第7話 泉喬の説教

桂花宮から戻ったのち、淋珂は枕に顔をうずめてうなっていた。


頭の中に渦巻く情報の多さに頭が破裂しそうな感覚に陥る。




「桃清妃は、人じゃないの?」




この世界に存在するのは人間だけ。


その上、仙術のような物など存在しないと思っていた淋珂にとって、桃清妃の存在は、護衛対象でありながら、一番の不安要素になっていた。




人間は未知のものには無意識に警戒する。


人の感情そのものに辛うじて慣れてきた頃の淋珂にも、本能的に格の差というものを感じた。




「淋珂、帰って来ていたのか」




気が付くと劉が中に入って来ていた。


いきなり声をかけられてため、淋珂は慌てて顔を上げる。




「どうして居るの?入って来るなら一言くらい言え!」


「一言も何も、先ほど来た時には梅花宮はもぬけの殻だったんだ。そちらこそ帰っているなら一言くらい言ったらどうなんだ?」




一応正論ではある為淋珂はそれ以上言わず、ただ、もう一度枕に顔を押し付けた。




「桃清の所に行っていたのか?」




淋珂は答えない。




「桃清は俺の第一妃だ。そしてお前だって俺の妃だ。俺にはお前の行動を知る権利がある」


「其れは形だけの話だろ?」


「言いたくないなら力づくで言わせるぞ?」


「私を失っても良いのなら、やってみれば良いんじゃないですか?」




劉の言葉も止まった。


二人の間に何とも言えない空気が流れる。


とうとう其れに耐えきれなくなったのか、劉の方が口を開いた。




「一体、何なんだ?」


「お前、劉様は例えば目の前でびっくりするような、信じられないようなものを見たら、どうしますか?」


「何が言いたいのか、分からないのだが?」




劉がより淋珂に疑いの目を向けいていることに気付き、口を噤む。


桃清妃に桂花宮を出るときに「劉や他の人に教えては駄目よ」と釘を刺された。


桃清妃は私をどういう方法でかは分からないが見ているらしい。


感覚からして桃清妃は悪い人間ではない。


むしろ善の塊のように思える。


しかし、だからこそ淋珂は桃清妃のことが少し怖かった。




「いや、いいわ。桃清妃からもらった手紙が読めなくて、桃清妃にこっそり教えてもらいに行ったの。誰にも気づかれないように、例の壬莉という女官には特に気を使ってね。」


「は、そういう事か。つまりは俺にそれを知られるのが恥ずかしかったと?」


「もう、それでいい。」




淋珂は頭のどこかで桃清妃の笑い声が聞こえた気がした。


少し胸がむかむかとする。


桃清妃との劉のどちらにも負けたような気がした。




その後、劉が笑いながら淋珂をからかい梅花宮を出た。


それと入れ替わるように泉喬が入ってくる。


泉喬は淋珂を見た途端速足で近づいてきた。




「一体どうして何も言わずにここから出るんですか?ただでさえ言葉遣いだって完全ではないし、仕草だってみっともないのに。」


「そこまでまっすぐに言う?」


「ええ、言いますとも。貴女は今自分が置かれている状況が分かっていません。貴女は運よく劉様に見初められたのかは知りませんが、とにかく本来この場にいるような身分ではないのです。失礼を承知で言います。貴女はまだ後宮にふさわしくないんです!」




息を切らしながら矢継ぎ早に言う泉喬はとにかく必死と言う他無い。


ここまで必死になっている泉喬は見たことがない。


私は劉や泉喬に必死で説教をさせるほどにひどい人間なのだろうか、淋珂は真面目に考え始める。


しかし結局自分が暗殺者であるという事がすべてなのだろう、そう納得してしまった。




「出来る限り、気を付けるわ。」


「出来る限りでは足りません。出来る以上に気を付けてください」


「分かった」


「それなら、今回は許します。しかし、次はありませんよ。次にやったら軟禁です。誰が何を言おうと貴女を軟禁します」




そんなことをされたらたまったものではない。


劉や桃清妃からの依頼を達成できなくなる。


それどころか後宮に入った当初の理由である緑凱暗殺という目標すら達成できなくなる。


後宮に入ってまだひと月も経っていないというのに、もうすでに詰んでしまった。


これでは全く身動きが取れない。




「私が外出するときには、あなたが付いてくるという事?」


「そうなります」


「そう・・・」




さて、どうしようか。


桃清妃は今の私の状況を見ているのだろうか、淋珂は見えないながらも桂花宮のほうを見る。


たとえ見ていたとしても、たとえ桃清妃が地仙だったとしても、今の私の状況を打破する術は持ち合わせていないだろう、結局淋珂は諦めた。




「あいつに、相談するか・・・」




劉が梅花宮を訪れたのはそれから二日後のことだった。


淋珂には劉がなんだか疲れているように見えた。




「劉様、今日は来たのですね」


「ようやくそのような言い方が出来るようになったか」




いつも通り、少し淋珂を馬鹿にするような口調で返す。


しかしその声にも、以前のような元気さは無かった。




「一体どうしたの?」


「少し、こっちのほうでバタついてな。最近文官と武官の対立が激しくなっているんだ」


「私に内政のことはよくわからないが、そうなのか」


「あぁ、分かりやすく言うなら、明香妃の父親である武大臣の槐明岳かい みんがくと、桃清の父親である文大臣蘇柑光そ かんこうの意見が食い違っている」




文武両大臣の娘がが前国王の妃と現国王の妃、か。


聞いているだけで面倒くさそうだ。


出来るだけソコとは関わりたくはないものだ。


それにしても、地仙の桃清妃に父親がいるのか。




「劉様、少しお願いがあるのだけど」


「なんだ、とりあえず言ってみろ」


「桃清妃に、会いに行ってもいい?それについてきて」


「どうしてお前が桃清に会いたいんだ?」


「一応、仲良くなっておきたいの。あと、勝手に屋敷から出たら泉喬に軟禁される」




劉は腕を組んで俯く。




「どうしてそうなった?」


「王様に見初められたのかは知らないが、とにかく後宮にふさわしくないからって言ってた」


「言っていること自体は合っているが、はぁ。泉喬にお前の正体を隠していた弊害がここで現れるとは」




劉は目頭を押さえて唸っている。


頭が痛くなる問題が増えた。


劉はとにかくこれ以上疲れたくなかった。


其れなのに新しい問題がぞろぞろと出てくる。


もしもこの世界に上位存在がいるのなら、自分を相当嫌っているのではないかと疑ってしまう。




「分かった、とりあえず今日は桃清のもとへ行こう」




劉は心の中で割り切った。


どのみち忙しいのなら、一つ二つ増えたとしても変わるまい、と。




劉が首を縦に振ると淋珂は早速桂花宮に向かった。


そして明らかに不審そうな目を向けてくる壬莉に案内されて桃清妃の前に出た。


桃清妃は以前に顔合わせをした時と全く同じ雰囲気で、淋珂はふわふわとした感覚に陥る。


劉が近くにいる第一妃としての桃清妃は、純粋で優しく、そしてか弱いただの女性でしかない。


そのことに、なぜか淋珂は疑問を抱くことが出来なかった。




「今日ここを訪れたのは、淋珂があなたに会いたいといったからです。そして私も」


「そうでしたか、ありがとうね淋珂さん。前回は劉様とのお話に夢中になってしまって手紙でのあいさつみたいになってしまったけど、また会いたいと言ってくれてうれしいわ。」


「いいえ、私も桃清様とお話をしてみたかったのです。」




二人とも微笑みながら礼を交わす。


そんな二人を見た劉は、「実はまだ仕事が残ていてね、しばらくしたらもう一度訪れるからそれまで談話を楽しんだらどうかな?」と自然に去る口実を作り出した。




「そうですか、残念ですがまたお話しする機会いくらでもありますものね。分かりました、お仕事、頑張ってくださいね」


「ありがとう、桃清」




二人の雰囲気は蜜のように甘く、そこにいた女官はこそこそと何かを話している。


壬莉もその時ばかりは淋珂から目を離していた。




「では、壬莉。お茶を準備してくれない?」


「分かりました。」


「あと、新しく桂花宮に入ってきたっていう・・・天、だったかしら。貴女は壬莉のお手伝いをしてあげて」




壬莉と天と呼ばれた女官は同時に礼をすると奥の部屋に引っ込んでいた。




「こっちよ」


「はい」




淋珂は豪華な装飾品が置いてある部屋に連れてこられた。


そしてそこの部屋の戸を桃清妃が占めた途端、(地仙)である桃清妃に雰囲気が変わった。




「雷、風、来なさい」


「「お呼びでしょうか」」


「私と淋珂さんに変化して、壬莉達をごまかしておいて」


「「承知」」




パンッ、桃清妃が手を叩くと淋珂と桃清妃は地下室にいた。


気付かないうちに居場所が変わっていることに淋珂は腰を抜かしてしまった。




「ごめんなさいね、いきなり。じゃあ、お話を始めましょうか」

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