仁義はあるか

 楊の所持品は携帯電話と財布、そしてボロボロになったメモ用紙一枚だけだった。

 確保時に所持していた拳銃は当然、押収されたままだ。


「何処に行くんです?」


 携帯と財布をポケットにねじ込みながら、楊が訊ねてきた。

 俺は考えていた事をそのまま彼に伝える。


「刺青師を回る」


 自分の携帯に送信してもらった黄龍を、楊に見せつける。


「こんな見事な龍を彫れる刺青師が、そういるとは思えない。それに刺青師という職業自体が数いるもんじゃないしな。運が良ければ一人目からが引ける」


 俺は口角を上げ、そう言う。


「でも、刺青師ならとっくに調査係が回ってるんじゃないの? 殺し屋を追う、数少ない手掛かりなんだから」


 しかし、それに対するマリアの指摘は何処か素っ気ない口調だった。

 楊を捜査に同行させると伝えた時から、ずっとこんなう様子だ。不機嫌な影が彼女の顔に差す度に、チクチクと心が痛む。

 けれど、今更後に引く気は無かった。


「だからこそ、楊。お前の出番だ」


 自分の感情を見て見ぬフリして、話を続ける。

 突然名指しされた楊は不意を突かれ、身体をのけぞらせた。


「三下、下っ端とは言えど、マフィアはマフィアだ。あんま表じゃ言えない友達の一人や二人はいるだろ?」


 正直に言うと、このツテに期待したのも俺が楊の申し出にOKを出した要因に含まれている。

 俺達はISS局員だが、根っからのカタギである。裏の世界の住民とのお付き合いは無いし、あったとしても中国人の知り合いはいない。

 蛇の道は蛇。中国の裏社会は、中国の裏社会の人間が良く知っている。

 上っ面の情報だけでない、ヤクザの生きた情報を知っている、もしくは仕入れられるのはヤクザしかいない。


「……いますけど」


 自分が無茶言った手前、俺達に文句言える立場にないことは楊自身がよく理解している。

 あまり抵抗せずに、その口を開けてくれた。


「つまり、裏の刺青師を探すと?」

「ザッツライト」


 マリアの答え合わせに俺は花丸を付ける。そしてまた、楊へ向き直った。


「裏で入れ墨彫ってる知り合いか、その類の人間を知っている人間を紹介しろ」

「いるには……いますけど……」


 そう言って、着ているネルシャツと同じくらいヨレヨレのメモ用紙を差し出してきた。

 その紙には何かが書かれているが、中国語な上に紙がボロボロなせいで俺には読めそうもない。


「なんて書いてあるの?」


 首をかしげながらメモを眺めているマリアも、同じ様なものだろう。


「……あの殺し屋が現れたビルの住所が書かれています」


 俺とマリアは同時に視線をメモから楊の顔へ向けた。


「俺は情報屋から、あの日、あの時刻のあの場所で、彼等が集まるという情報を買ったんです」

「情報屋か……」


 単語は耳にしたことはあっても、実際に目にしたことは無い人種だ。

 スパイ映画やハードボイルド小説の節々に登場しては、ウィットに富んだジョークで目と耳を喜ばせると当時に、その類まれな知性と驚くべき理解力の速さを提示し、彼らが売るの正確性や信頼性をアピールする。

 男の子なら一度は憧れるタイプだ。


「彼女ならそっちに顔も広いと思います。俺が銃を買った武器屋も、彼女の紹介でした」

「……殺し屋より、最初にそっちをしょっぴきたい」

「……この件終わったら、曹さんにチクってアメリカに帰ろう」


 まだ見ぬ殺し屋には申し訳ないが、これも仕事である。


「じゃあ、その情報屋を紹介しろ。しなかったら、連れて行く話は無しだ」


 二者択一。我ながら惨い選択肢だとは思うが、無茶を言い出したのは楊が先だ。


「……分かり、ました」


 彼は苦虫を噛み潰したような顔をして、重々しく首を縦に振った。



 香港支部のセダンを借り、楊が情報屋の住所をカーナビに入力する。

 言語は中国語だが、なんとかなるだろう。

 早速、俺は香港支部を出発し、幹線道路に乗った。

 左側通行で右ハンドル車なので感覚的には日本と一緒。なんなら、アメリカより運転がしやすい。

 右ハンドル車の勘を取り戻す為に、しばらく道路を流す。

 その際にやたらと目に付いたのが、パトカーの多さだ。サイレンを鳴らさず青と黄色の回転灯を光らせ、我が物顔で道路を走っている。「おうおう、俺たちゃ泣く子も黙る警察様でござい」ってな具合だ。

 曹が警察の示威行為と言われたのを否定しなかったのを、改めて実感する。


「……警察がこれじゃあね」


 トーンが落ちた声で、マリアがポツリと言った。


「市民の為の警察じゃない。……これじゃあ、警察の為に市民がいる」

「最近は何処もそうです。俺がいた組にも、しょっちゅう不良警官が金せびりに来ましたよ」


 後部座席の楊は何気ない口調だったが、マリアは元警官故の絶望からか天を仰いだ。

 彼女のかつての上司は清廉潔白で、非の打ち所の無い警察官だった。

 彼は取り返しの付かない事を犯したが、それも行き過ぎた正義が招いた事である。褒められた事でないのは分かっているけれど、救われた人がいるのは確かだった。

 それを理解した上で、彼女は彼に敬礼を捧げ見送った。

 そこには仁義があった。

 けれどどうだ、ここの警官はヤクザに金をせびりに来ると言う。

 俺はマリアに心底同情し、チンタラ走るパトカーに向かってクラクションを鳴らす。

 睨んでくる警官に、俺は身分証にあるISSのバッジを見せつけて黙らせた。

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