しただけで苦しくなってくる。



息遣い荒く「もう、私は、教団でたから。今は私の先輩信者じゃないでしょ。ほっといてよ…」と抗議する私を気遣うこともなく、さちは笑顔だ。

私がさちのことを覚えていたのが、嬉しいらしい。


鼻歌を歌いながら、ペットボトルに入った聖水を床の冷凍食品にかけている。

冷凍食品は外装の中であり、それに水かけて意味あるの?と言いたくなるが、そんな論理的なことを考えないから、カルトなのだ。


幸は冷凍食品に顔をしかめ「あなたが出て行ったからって、冷凍食品が汚れていることは変わらないよー」と言った。


「なんで未だに私の指導役だと思ってるの?」

しつこく、私は教団の外で生きていることを指摘する。何度でも主張するつもりだ。


「私には、あなたの人生めちゃくちゃにした責任があるんだー」

と、幸はポツリと意外な返答をした。

奥に熱情が隠れているような静かな口調だ。


「責任?」予想外のワードに私は戸惑う。

「うん、あなたがね、ジャンクフード食べるようになったのは、私のせいなの」

「幸の?」

「うん、教団に入りたての頃に、ここのご飯水みたいーって言ってね」


――ここのご飯、全部水みたいじゃん。美味しくないよー

頭の奥の方で、10歳の私の声が響く。駄々をこねた時に感じていた強烈な空腹感までもが蘇る。


親に連れられて教団に入った頃の事だ。

当時の私は長時間ゴネた。昨日まで普通の食事をしていた私にとっては、教団の食事は質素すぎたから。

その時に私の剣幕に押されたのか幸は私にカップ麺を食べさせてしまったのだ。


そのカップ麺の美味しさが、後々の教団の洗脳を邪魔した。

どれだけ強く教えを叩き込まれても、

「でも教団に入ったらあのカップ麺は食えないんだなぁ」と思ってしまう。

そうして私は教団から抜けることができた。

教団側から見れば「幸に責任がある」という理屈も筋が通っている。


だから10年経った今でも、私を指導し直すことに情熱を燃やすのだろう。


そんな幸の心の内を思うと、とても滑稽だった。

「…何で笑ってるの?大人しく教団に帰りなさい」

幸がいつの間にかナイフを取り出し私に向けている。

刃が電灯を反射し、きらりと輝く。


さすがカルト。目的のためには手段を選ばない。


私は上から目線で感心して、

「幸ちゃんこそ、警察が来るまで大人しくしててね」

と、告げた。


その瞬間、「は?」と戸惑いの声をあげながら、幸がその場に倒れこんだ。

幸が罠にかかったのを確認した私は、外行き用の布マスクを外し、下に着けていたを露わにした。


強烈な刺激臭で立っていられなくなった幸に、私は一応教えてあげた。「緑の平和教団は自分の失敗を信者に隠すから幸は知らないんだろうけど、私を信者が襲ってくるのは、これで5度目なんだよねぇ」


5回も繰り返し襲われてたら、こっちだって慣れてくる。

対応し自分の身を守ることが、作業になってくる。


私は、あらかじめ、冷蔵庫の中に冷凍食品を入れて、その外袋の表面に塩素系洗剤を付着させておいた。

教団が「聖水」と呼んでいるのはただの酸素系洗剤なので、信者が冷凍食品を清めようとして聖水をかけると、信者が毒ガスを吸う羽目になる、というわけだ。


これがだ。カルトが軽視している科学が私を守ってくれる。


私はいつも信者にしているように、刺激臭で動けない幸を縛り上げた。

換気扇のスイッチを入れる。


それから、いつものように警察に通報しようとして、ふと足がとまる。


頭の中で、何かひっかかる言葉があった。


責任。

幸は責任をとらなきゃいけない。


私は110番をかけに行こうとする足を止め、冷凍食品の牛丼を床から拾い、電子レンジに入れて加熱を開始した。


「あぁ?何してるの?」

縛り上げられて床に転がっている幸が尋ねる。


「私ね、実はまだ洗脳とけてないんだ」私は幸の質問を無視して、一方的に報告した。「冷凍食品を食べようとすると吐いちゃう。ここに置いてあるのは全部、罠。私は教団のせいで、いまだに普通の健康な人になれないんだ」


それは理屈じゃない。冷凍食品は普通の物だと頭でわかっていても、脳が拒否してしまう。


「あなた、責任って言ったよね?じゃあ、私の人生めちゃめちゃにした責任をとってよ」と睨みつけた。

なぜか幸は怯えている。


私は(バカだな。加害者はあなたでしょ)と呆れながら、「だから、幸、今ここでジャンクフードを食べてよ。たぶん教団を信じているあなたは吐くだろうけど、そしたらまた口に詰める。私も、幸と一緒なら食べられるかもしれないしね♪」と笑った。


床に転がっている幸は必死に首を横に振っているが、そんなの知ったことか。



私の心の奥底には冷たい怒りが、ずっとずっと煮えたぎっている。


子ども時代に美味しいごはんを食べるという当たり前の経験を奪いやがって。

両親との平和な日常を壊しやがって。


教団の奴らを、絶対に許せない。

普通に幸を警察に突き出すだけじゃ、この怒りは収まらない。

だから、ジャンクフードを無理やり口に詰めてやるのだ。


「さぁ幸さん、ジャンクフードを一緒に食べよう!!!!

一緒にご飯食べるの、15年ぶりだね!

楽しくなってきたねぇ?」


私は笑う。

幸は泣く。


電子レンジがチーンと鳴った。

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ジャンクフードを一緒に食べよう 広河長綺 @hirokawanagaki

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