ブラッディーマリー

@blitzen

第1話

月明かりが差し込む教会。そこで照らされているのは2人の男女。仰向けに倒れている男はフルマラソン後のような荒い呼吸と額には大粒の汗。酸素を求めて大きく開かれた口には刃物のように鋭い八重歯がある。その男の上に馬乗りになり手足を押さえているのは白髪の女。一見すると耽美な光景だが、女の右手に握られているのが拳銃あることでそんな甘い妄想がかき消されていく。

「・・・あなたに、殺されるなら・・・、満足、ですよ」

 男が熱い吐息と共に言葉を絞り出す。その瞳には一点の曇りも無く、まるでこうなることを望んでいるようだった。

「・・・私は、最悪の気分です」

 まるで立場が違う。殺そうとしている女の表情は苦悶に満ち、今にも殺されそうな男は心底晴れやかだった。

「・・・ごめんなさい」

「泣かないでください。しょうがないこと、ですから」

 女の涙を優しく拭ったあと、優しく微笑みかけて瞳を閉じた。

 それが合図だった。女もそれを理解して、撃鉄を起こす。狙いを外さないように、安らかに旅立てるように、両手で銃を固定させる。

「好きでした」

「・・・ーーーー」

 発砲音が教会に鳴り響く。

 最後の言葉は銃声にかき消され、男に届くことはなかった。

 




 職員室はいつだって慣れない。コーヒーの香りで満たされた一室は子供の箱庭の中で最も異質な空間だ。呼び出される原因を作っているのは間違いなく自分の側にあるので何も文句は言えないのだが、ここに足を運ばせることは極力ごめん被りたいものだ。ただでさえ他の教師からの心証も悪いのに、そんな人達が集う場所は居心地が悪い。

 そんな俺を呼び出した張本人は未だに姿を現さない。あえて遅れてやってくるということで俺を居心地の悪い空間で衆目に晒すという新手の嫌がらせだろうか。

 邪推を巡らせて、いっそ帰ってしまおうかと考えて雨が降り止まない空に目を遣った時、こちらに向かってくる足音が聞こえた。

 白髪ボブという目立つ髪型を見間違えるはずがない。彼女こそが俺を呼び出した張本人だ。足首までかかる黒衣を纏い、十字架のネックレスというシスターに見紛う格好をした女性を俺は今までに見たことがない。

「遅くなって申し訳ありません」

 悪びれることなく、手に持っていたいくつかの書類をデスクに置きながらワーキングチェアに腰掛ける。

「なぜ呼び出しを受けたか、分かりますか?」

「・・・さぁ。見当も付かないです」

 待たされた意趣返しをしようといい加減に受け答えをすると、いつもは眠たげに垂れている瞳を細める。

「はい?」

「いえ、なんでもありません。もちろん心当たりはあります」

 担任が変わってからまだ2ヶ月しか経っていないが、謎の苦手意識を植え付けられてしまった。特段絡みがあったわけではないし、特に俺はその機会も少なかろう。今日呼び出された理由もおそらくそれだ。

「あなたの欠席や遅刻が多い件で様々な先生から苦情・・・もとい相談を受けました。何か理由があるのですか?」

 あくまで事務的、といった態度だ。やはり俺の心証は相当悪いらしい。

「あー、体質の問題でして・・・。貧血気味なんですよ」

「貧血って頻発するものなんですか?」

「常時貧血気味なんです。だから眠気とか酷くて」

「そうなんですか。ならば医療機関にかかって診断書をいただければ色々融通できますが」

「いえ。進級できる最低限の出席日数を計算してるので、心配無用です」

「・・・少しでも本気で心配した私が馬鹿でした。まあ私としても自分のクラスから留年する生徒を出す方が面倒なので、自分で管理できるならそれに越したことはありません」

「怒らないんですか?」

「あなたの場合、成績も申し分ないですから。・・・けれど、まともに授業を受けていない生徒がテストで高得点を取る様を見せられるのは教師や同級生からしたら決していいものではありませんからね。そこは理解していますよね」

「ええ。でも俺だって学校を休むために家で勉強してるんです。それこそ誰にも文句を言わせないために」

「だったらもう少し学校に来ればいいのに。・・・はぁ、状況は分かりました。もう行っていいですよ」

「分かりました。じゃあ、失礼します」

 一礼して職員室を後にしようとするとポツリと呟きが聞こえた。

「雨の日には来るんですね」

「・・・」

 その声に俺は答えることができなかった。



 放課後、誰もいない教室で居残るのが登校時のルーティンとなっていた。現状の成績をキープするためには自宅で自習してるだけでは厳しいため、質問をするために完全下校時刻のギリギリまで残っている。欠席ばかりする癖に来たら来たで厚かましく質問しに来るのだから、教師側からしたら非常に面倒な生徒であることは火を見るよりも明らかなのだが、こちらにも事情がある。

 今日も例に漏れず、職員室から戻った後にはいつもの調子で自習を続けた。この学校には部活強制加入のシステムはないが8〜9割程度の生徒は何らかの部に所属しているようで、放課後のこの時間は静かな教室に俺一人という状況だ。帰宅部の連中もわざわざ学校に居残る理由もあるまい。雨がぐずついているため(雨の日しか登校しない)、グラウンドから響いてくる元気な声も今はしとしとと降り続ける雨音に。

「・・・そろそろ帰るか」

 いつもよりも自習が捗り、完全下校時刻の30分前に帰路に着くことにした。戸締まりを確認して教室を出る。非常灯だけに灯された、静まり返った廊下に自分の足音だけが反響する。いつもは人が行き交う場所も今はその熱が失われ、心なしか空気も冷えているように感じる。2階の中央部に位置する教室から下駄箱へ向かう道中、階段の手前に職員室がある。いつも通り職員室の前を抜けてその階段を降りようとした時、先ほど職員室で話をした担任である美姫みきつかさ先生に出くわした。

「あら、今下校ですか」

 肩から鞄を下げて少し驚いた表情を見せる。

「はい。自習してたんで」

「そうですか・・・。意外でした。そういう姿勢を少しでも他人に見せようとすれば心証も良くなるでしょうに」

「別に構いませんよ。誰かに好かれたくて勉強してるわけじゃないですし」

「ふうん。・・・時間も遅いですし送りますよ」

「お気遣い感謝します。けど、今日は寄るとこあるんで」

「夜遊びは教師として看過しかねますよ。ちなみにどちらへ?」

「いや、普通に買い物です。食料品とか」

「なら都合いいですね。私もちょうど買い物に行くつもりでしたから」

 鞄から取り出した車のキーを鳴らし隣に並ぶ。

「仕事はいいんですか?」

 教師は残業が当たり前みたいな業種だと聞いていたため定時上がりが意外に思えた。現に職員室には多数の教師が業務に追われている。授業の準備だけでなく保護者の応対や部活動、俺みたいな生徒の面倒まで見なくてはいけない。やり甲斐でもなければやっていけないのだろう。余計なお世話だが残業が当たり前という雰囲気が蔓延している職場で定時に帰るのはあまり好意的には見られないんじゃなかろうか。学校という閉鎖的な空間は生徒だけでなく教師同士のいじめを生みやすいとも聞く。こと日本によれば尚更。決して楽しているわけではないのだろうが、定時上がりをしている教師はその標的になりやすそうだ。

 そんな俺の心配をよそに何食わぬ顔で話を進める。

「残業が発生するほどスケジュール管理を疎かにはしてませんよ。それに最低限の仕事はこなしていますから文句を言われる筋合いはありません。・・・あなたもでしょう?」

「ははっ・・・。俺は残業というか、居残りはしてますけどね」

 先程の意趣返しのつもりだろうか。案外良い性格をしている。

 階段を降りて昇降口へと着く。職員用と生徒用の下駄箱は別になっているため、職員用の駐車場で待ち合わせることにした。

 この学校の特殊な点として本校舎から別棟、体育館などの併設施設への動線に全てスロープが設置されていることだろう。雨の日だろうが晴れの日だろうが、雨に降られることなく陽射しを浴びることなく移動できる。些細なことかもしれないがここがこの学校を気にいっている所だ。

 靴を履き替えた後、傘を差さずにスロープを渡り駐車場へ向かう。先生を待っている間、降り止まない雨に打たれる車列をぼんやりと眺めていた。車種には詳しくないのだが一台だけ他の車より一回り、二回りも大きい車があった。ほとんど戦車のような威圧感とオフロードを駆け抜けるための分厚いタイヤを携えて堂々と鎮座している。雨や泥さえも映えるような野生的なフォルムに若干気圧されていると、こちらに向かってくる足音が聞こえる。

「お待たせしました。では帰りましょうか」

「先生の車ってどれなんすか?」

「私の愛車は・・・こいつです」

 そう言いながらさっきまで眺めていた戦車もどきの後部を撫でる。

 えぇ・・・。あなたの車でしたか・・・。

「かっこいいでしょう?」

 自慢げに微笑む先生はお気に入りのおもちゃを見せびらかす子供のようでいつもよりも幼く見えた。

「なぜこんな大きい車種に?」

「ま、趣味と実益を兼ねてってとこですかね。仕事柄山道を走ることもあるのでね」

「仕事柄って、普通の教師じゃないっすか」

「え?・・・ああ、そうでした。何でもないです、忘れてください。それより早く帰りましょう」

 足早に運転席へ向かう先生の後を追い助手席に座る。艶やかなレザーシートの座り心地の良さに驚きつつ、シートベルトを締める。普段はただの交通手段としか見ていない自動車もこうして良い車に乗ってみると大枚を叩いてでもこだわる人の気持ちが解る。

 ハンドルを握りアクセルを踏み込む先生の姿につい目を奪われる。華奢な女性が重厚感ある車を運転するというギャップもあり直入に言えば、とても似合っている。

「なんか、かっこいいですね」

「かっこつけてますからね」

 そういうところがかっこいいんだって・・・。

 見た目とは裏腹に静かに発進して校門を抜ける。この車の構造故かよく揺れはするが、この揺れこそがこの車に乗る意義なのだろうと何となくそんなことを考えた。

「この車、幾らくらいするんですか?」

 不躾な質問であることは承知していたが、つい訊いてみたくなった。

「んー。平均的なサラリーマンの年収くらいでしょうか」

 ことなさげに答える先生。その答えについぎょっとしてしまう。

「・・・マジすか」

 詳しい年齢は分からないが、二十代前半の教師が気軽に手を出せる代物ではないことは乗れば解る。どこからそんな金が・・・、いや余計な詮索はやめておこう。

 少し気まずさを感じて会話が途切れてしまう。ただでさえ密室で二人きりなのにその相手が担任教師なのだからやりずらいったらありゃしない。こういう場面は先生が気を遣ってくれるもんじゃないの?違うんですか?

 当の先生は鼻歌を歌いながら何とも楽しそうに運転を続けている。そんな顔を見せられては文句を言おうにも言い出せなくなってしまう。

 項垂れつつ大人しく到着を待つことにし、車窓から覗く街明かりにボンヤリとする。日中は寂れたコンクリート造りが立ち並ぶなんてない風景だが、暗闇に包まれる時分になれば宝石箱のように煌びやかな景色へ様を変える。降り続ける雨もその美しさを惹き立たせるように夜の光を散りばめている。

「やっぱ、夜が好きだな・・・」

「何か言いました?」

「いえ、何も」

「ふふっ、お互い難聴ですね。そんなに歳をとった覚えがないですが」

「やめてくださいよ。先生はともかく、俺は現役の高校生なんですから」

「・・・はい?」

「ちょ、アイアンクローはやめて!前、前!」

「すいません。ちゃっかり手が出てしまいました」

「せめてうっかりにしてください」

「女性に対して年齢の話をするのが悪いのですよ。教わらなかったのですか?」

「世界史の授業では習った覚えがないですね」

「・・・ほんと、可愛くないですね」

 そう言いながらわずかに頬が緩んでいたのを俺は見逃さなかった。普段は淡々と業務をこなす姿を目にしていたのでこんなくだらない話ができる人とは思わなかった。勝手に抱いていた苦手意識もその印象からきていたものだと遅まきながら理解し自分の未熟さを呪う。人を見かけで判断する輩をあれだけ忌避していたのに、結局自分も同じ穴の狢になっていた。

「それくらい砕けた会話ができれば友達も作れるでしょうに」

 どうやら先生も俺と似たような印象を抱いたらしい。なぜ俺に友達がいない前提なのかは置いておく。

「俺は腫れ物ですし触らぬ神に祟りなしってところですかね。たまにしか学校に来ない奴なんてヤバい奴か変な奴だけでしょう」

「確かに」

「そこは否定してくださいよ」

「嘘をつけない性分でして。それにおべっかを使われて喜ぶタイプではないでしょう」

「・・・ですね。よく分かりますね、まだ2ヶ月程度しか同じクラスになっていないのに」

 俺の場合、実質的には1ヶ月も顔を合わせていないけれど。

「これだけ話をすれば分かります。それに私の場合は特殊な事情もありますし」

「特殊な事情?それって・・・」

「着きましたよ」

 問いを投げかける前にここ一帯では最も大きい商業施設、俗に言うショッピングモールに到着したようだ。

「わざわざこんな大きいとこに来なくても・・・」

 食料品を買うだけならもっと近場にスーパーでも何でもあったはず。そもそも買い物が終わったら一人が歩いて帰るつもりだったのだが、ここまで来てしまっては徒歩圏外だ。説明を求めるように運転席に視線を遣ると既にそこに姿はなく、フロントガラスから足早に店内に向かう先生が見えた。

 ・・・説明は無しっすか。

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