第20話 「あやつを殺すために」

 暁音は旧校舎を出て、街灯が照らす夜道を一人で歩いていた。


 彼女の家から学校までは、長い住宅街を歩かなければならない。

 今は夜、街灯の光と、ポツポツと点いている住宅の灯りが照らしてくれるのみの道。


 風が吹き、地面に落ちている葉やコンビニの袋などが舞いあがる。暁音の髪も風に乗り揺れる。わずらしく思った暁音は、右手で乱れている髪を耳にかけた。その時、前方から人影が見え始める。


 まだ、夜八時なため人が歩いていても不思議ではない。仕事帰りの人や、学校の部活帰りの生徒など。そのため、暁音は気にせず歩き続けた。


 前方から来る人とすれ違った時、暁音は何故か急に右手首を捕まれてしまった。そのため、歩みを強制的に止められ、表情一つ変えずに、すれ違おうとした人を見る。


「あの、なんですか……って、瑠爾るに?」

「やぁ、暁音。こんな夜にどうしたの?」


 手を掴んできたのは、暁音の知り合いである瑠爾。

  

 漆黒の瞳を彼女に向けながらボストンバックを片手に持ち、ジャージを身にまとった青年。フルネームは明楽瑠爾あきらるに

 彼女の意外な反応に不思議そうな顔を浮かべながら、目を合わせるように立っていた。


 瑠爾と暁音は、中学生まで一緒の学校に通っていた幼馴染。

 黒髪を耳の辺りで切りそろえ、優し気に微笑むやわらかい口元。端正な顔立ちをしており、小さな頃から人気者だった。


「夜に女性が一人でこんな所歩いていたら危ないよ?」


 男性にしては少し高めな声。口調も優しげなため、スゥっと耳に入ってくるため心地よい。ずっと聞いていたくなるような、安心する声だ。


 彼からの心配するような言葉に対し、暁音は無表情のまま淡々と答える。


「平気よ、いつもこんな感じだもの」

「それはそれで危険だよ。もし良かったら送っていくよ?」

「あともう少しだし、大丈夫」

「俺が心配なんだよ。仮にこのままほっといて、もし幼馴染に何かあったら……。考えただけで怖いよ」


 わざとらしく両手で自身の体を包み込み、ガタガタと震わせる。そんな彼を見て、暁音はこれ以上断ってもめんどくさいだけと悟り、深い溜息を吐き「わかった」と了承。それを聞いた瑠爾は、小さくガッツポーズをした。


「そんなに喜ぶ事?」

「最近お話もできていなかった訳だしね」

「学校が違うし、仕方がないよ」

「そうだけどさぁ」


「ぶー」っと、子供のように不貞腐れている彼に対し、暁音は特に何も言わない。

 二人の足音だけが聞こえる中、静かに二人は帰路を進む。


 風が二人の髪を揺らし、頬を撫でていた。その時、暁音は右手で横髪を耳にかけ、おもむろに口を開く。


「瑠爾、何か変わった?」

「え?」

「なんか、昔と違う気がする」

「そりゃ、もう何年も会ってなかったし、変わるでしょ?」

「私が言っているのは、見た目とかではないんだけど」

「どういう事?」

「いや、何でもない」


 不思議に思いつつ、暁音はこれ以上追及しようとはしないで口を閉ざした。その時、前方から千鳥足で、四十台くらいのおじさんが手に酒瓶を持ちながら歩いてきた。茶色のスーツなため、闇に溶け込んでいる。

 二人は話に夢中になっていたため、気づかない。そのまま、瑠爾と肩がぶつかってしまった。


「おいおいぃ~。らりぶつかってきてるんれすかぁ?? しゃざいもらひに~、さろうとしてなぁいれすか????」


 目を付けられた瑠爾は、「やべぇ」と言葉を零しながらも、苦笑を浮かべ謝っている。

 口からは強いアルコールの匂いが漂い、瑠爾だけではなく暁音も薄く眉間を寄せる。鼻をつまみたい衝動を抑え、何とか暁音に近付かれないように瑠爾は制止しながら謝っていた。


「本当にすいません。前を見ておらず」

「これだからいまどきのわかいもんはれいぎがなってないんだ。ここでじょうしきをわからせて――――」


 酔っ払いが酒瓶を持っていない手を瑠爾の肩に置こうとした時、なぜか突然、澄んだ空気に赤く光る血しぶきが舞った。


「――――え?」

「っ…………!!」


 酔っ払いは上を見上げ、暁音は目を見開き驚く。


 血しぶきは空中を飛んでいるから降り注ぎ、酔っ払いを赤く染めていた。

 何が起きたのか理解できず、酔っ払いは瑠爾に伸ばしていた手を見る。そこには、肘から下がない。赤い液体があふれ出ており、ボタボタと地面を赤く染めていく。


「ぎ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!!!」


 やっと状況を理解できた酔っ払いは力が抜け崩れ落ち、自身の腕を掴む。その際、手に持っていた酒瓶が地面に落ち、大きな音を立て割れた。


 今唯一平然としている瑠爾は、目の前で痛みに苦しんでいる酔っ払いを、細められた瞳で見下ろす。軽蔑とも取れるような、冷たい瞳。氷のように鋭く、人をなんとも思っていないのがその瞳から見て取れる。


 後から見ていた暁音は今だ動く事ができず、体を硬直させる。今動いてしまえば、次のターゲットは彼女になる。そう、体が勝手に感じ取ってしまった。


「る、に?」


 普段、感情が表に出ない暁音の口から出たのは困惑の声。か細く、瑠爾に届いているかわからない声量。

 暁音の様子など気にせず、瑠爾は目の前で苦しんでいる酔っ払いを見下ろし続けた。


『まったく、そんな汚い手で触らないでほしいのぉ。汚らわしい』


 路上に響く、今まで聞いたことがないような声。地を這うほど低く、凍るように冷たい。聞いただけで体が硬直してしまう程の声が、酔っ払いの叫び声と共の暗闇に響いた。


 今まで暁音と会話していた瑠爾とは思えないほど別人。そんな彼の左手は赤く染まっており、月光に反射して鋭く尖っている爪がキラリと光る。



 動けず地面で蹲っている酔っ払いを、今度は腹部を蹴り上げた。


「がは!?」


 腹部を蹴り上げられた事により、口から唾液と共に吐血。体が宙に投げられ、地面にたたきつけられる。

 ただの人間が、自分より大きな男性を片足で蹴り上げるなど不可能。だが、瑠爾は無表情で地面にたたきつけられ、恐怖の顔を浮かべている酔っ払いを蹴り続けた。


 涙と吐血で顔が濡れ、地面には赤い液体が飛び散る。

 腹部や顔を殴り、残っている片腕を踏み折る。鈍い音が響き、酔っ払いの叫びが路上を埋め尽くす。それでも瑠爾はやめない。暁音も止めることができず、立ち尽くすのみ。


 瑠爾が攻撃をやめた時には、酔っ払いは動かなくなっていた。左手は変な方向に折れ曲がり、顔はもう誰かわからない程崩れている。まだ右手からは血が流れ出ており、血だまりを作り出した。


「…………」


 こと切れている酔っ払いを見下ろし、瑠爾は左手についた血を一舐め。口角を上げ、後ろにいる暁音に振り返った。


「さて。ごめんね、暁音」


 服についた返り血など気にせず、血の付いた手を振り笑顔を向けた。その笑顔が狂気的で、思わず後ずさってしまう。


 体は震えていないにしろ、暁音は経過の意も込めて後ろに下がり瑠爾から距離を取る。


「なんで逃げるの? 怖くないから、こっち来て」

「…………貴方、だれ?」


 絞り出した暁音の声を耳にし、瑠爾は焦ることなく、にんまりと笑った。


 空気が一変する。冷たい風が二人を撫で、月明りが照らす。街灯が点滅し、なぜか突如消えた。

 辺りが暗くなり、視界を遮断する。暁音は暗闇に目が慣れておらず、前に立っている瑠爾を見失わないため目を細めた。数回瞬きをし、いつ動こうかタイミングを計っていた。


 そんな時――……


「――――っ!?」

「君はまだ、使えそうだから殺さんよ」


 瞬きをした一瞬、暁音の視界から瑠爾が消えた。気づいた時には遅く、背後に回られ腰と顔を固定される。


「君はまだ利用できるからのぉ。


 耳元で囁かれ、暁音の体に悪寒が走る。逃げたくても、何故か抑えられていないはずの指先までも動かす事が出来ない。何も出来ず、されるがまま。


 唯一動かす事が出来る目線だけを、後ろにいる瑠爾に向けた。


「…………あ」


 その時、暁音の視界が、赤色で埋められた。


「今はまだ――……」


 赤色で埋め尽くされた視界を最後に、暁音は意識を失った。

 瞼が閉じられ、体からフッと力が抜ける。地面に落ちる前に瑠爾がしっかりと体を支え、抱き留めた。

 色白で、生気を感じない顔。瑠爾はそんな彼女の頬を甲で撫で、鋭く白い八重歯を見せ笑う。


「にしても。人の感情にここまで敏感な者がいるとはのぉ。本人は無自覚らしいが」


 妖しく笑い、夜空を見上げた。月が彼の瞳に映り、綺麗に輝いていた。

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