尾行 対マリア・アストール
殺し屋は金髪の女を追う。
殺し屋は息を殺し、完全に人込みに溶けいっていた。金髪が時折振り向いても、彼女の存在は気がつかなかった。
金髪の少し怯えた表情に、殺し屋の加虐心はくすぐられる。
金髪が狙撃銃を持っている事も、その感情を燃やす一因となっていた。
しかし、そんな感情もおくびにも出さず、淡々と少し小さい女の背中を追いかけた。
その気になれば、今この瞬間にも女を殺せる。
シャツに隠れるベレッタを抜き、頭を撃ち抜いてもいい。
気配を消したまま背後に寄り、首を折ってもいい。
だが、少々人気が多すぎる。
アメリカ人というのは、他の何倍も銃声に敏感な民族だ。
しかも、アメリカで一番の街で銃声を響かせようものなら、逃げ切ることは出来ない。
それならば、銃で脅し人気の無い路地まで連れ込むのも、と殺し屋が物騒な事を考えていたら、女が周囲を気にしつつある集合住宅に入った。
殺し屋は振り向き、明かりが点いた部屋の位置を記憶する。
次に向かい側にある集合住宅を見て、大雑把な狙撃場所を決めた。
私はガンケースを机の上にゆっくりと置いた。
五キロもの銃に弾倉諸々。命よりも大切に扱わなければならない代物だ。
その隣に腰に提げていたホルスターを並べる。
グロック17が収まっている。シャツを脱ぎ、タンクトップ一枚になる。
所々に滲む汗を拭い、クーラーを付けた。
冷風に当たりながらビールでも飲みたかったが、それより先に浩史に連絡しなければならない。
浩史への着信はすぐに繋がった。
『マリアか』
だが、まだ彼は部屋に入っていない様だった。
声に混じって鍵を開ける音が聞こえる。距離的にも歩く速さ的にも彼の方が先に着くものだと思っていたが。
そこを指摘すると、声を潜め彼は言った。
『……尾行されてた』
一瞬だけ、呼吸を忘れる。
ついさっきまで望んだ冷気が、今は不吉な予感を連想させて気味が悪くなった。
「誰?」
『中国人だったな。尾行慣れしてない感じがしたな』
「中国人……」
班長から聞いた新義安とやらの構成員だろうか。
『適当に撒いて逃げたけどさ。……そっちの方は?』
浩史の問いに、私はあの帰路で感じた胃が重くなるような視線を思い出した。
「尾行されてたかは、分からないけど……ずっと誰かに見られてる感じはした」
『……尾行されてたな。姿は――いや、その分じゃ、それらしき奴は見なかったのか』
「そう。……けど、本当に、嫌な感じがしたの」
『……だとしたら、怖いな』
「え?」
『俺のトコに来たのは尾行下手くそな奴で、お前のトコに来たのは、尾行が巧い奴。……ちぐはぐだとは思わんか?』
「まぁ……確かに」
『……俺にはどうも、お前が狙われたようにしか思えん』
彼の声は硬く、冗談を言っている様には聞こえない。
『舐められてんだよ、お前が弱いって。……大方、見せしめに一人って殺し屋は考えてるのかもな』
「……じゃあ何? 私は、生贄の兎って訳?」
自分でも驚くほど、皮肉げな返事をした。
しかし浩史は怒るでもなく、淡々と返す。
『兎は、自分から強くなろうとはしない。その足の速さにかまけて、その場をくぐり抜けるだけだ。……お前は、そんな女じゃないだろ』
「……っ」
『俺は知ってるぞ。マリア・アストールという女が、努力を惜しまない人間だってのは』
「……あり、がとう」
そういう意図で発せられた言葉ではないのは重々承知しているが、やはりこっぱずかしい。
相手とそういう関係なら尚更だ。
『まぁとにかく、堂々としてろ。少しでも弱みを見せると、悪党はそこに漬け込んでくる』
「……わかった」
『いい返事だ』
それから、三言ほど言葉を交わし電話を切った。
帰ってきたばかりの時より、心が随分と軽い。別れる前にあんな事をいったとはいえ、中々怖さには耐えられない。
メリハリを付けて、弱音を口に出来る浩史が羨ましい。
私の場合、一度弱音を口にしてしまえば心も気持ちも悪い方に入り、抜け出すのが難しくなる。
溜めこみ、自分一人で抱えきれなくなってるくせに、それを先延ばしにして、痛い目を見たのに懲りないものだ。
自嘲する様に力無く笑い、冷蔵庫から出したビールを流し込んだ。
苦く、冷たい液体が喉を刺激しながら、胃に落ちる。
身体が冷えてきたせいか、顔をほころばせるほど美味いとは思わなかった。
それを三分の一ほど飲み、戸棚から道具を出して、テーブルで銃と向き合う。
まずはグロックだ。
道具箱からウエスとシリコンスプレーを出し、並べておく。
弾倉を抜き、スライドを引いて薬室に弾が入っているか、確認する。
テイクダウンレバーを下ろし、スライドをフレームからずらして外す。
フレームにスプレーを吹き付け、隅に置いた。
スライドからスプリングを取って、バレルも抜く。油まみれのそれをウエスの上に置いて、道具の中から棒の先にガーゼを巻いた物を取る。
棒をバレルに突っ込み、溜まった煤を拭って綺麗にする。
一連の作業は僧が座禅を組む作業に似ていた。
分解の反対の手順を踏み、組み立てる。
「……負けない」
興奮と恐れを一時的にも忘れ、自身を鼓舞出来たのはありがたかった。
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