私達は眠らない
俺達は駆け付けてきた警官達によって病院に担ぎ込まれた。
俺は一時間もしない内に回復したが、大事を取って今晩は病院にお泊りする事になり、マリアは脇腹を弾が掠ったらしく一週間程のお泊りが確定した。
俺達が戦っていた間に我らが強襲係は、新義安アメリカ支部に突入し支部長含めた構成員の多くを逮捕したらしい。
「これで、一先ずは安心だな」
班長が並んだベッドに寝そべる俺達を見ながら、しみじみと嚙みしめるように言った。
――殺し屋は、間違いなく死んだ。
俺達を散々苦しめた彼女の最後はなんとも呆気なかった。
俺のシグから放たれた九ミリパラベラム弾二発は、彼女の心臓に致命傷を与え、次の一発は彼女の右足の骨と筋肉をズタズタにし、トドメとなった頭部への一発は脳幹を完膚なきまでに破壊していた。
これで生きられる人間なんていない。
痛みを忘れようがなんだろうが、この世に生を受ける限り脳が発する電気信号から逃れられないのだ。
警官が駆け付けてくる数分間、動けないまま死体を見ていたせいで変な考えが頭から離れない。
彼女が死ぬ間際の顔。妙にヘラりとした、粘つく笑みも忘れられない一因になっている。
この世に生きる全ての者を嘲笑う様な、そんな笑み。
殺し屋の過去なんて知った所でクソの役にも立ちはしない。
ただただ胸糞悪くなるだけである。それは四か月前、日本は世田谷のある平屋で爺と対面した時によく思い知ったではないか。
そんな事を考えたって、気分が鬱々とするだけだ。
なので気分晴らしと退屈紛れにマリアと話していた時、俺はある事を思い出した。
それは彼女の過去にまつわるであろう事柄なのだが、あの時感じた違和感を拭えなかったのだ。
「……なぁ、マリアよぉ」
「なに?」
「新義安って、チャイニーズマフィアだよな」
「正確には、香港マフィアじゃないの? ……でもまぁ、そうだね」
「それで、お前。殺し屋の事を『中国人』って言ってたよな」
「……そうじゃないの?」
昔から、白人は東洋人の区別が付かず、東洋人は白人の区別が付かないなんて言われている。
実際、俺も中国人に間違われた事もあるし、白人の区別が付かない時もある。
だけど、俺が地下鉄のホームで殺し屋を見た時は、東洋系同士見分けがついたのだ。
「あの殺し屋……日本人だぞ」
同日。同時刻。ISS本部強襲係主任室。
いつもの様にコーヒーをたかりに来た調査係主任、マーカスの手土産は、殺し屋のDNA鑑定情報だった。
彼女は間違いなく東洋系であり、人類学的解析からほぼ日本人であることが判明した。
「……確定ではないんだよね」
「だが、ほぼ間違いない」
デニソンは真っ黒いコーヒーの表面を見ながら、渋い顔をしている。
勿論マーカスも愉快な顔をしていない。こちらは感情を全て押し殺したような無表情だった。
「日本本部に彼女の顔写真を送って照会してもらってる。……行方不明者の顔写真とね」
「結果は?」
マーカスが持っていたスマホが震え、スリープ状態から画面が光る。
「……今、来たよ」
慣れた手付きで、マーカスはメールに添付されたファイルを開く。
結果として殺し屋は、二十年前に福岡で行方不明になった小学生と同一人物だった。
「……日本人で確定だ」
「………………」
何も言わず、デニソンはコーヒーカップを置き天井を仰ぐ。
「調査の方は、日本本部と現地警察に一任する。……アカヌマ君は介入させるかい?」
「まさか。マリア君もまだまだ入院するのに、今の彼に負担を背負わせたくないな」
ここ数日、赤沼とマリアはいつ来るか分からない殺し屋に神経を擦り減らしていた。
優秀な人間も何のフォローもせずに使い続ければ、いつか取り返しの付かない失敗をする。
くだらないことであの二人を失いたくないという、デニソンの切実な願いだった。
嘆息の後、冷めつつあるコーヒーを眺めながら彼は口を開く。
「……彼女が行方不明になったのは、七歳の頃。それから、殺し屋として身を立てるまで、その間約二十年。一体、何があったんだろうね」
「知らん方がマシだ。……殺し屋なんて、人間がやる事じゃない」
「……そうだね。じゃあ、現実的な話をしよう」
「なんだ?」
一つ間を置いてから、デニソンは問うた。
「この件、中国本部は掴んでたの?」
「……今回の日本人殺し屋に関しては、ノーだ」
ISS設立から六年。各国の暗部と対峙してきた経験から、殺し屋という存在は認識してきた。
だが、足取り不明な殺し屋の存在は、ここ一年で存在を認識した。
元来殺し屋になるルートは限られており、それがフリーの殺し屋だとすれば尚更である。
殺し屋なんて大体は戦闘経験を積んだベテランが引退後、ツテやコネを元手に手慰みとして行うものだ。
元職場と同僚達に聞けば殺し屋の素性は明らかになるし、仕事内容からも出身国を割り出す事も可能だ。
しかし、一年前。赤沼浩史とマリア・アストールが戦ったカリスト・マイオル率いる麻薬カルテルに従われていた殺し屋の露見を発端に、経歴不明の殺し屋が多数いる事が本部内で示唆された。
更に半年前。日本での大規模テロ事件の実行犯の一人である弓立涼子の存在も、本部内では大きな波紋を呼んだ。
彼女は先の大戦時にノウハウを積んだ父親の教育や遺産を保持し、それを躊躇なく使った。
結果的に彼女らの野望は潰える事となるが、全てが終わった訳ではない。
解明されていない事件や謎も多くある。
それの最たる例が『エネミー』の存在だ。
弓立涼子事件の際にその尻尾を現したかと思えたが、事件の全容がほぼ明らかになった今となってはその尻尾は良く似た剥製の尻尾と言える。
しかし、口にせずともISSの幹部陣はその存在を信じていた。
何故なら、彼等も生まれた時からISSの幹部ではなかった。警察・軍隊・捜査機関の名立たる人物や幹部であった。
経験・過去の判例・組織の動きを読める才人だった彼等だったからこそ、そのおぼろげな巨大組織の影を揃って浮かべたのである。
その存在が、何も知らない一般市民にとって何の得にも役にも立たない事も、察しが付いた。
人々の平穏な暮らしを想い働いてきた彼等にとって、それは最大級の侮辱も同義だ。
だからこそ、場所を変えて彼等は今も働いている。
「中国支部には調査の強化を命じる」
「任せた。こちらも、各班長に訓練の強化を申し入れとく」
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