尾行 対赤沼浩史

 エレベーターホールから玄関前まで、何を喋っていいか分からず無言だった。

 目の前を走るタクシーやら行き来する人の流れを、五分くらいだろうか、呆然と眺めていると。


「ここから出たら、安全じゃなくなるんだよね」


 マリアがそんな事を言い出した。


「ああ」

「……もしかしたら、もう待ち構えてたりして」

「縁起でもない事言うな」

「……ごめん」

「こっちこそ、悪い」


 それからまた、一分くらい黙っていた。マリアも同様に。

 けど、今度は俺から話し出した。


「こういう時、なんて言えばいいんだろうな」

「……珍しく、弱気だね」

「弱気にもなるさ。……死ぬのは、怖いだろ」

「浩史は勘が鋭いから、大丈夫だよ」

「……けど、イザとなって勘が働かなければ、俺だって簡単に死ぬ」


 俺の戦いは、ある意味勘頼み。

 人の殺意を感じ取ることが出来なければ、俺は生き残れなかっただろう。

 そしてだからこそ、たまに考えるのだ。

 もし、俺の勘が消えたらと。


「やっぱり、怖いものは怖いな。……人間、どんなに鍛えても」

「確かにそう。……でもさ、浩史」


 彼女は俺の手を取り、クシャッと笑う。


「死ぬかもしれないって考えるより、自分はきっと生き残ると考えていた方が、気が楽じゃない?」


 彼女が言ったそれは、深意を突いていた。


「かもな」


 その言葉を聞いた途端、急に自分が馬鹿真面目に考えていた事が、ほんの僅かに軽くなった気がした。


「ビビってちゃ、何もできないよな」

「そうよ」


 フッと笑い、また正面を見る。

 数分前と買わず、車も人も途切れずに流れていた。


「……行くか」


 意を決し俺はガラス戸に手を掛け、押し開く。

 熱気が一気に身体を包む。だが、いつまで経ってもあの寒気はしなかった。


「待ち伏せは無しか。……お互い、無事に家に着いたら、携帯に掛けよう。三分以内に折り返しが無かったら、本部に連絡しよう」

「了解。じゃあ――」

「待て、マリア」

「……何?」

「面と向かって会うの、最後かもしれんからな。言っとく。――愛してる」


 不意打ちを喰らった彼女は、手を開いたり握ったり、俺の顔を見たり目を逸らしたりしていたが、呼吸を整えると。


「私も、愛してる」


 しっかりと言い返してくれた。



 ビル屋上。

 本部内に標的の男女が入ってから、周と殺し屋は彼等の家を突き止めるかを話していた。


「……せっかく二人いるんだ。それぞれで尾行すればいいだろう」

「合理的だけど、それは難しいわ」

「どうして」


 周が問うと、彼女はまた彼を嘲りの眼で見た。


「貴方は何見てたの?」


 傲岸不遜な態度には慣れてきたとはいえ、やはり面と向かって侮辱されてはマフィアとしての名が廃る。

 ガツンと言ってやろう。そう思い、彼が口を開く。


「あの東洋人の男。多分、元軍人よ。しかも、かなりの実力者。……武道かマーシャルアーツの類の使い手ね」


 殺し屋の発言に、開けた口が固まってしまう。


「金髪の女は、武道とか格闘技の心得はほぼ無いわ。精々、護身術程度ね。ガンケースといい、狙撃手をやってるんじゃない」

「……分かるのか?」


 湧き上がっていた怒りを忘れ、彼は目を丸くさせる。


「歩き方。服の上からだから、絶対ではないけど筋肉の付き方。雰囲気……オーラとでも言い換えましょうか、それで大体は分かる」

「………………」


 彼女の能力はネイティブインディアンの技術である、トラッキングの応用だった。

 トラッキング自体は足跡から人となりを考察するものだが、彼女は足跡以外からでも考察が出来る。

 足跡から逆算する。要は、足跡は歩き方や体格や個人の癖から特徴が出るから、そこから割り出せばいいのだ。


「これは個人的な意見だけど、男の尾行は止めた方がいいわね」

「何故だ」

「上手く表せない。けど……あの男には、言葉に出来ないがある」

「……俺には、ただの東洋人にしか見えなかったけどな」

「じゃあ、尾けてみればいい。……どうなっても知らないけど」


 殺し屋は周の発言を鼻で笑い、話は終わりだと被っていたシートを脱いだ。


 それから少しして、本部から出てきた男女をそれぞれで追い始めた。

 周は東洋人を追う。

 東洋人はポケットに手を入れながらも、シャキッとした姿勢で街を歩いている。

 足取りに迷いは無く、信号待ちの際に携帯を見たりしていた。


(身長は百七十後半から百八十。東洋人にしてはガタイがいいな。……そして、脇にハジキ拳銃を吊ってる)


 このくらいはできらぁと、彼は心の中で吐き捨てる。

 煙草を咥え、久々のニコチンに脳ミソを痺れさせながら大きな背中に付いて行く。

 見失うはずが無いと高を括り、のんびりと歩いていると東洋人がコンビニに入った。

 商品棚が死角を作り、東洋人が見えなくなる。

 周は慌ててコンビニに入る。ザッと店内を回ろうと、奥にある飲料の棚に向かった瞬間。

 扉の開く音と、走る音が重なって聞こえた。


生氣クソッ!」


 入口の方を見るも、既に東洋人は逃げた後。

 通りに出ても彼が見ていたあの背中は無く、観光客や若者が絶えることの無い人の流れを作っているだけだった。


『あの男には、言葉に出来ないがある』


 殺し屋のその言葉を彼が思いだしたのは、言うまでもない。

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