episode.3


「ねぇ……どうしてお前はそう、ゆっくりしていられないのよ」


 ベッドにうつ伏せになったまま、シーヴァは頬杖を付いて溜め息混じりに言葉を発した。


 事後の余韻をシーツに残し、一糸も纏わぬ姿で滑らかな曲線を晒して、ベッドに腰掛けるフィンへと視線を向ける。


「一緒に朝を迎えるような関係ではないと思いますが」


 シーヴァとは対照的に既に衣服を身に付けているフィンは、ネクタイを結びながら淡々と口を動かした。

 つい先程まで行われていた獣のような交わりなど、最初からなかったと言わんばかりの口調だ。


「お前の言うことは、いちいちムカつくわね」


「それは、失礼いたしました」


 悪いなどとは微塵も思っていないであろう男の後ろ姿に、シーヴァはチッと舌打ちを投げる。

 欲という欲を満たし終えたシーヴァの従僕は、すっかり精気と理性を取り戻したようで、真っ赤に染まっていたはずの瞳はいつもの灰色に戻っていた。


「本当に、お前が可愛いのは血を吸う時だけね」


「……褒め言葉として頂いておきます」


「ええ、褒めているわよ。誰よりもあんな醜態を晒すのを嫌うくせに、私に血を下さいとおねだりすることもできない。我慢して飢えと渇きに苦しむほど、反動でまた醜態を晒す……賢いのか馬鹿なのか、本当にどっちなの? 愛おしすぎて、食べてしまいたくなるわ」


 たっぷりの皮肉を込めたシーヴァの物言いに、フィンは短い溜め息で答える。

 理性的であることを望むフィンが、唯一理性を失う瞬間。普段から定期的に血を飲んでさえいれば、獣のように乱れることもないというのに。

 なぜ彼が頑なに意地を張るのか、シーヴァにはまるで理解できない。


「……フィン、いつまで人間のような振る舞いを続けるつもり? そんな格好で仕事だとか、人間の血を吸うのが嫌だとか……お前はとっくの昔に人ではなくなっていること、分かっているの?」


 ずっと背を向けていたフィンがその言葉にぴくりと反応を示し、シーヴァへと視線を向けた。この部屋に来た時と同じように首元で締められた黒のネクタイが、彼の頑なな心を体現しているようだ。

 相変わらずの無表情の瞳と視線を合わせたシーヴァは、紅い唇で弧を描く。


「気に障った?」


「……いえ。それより、いい加減服を着たらどうですか」


「なぁに? 散々貪ったくせに、今更恥ずかしいの?」


 子どものように無邪気に笑うシーヴァを不快そうに見つめ、フィンは再び顔を前に向けて床に落ちているスーツの上着を拾い上げた。


「そろそろ失礼します」


「ねぇ、ちょっと待ちなさい」


 立ち上がろうとするフィンを引き留め、シーヴァは背後から彼の首に細い腕を絡ませる。

 裸体の少女がベッドで男に抱き付く様は、アンバランスな背徳さを纏い、二人の異質な関係性を表している。


「ひとつ、訊きたいの」


「なんでしょうか、シーヴァ様」


 無機質な声を返す背中に幼さの残る膨らみを押し付け、フィンの耳元へ唇を寄せる。

 髪から花のような特有の甘い香りを漂わせるシーヴァの内股を、どろりとした白濁液がつたい落ちた。


「もしかして──……まだ探しているの?」


 冷ややかな笑みを浮かべてそう囁き、背後からフィンの顔を覗き見る。動かない表情から読み取れるほんの僅かな陰りは、長い歳月を共にしてきたシーヴァにこそ分かる、微々たる感情の動きだ。


 気付いてしまえばもう、どうしようもなく不愉快なものがシーヴァの中で渦巻き、思わず顔を歪めた。


「呆れた……100年以上前のことを、未だに探っていただなんて」


 身じろぎひとつせず押し黙っているフィンへと大袈裟な溜め息を浴びせ、シーヴァは首に絡ませていた腕を離した。


「お前の関心は、いつまでもにあるってことなのね。何をしたところで、死者は戻って来ないのよ」


 ベッドから下りてフィンの前に立ったシーヴァは、彼の伏せた金色の睫毛を見つめる。憂いを感じさせる整った顔立ちは、出逢った時のまま、何ひとつ変わっていない。


 あの日から止まった、シーヴァが止めたフィンの時間は、肉体だけではなく、どうやら心すらあの場に縛り付けているようだ。


「首に掛けているものを、渡しなさい」


 冷淡な口調でフィンに命令すれば、長い睫毛から覗く灰色の瞳が、強い拒絶の意思を持ってシーヴァに向けられた。


「……嫌です」


「そんなものをいつまでも持っているから、お前は半人前のままなのよ」


「何を言われようと、渡すつもりはありません」


「フィン、私の言うことが聞けないの?」


 有無を言わせぬシーヴァの言葉は、絶対的な服従の意味を持つ。

 従僕フィンという存在は、主人シーヴァに逆らうことはできない。

 交わされた血の契りが、引き裂けない主従で二人を結び付けている。


「シーヴァ様。あの日、貴女が私に言ったのです。私のすべてを奪った者を、葬る力をくれると」


 淡々とそう口にしながら、フィンはシャツの上から胸元を握り締めた。


 フィンと交わる時にはいつもチラチラと目に付いて、鬱陶しいと思っていた代物。


 まるで首輪のように縛りついて、フィンの心をいつまでも掴んで離さない、あのふたつの輪。


 サイズ違いの、シルバーリング。


「──あの日の復讐を果たすまで、私の憎悪は消えません。その為に、貴女のものになったのですから」


 静かな憎しみの炎が宿る瞳に見据えられ、シーヴァの心臓はどくどくと鼓動を速めた。


 太腿をつたい落ちる混じり合った互いの体液が、体の芯を再び疼かせた。


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