一緒にライド
もうすぐ十九歳の誕生日を迎えるアンは引きこもりの少女らしい。
小学校三年生までは野山を駆け回り、昆虫や動物が大好きで、活発で話好き、学校も皆勤賞だった。それがある日突然「もう学校には行けません」と母親に告げたそうだ。
とても真面目な少女。愚痴も言わずに色んな事を溜め込んでしまっていたんだろう。一気に動く事が出来なくなってしまった。
それから小学校中学校には殆ど行かなくなってしまったけれど、卒業は出来た。
中学卒業後、理容師になる為の学校に行ってみたけれど一年も続かなかった。一年遅れて通信制高校に入り、今年卒業予定。
引きこもりは続いているらしい。
そんなアンが先日、俺のペンションに家族でやってきてくれたんだ。
父親は俺が高三の時のクラスメイト。特に親しかったわけでもなく、高校以来一度も会った事もなくて、来てくれても分からないかもって思ってたら、本当に分からなかったぜ。だけど一緒に過ごしているうちに段々と昔の顔と一致していくのが不思議な感じだったな。
アンは『弱虫ペダル』の大ファンで漫画は全巻制覇、アニメも映画も全て見ている。だから自転車に乗りたいって思ったみたいだ。小さい頃は自転車に乗るのも大好きだったみたいだけど、引きこもりになってからは運動らしい運動もやっていなかったらしい。
で、俺の所では自転車のスクールとかツーリングガイドとかもやってるから、それを知ってて来てくれたんだ。
ちなみに『弱虫ペダル』の作者の渡辺先生が作った『弱虫ペダルサイクリングチーム』は国内プロツアーチームで、俺のペンションに何回も合宿に来てくれているし、渡辺先生も泊まってくれて、先生が表紙になっている雑誌の表紙に坂道君のイラスト付きのサインをしてもらったんだぜ。ヒメ‼︎ って文字付きでさ。
自転車に全く興味の無かった人達を自転車の世界に沢山引き込んでしまうあの漫画と渡辺先生の力はスゲーって思う。
で、アンが来てくれて、一緒に自転車に乗ったんだ。うちのレンタルマウンテンバイク。スポーツバイクに乗るのは初めてだ。
女子にとっては
「バイクの上側をちょっとこっちに倒して後ろ側から足を通すんだよ。右側のペダルをこの位置に持ってきてエイって漕ぎ出す」
みたいな感じで一緒にやる。
「えー、むりっ」
みたいな感じでおっかなびっくりのアン。おいおい、大丈夫かよ、と口には出さないけど、先行き不安な乗り始め‥‥‥
何とか乗車して漕ぎ始める。「おっせ〜」とは言わないけれど止まっちゃいそうだぜ。ギクシャクギクシャク、ふらふらふらふら。下り、ブレーキかけ過ぎだよ。そんなにゆっくりじゃ、バランスとるの大変だろ。
「一定の力でペダルを回すようにするんだよ〜。下ばっかり見ないで行きたい方を見て〜。だんだん慣れていくから大丈夫だよ」
と、少しずつアドバイスしながら。
ホーホケキョ! カッコウカッコウ! トッキョキョキャキョク!
綺麗な小鳥の声を聞きながら。
これはレタス、これはキャベツ、これはハクサイ。畑に植わっている野菜にも目を向ける。山が綺麗だね。
少しずつ慣れていく。おー、急坂もクリア! やるじゃねーか!
オフロードにも挑戦だ! 池の周りに作られている常設コースをぐるっと周る。
「えー、わー、あー」
アンは声を上げながらも、しっかりついてきている。薮に突っ込んで「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と薮に謝っている。可愛いな。
オンロードよりも集中していい感じで走れている。
ちょっと休憩。芝生に座って家族みんなでおやつタイム。アンは楽しそうだ。
「これでここは終わりにして帰る? それとももっと乗りて〜か?」
聞いてみると「もうちょっと走りたい」という答えが返ってくる。
やるじゃねーか。
今度は下りで少しサドルから腰を浮かせて走る練習をしてもう一周。
さっきより少しスピードをあげて、いい感じだぜ!
その日のライドを楽しめた。
家族みんな動物好きで以前はシバ犬を飼っていたらしく、うちのやんちゃ娘ミニチュアダックスのプッチーノもすぐにみんなに
お腹を見せてひっくり返ってベッタリくっついて。腕にしがみついたり肩に飛び乗ったり、激し過ぎだろっ! アンにもいっぱい可愛がってもらった。
本当はライドは一日だけの予定だったんだけど、次の日も乗りたいって言うんだ。自転車、気に入ってくれて嬉しいぜ。
二日目もあえて同じコースに行った。一日目よりも景色を見る余裕があるって。色々お話ししながらのんびり走る。
昨日はよく眠れたって。いつもは夜眠れない事が多いんだってさ。眠れないのは辛いよな。それで日中眠くなっちゃって、部屋に閉じこもっての悪循環。日中頑張ってちょっとでも外に出て太陽の光を浴びようよ、なんて話もして。
オフロードも昨日よりももっといい感じで走れてる。このどんどん走れていく感じが嬉しいんだよな。昨日通らなかった所も通って大回りを二周した。
上達していく様子を見ていると、こっちもすごく嬉しくなっちゃうんだ。楽しんでもらえて良かったな〜。
自宅に到着した父親からメールが届いた。
「久しぶりに明るい娘を見て、本当に良かったと思いました」ってさ。
「外に出ると疲れてしまい何も出来ないことが多いのですが、帰りの車の中では『楽しかった』を連発して、四時間おしゃべりしてました」ってさ。
それからすぐに次の予約を七月に入れてくれたんだ。嬉しいぜ。
この人間社会で生きていく事って案外難しい事だって思う。
一般の人とは違った素敵な感受性とかを持っていたりすると傷つけられる事とかも多いんだと思う。
でも楽しいって思える事がある事で、とっても救われるんじゃないかな。
俺は大学三年生から二〇二〇年までは自転車競技、レース中心の生活を送ってきたけれど、その後長野の野辺山で夫と一緒にペンションを始めて、ここを自転車仲間が集える場所にしたかったんだ。自分が乗るよりも、後進を育てたり楽しみを広げる活動に力を入れたいって思っていたけど、上手くいかない事も色々あった。
自転車って日本ではまだまだマイナーなスポーツで、一線を退いた仲間達が後進の為に頑張ってる姿を見ながらも、俺はいつまでも自分が乗る事を楽しんじゃっている。
まあ大きい事は出来ないけれど、自分達が一緒に自転車を楽しむ事と、仲間達が集まれる場所がある事、このペンションで出来るような今回のような喜びの分かち合いが出来るってだけで、これでいいんじゃないかなって思えたりもするんだ。
いつまでも出来る事じゃないかもしれないけど、俺は出来る限り走り続けたいし、たくさんの人と楽しみを分かち合いたいって思ってる。
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