孤立無縁
タヌキ
青い銃を持つ男
独立記念日
アメリカ合衆国において、七月四日というのは自分の誕生日よりも大事にするらしい。
ファーストフード店から出た俺は、大きくうねる人波を見ながらそう思った。
タイムズスクエアは、夜になっても独立記念日を祝う者達で溢れかえっていた。
星条旗がプリントされたTシャツに、乾杯と称してビールをぶっかける若い男。
カラフルな縁のサングラスを掛け、スマホで自撮りする女性。
遠巻きに彼等を眺めながらも、この独特の雰囲気に飲まれる観光客。
それらをひっくるめてカメラに収める、何処かのテレビ局のカメラマン。
海の方では花火が打ち上げられてるようで、喧騒の中でも音は聞こえるし、眩しいネオンや液晶パネルの洪水の中でもその姿を消してはいない。
俺はそんな様子を眺めながら、手の中にあるフライドチキンの紙袋を持ち直した。
早く戻らないと、オフィスで待つ相棒がへそを曲げる。
拗ねる相棒の顔を思い浮かべ苦笑しながら、職場の方へ歩を進めた。
喧騒から離れても、人通りは途切れない。
雑多な人込みに混ざり、ぼんやりと歩いていると不意に声を掛けられた。
「そこのお兄ちゃん。……東洋人のお兄ちゃん!」
周囲に俺以外の東洋人はいない。声がした方を向くと、そこにはホームレスが立っていた。
夏だというのに元の色が分からない程汚れ、裾が擦り切れたコートを着ている。髪も髭も伸ばしっぱなしで、清潔感という単語は彼の脳内には存在しないらしい。
……もっともホームレスにそれを求めるのは、お門違いなのだが。
わざわざ呼び止めたのなら、伊達や酔狂ではないのだろう。
気乗りこそしなかったが、応対する事にした。
幸いにもチキンは、まだ温かい。
「……どうしました?」
「大変なんだ、俺の仲間が酔っぱらった若ぇ連中に絡まれちまってよ。リンチされてんだ。兄ちゃん、助けてくれねぇか」
喧嘩……というか、暴走の仲裁に入れと言いたいようだ。
「俺じゃなくても、その道のプロがそこら辺にいるだろ」
俺はそうおざなりに言って、数メートル離れた場所にいる制服警官を指さした。
向こうの方が酔っ払いの相手は慣れているはずだ。
だが、ホームレスは首を横へ大袈裟に振る。
「駄目だ駄目だ。お巡りは、俺達の相手なんかしてくんねぇ。この前、同じ様な事があった時はなぁ、殴った方の味方に付きやがった。信用なんねぇ」
体良く押しつけようとしたが、どうやら無理らしい。
「……それによぉ、兄ちゃん、ガタイいいからさぁ」
確かに百八十近い身長に鍛え抜かれた筋肉が着いていれば、誰だって助っ人を頼むだろう。
これ以上相手にするのも面倒臭いので、俺はとっとと要件を済ませることにした。
「分かったよ。……で、お友達はどこだい」
「おお! こっちだ」
ホームレスに案内されるがまま、煌びやかな大通りから橙色の電灯が点いた路地へと入る。
「光の多いところ、強い影がある」とは言ったもので、眩しい光は消え失せ、頼りない電灯は光じゃなくて影を生み出している様にも感じた。
摩天楼が乱立し、ブロードウェイやら先程までいたセントラルパークやらの光が幅を利かせるマンハッタンで、ここだけが孤立したように黒の色が濃い。
ブラックホールとも形容出来そうな空間の中、一人の男が倒れているのが見えた。そばには、野球帽が転がっている。
おそらく、ホームレスが言っていた仲間だろう。
身体はピクリとも動かず、生死が分からない。本当にリンチを受けていたとしたら、下手すれば死んでる。
今、加害者がいないのが何よりの証拠だ。
やり過ぎたのを理解し、死体をほっぽって逃げたか。
だとすれば、俺個人じゃ何もできない。警察の管轄になる。
ならば、とっととそれを確認して、911にでも電話をしよう。
そう思い、俺は倒れる男へ近づいていった。
だが、男まであと二メートルという所で違和感を覚えた。
血の匂いがしないのだ。
暴行を受けていたのなら、流血、例えば鼻血くらいは出す。
なのに、男からは血の匂いがしない。
「……おい」
俺は振り返り、案内してきたホームレスの方を向いた。
振り向く直前に抱いた疑惑が、確信に変わる。
ホームレスは、俺に銃のような物を向けていた。
水色で金属ではない素材で出来ている。だが、形は銃そのものだ。
「悪いな兄ちゃん。だが、恨まないでくれ」
さっきとは打って変わって、硬い口調でホームレスは言う。
後ろでも倒れていた男が起き上がり、野球帽を被ると同じ物を俺へ向けた。
「有り金全部とその持ってるチキンを置いてったら、何にもしねぇ。俺達はただ、生きたいだけなんだ」
野球帽のホームレスが頷く。
俺は大仰に溜息を付くと、抱えていたチキンの包みを地面に置いた。
「……すまねぇな」
「何言ってんだ。こっちがひもじい思いしてんのに、いい飯食ってるコイツがワリィ」
汚れコートのホームレスは詫びの言葉を口にしたが、野球帽のホームレスは開き直りとも取れる発言をする。
大方、野球帽がコートをそそのかしたのだろう。今の発言を聞いて、そんな事を想像した。
何を思い、どう行動しようが個人の勝手だが、人を脅して金を得ようとするそれは一人の人間として、とても看過できない
俺はもう一度溜息を付くと、指の関節を鳴らした。
あたりにバキバキっと音が響く。
「……なんだ、やるってのか。……いくら、テメェが鍛えてようが銃には勝て――」
野球帽の発言を無視して、後ろにステップを踏み、後ろ蹴りを喰らわす。
鞭のようにしなる足は胴体に当たり、野球帽の身体が軽く飛んだ。そして、彼は地面に落ち、気を失う。
それから一拍空けて、背筋から悪寒の様な感覚が全身を巡った。
コートが俺に対して殺気を出したのだ。
俺は姿勢を低くして、三段跳びの要領で素早く距離を詰めると、縦拳の突きをみぞおちへ叩き込んだ。
すると、呻き声を漏らしコートはその場で崩れた。
俺は軽く呼吸を整え、周囲を見渡す。他に仲間はいないようだ。
安堵すると共に、彼等が落とした銃のようなものを手にした。
それはプラスチック製で、酷く安っぽく見える。子供用の玩具でも、もう少し
見栄えを良くするだろう。
あれこれ弄り、分解すると中から38口径の銃弾が出てきた。
「……驚いた、こんなチャチなモンで、弾が撃てるとはな」
感心するが、撃たれていたらと考えるとゾッとする。
腹を空かせてる相棒には悪いが、市民の平和を守る立場としては見過ごせない状況に置かれてしまった以上、それを優先するしかなかった。
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