鉄道
こんな時間に郊外行きの電車に乗る人間なんてよっぽどいないから、車内はがらんとしていた。電車を待っている際、対岸のホームには人がぎっしりと詰まっていたのが記憶に残っている。
向かい合わせの座席には誰も座っていない。地下鉄の暗い窓外によって窓には鏡のように僕の姿が正面にくっきりと見えていた。車内だけが明るい閉鎖的な空間だった。車輪の擦れる甲高い悲鳴のような音と風を切る音だけが響いている。
現実から目をそらすように、僕はリュックから小説を取り出すと、読みかけのページを開いた。文字を追いかける。
一度僕の近辺に起きたことから逃げるために、新幹線に乗車した。これから地元に向かうのだ。新幹線の小さな窓ごしに駅のホームの喧騒と発車メロディーの大音量が、フィルターがかけられたかのようにいくらか緩和されて、まるで他人事のように車内まで聞こえてくる。すべてが照明で照らされていて、まったく夜であるということを忘れさせる都会の景色だった。
前の座席から簡易テーブルを引き下ろすと、買ってきた弁当と水のペットボトルをのせた。すぐに列車は緩慢に少しずつ動き出した。少し怖いと思った。その怖いというのは何によるものなのか。おそらく心細さによるものだった。ある程度住み慣れてきた東京から離れるということへの心細さが生じたのだった。しかしそれは、ここから逃げ出してしまいたいという気持ちと相反した。互いにぶつかりあって、僕はただ泣きたくなった。今からでも引き返したいと思った。しかし否応なしに背もたれは僕の背中を前に押し出した。それに抵抗したくなって、足を踏ん張って背もたれに背中を押しあてた。それでも背もたれは僕を東京から遠ざけようと、抗いようもない強い力で押し出してくる。僕はあきらめてその場に弛緩した。
窓外の景色に改めて意識を向けてみた。休日の夜の東京は、普段よりはビルに明かりが灯っておらず、いくらか物足りない印象を僕に与えた。いつもはもう少し黄色い明かりが多いのに、今日は黒色の陰と夜空の方が多かった。その二色のみが外の世界を支配していた。
ふとビル群の隙間から東京タワーの鮮やかな赤が見えた。その瞬間僕の心臓は驚いて激しく脈打った。そこから想起されるべき記憶を思い出したくなかった。もう窓の外を見るのはやめにした。窓から目をそらして、視界にも入らないようにして、目の前の弁当に意識を向けた。気を紛らわすためにこれを食べようと思った。蓋を開けた。
読んでいる途中で僕は目線を本から外して正面に向けた。電車の走行音の響きがどこか変わった気がしたのだ。すぐに窓外は端から順に明るくなった。他の路線に乗り入れをする地下鉄が地上に出たのだ。二階建てが主となる住宅街の景色だった。すぐに電車は速度を落とし始める。到着駅を告げるアナウンスが寂れた車内に響いた。ここで降りなきゃ。僕は本をしまい席を立った。
目が覚めた。
掌編・短編集 夏目一馬 @Natsume_Kazuma
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