第12話 『殺せ』

「今日も?」

「出会えるまで毎日だよ」

「私はいいけれど、正直出会えるか分からないわよ?」

「いいの。そのうちタイミングが合えば会えるよきっと」


 暁音と一緒に旧校舎に向かって、そんな会話をしている梨花りか

 首にはトレードマークの一眼レフカメラ。軽やかな足取りで暁音の後ろを歩いていた。

 廊下はギシギシと音を鳴らしているが、もう慣れた梨花は最初ほどビビらず。逆に暁音を先導するように歩く。

 道を覚えた梨花は、迷わず3―Bへと辿り着いた。


 ドアを開き、教室の中に入る。二人は周りを見回し、探し人がいないか確認していた。だが、見たところ人らしきものはいない。


「今日もいないらしいわね」

「もう一週間も通っているのに。今日は戻ってくるまで待っていようかな」


 悩まし気に頭を抱え、「うーん」と唸る。


「そういえば、もう一週間か。諦めないね」

「何度も言うけど、私は部長として諦める訳にはいかないのよ。絶対に」

「他にも色々あると思うのだけれど」

「もう撮り尽くしてしまったの。それに、周りの人と違う物を撮らなければ、私は部長ではいられない。生きている価値もない。だから必ず、部員を驚かせるような写真を撮り続けなければならないのよ」


 一眼レフを握る手に力が込められる。指先が白くなり、カタカタと震えていた。それを見た暁音は、ため気をつき教卓へと向かって歩き出す。


「どうしたの?」

「一週間前の最初の一日は確かにいなかった。でも、最近はこの教室に居るのよ。教室の中には、ね」


 暁音の言葉に梨花は首を傾げる。そんな様子など気にせず、彼女は教卓の近くでしゃがみ中をの覗く。

 中を見た暁音は、呆れたように目を細め右手を伸ばした。


「起きてください、月海さん。お客様です」

「………ん、あ? お客?」

「はい。悩み相談所としての最初のお客様かもしれないです。お話を聞いてあげていただけませんか?」


 片膝を抱え、目元に赤い布を巻いた月海が俯かせていた顔を上げ彼女を見る。目元では判断できないが、しっかりと受け答えはしているため起きてくれた事はわかった。だが、まだ眠いらしく。あくびを零し、頭をコクリコクリと泳がしている。


 暁音は月海の反応に関係なく、両手で腕を引っ張り無理やり梨花の元へと出す。まだ意識がはっきりしていない月海はされるがまま、教卓から顔を出した。


「なっ、おい! イキナリなんだ………ひっ?!」


 教卓から顔を出した月海は、見えていないにもかかわらず恐怖の声をこぼす。顔を真っ青にし、微かに体を震えさせ始めた。

 まさかまだ距離がある状態でここまで怯えるなんて思っていなかった暁音は、眉を顰め不安げに彼を見上げた。


「この距離でも、ダメなんですか」

「どんな距離でも見知らぬ人の気配を感じたらダメに決まっているだろ」

「…………気配に敏感なんですね」


 暁音が聞いた時、力が緩んでしまったらしく月海が彼女の手を振り払ってしまった。その隙に教卓へと戻る。ぼそぼそと文句を口にし、膝を抱え怯えてしまった。

 その様子を梨花は、やっとお目当ての人に出会えた感動で目を輝かせ、カメラを構えた。


「あ、あの。もう一回顔を見せていただけませんか?!」

「あ、ちょっと……」


 梨花が月海の隠れている教卓へと近づいていく。そして、遠慮など一切なく笑顔で覗き込んでしまった。


「……あれ?」


 すると、なぜか梨花は不思議そうな声が洩れる。顔を上げ、周りを見渡し始めた。その理由は、教卓に月海の姿がないから。

 いつの間にか姿を消してしまった月海に、暁音はもはや呆れを通り越して感動している。こんなに早く、しかも二人に気づかれず移動してしまった彼の行動技術には、拍手すら送りたい。


 感心している暁音を気にせず、梨花は首を傾げながら教室を見回し続けていた。その時、気配を完全に消して奥のドアから逃げようとしている月海を発見。すぐさま、俊敏に机を避け、月海へと近づこうと走り出した。


「待ってください!!」

「ひっ!? く、くるなぁぁぁあああ!!!」


 視線に気づいた月海は、付き合いの長い暁音ですら今までで聞いた事がない叫び声を上げ、廊下へと飛び出す。

 彼の後姿を離さず、梨花は目を輝かせながら逃がすまいと追いかける。


 そんな二人を暁音は、廊下に出て無表情のまま見続けていた。


「…………月海さんはどうして、見えていないはずなのに荷物が沢山ある廊下をあんなに全速力できるんだろう」


 疑問を口にし、二人が去っていった方向へと歩き出した。

 右手で、垂れている髪を耳にかけながら。


 ☆


 月海は廊下を必死に走っていた。後ろからは彼を追いかける足音。聞こえなくなるまで走り続けるのかと思いきや、月海が走っている廊下の前方から男子トイレを知らせる看板が見えてきた。


 旧校舎の間取りはもうすべて頭の中に入っている月海は、迷いもせず男子トイレへと入っていく。

 数個しかない個室の、一番奥へと入り震える手で鍵を閉めた。

 まだかたかたと震えており、両腕で体を抱き込んでも意味はない。走ったため、肩で息をしていた。


「まったく。全部、あいつのせいだ」


 憎しみの声を出し、タイルの壁に背中をつける。

 今彼がいる男子トイレは、薄汚れてはいるが使えないほどではない。臭いはどうしてもトイレなため、鼻につくのも仕方がない。だが、今の月海にはそんなのどうでも良かった。早く、追いかけられているこの状況をどうにかしたい。その一心で隠れている。


『おーい。どこに行ったんですかぁ? るーかーさーん!!!』

「なんで、僕のなまっ──あいつが呼んでいたからか……」


 廊下から明るい声で名前を呼ばれ、月海は右手で顔を覆い隠す。そんな時も男子トイレの出入口では梨花が名前を呼び続けており、出るに出れない状況。さすがに中には入ってこないらしく、ひとまず安心だ。


 胸元を強く握り、息を一定にするように呼吸を繰り返す。息が整うにつれて、体の震えはやっと止まり始めた。

 顔をトイレの出入り口に向け、今後どうするか考え始めた。


「…………ここは二階だから窓からは不可能だろうな。さて、どうするか」


 顎に当てていた手を離し、天井を見上げながら呟く。すると、いきなり月海の中に声が聞こえ始め、月海が苦しみだした。


『殺せ。殺せ──』


 低く、圧のある声。今にも押しつぶされてしまいそうな声が非道な言葉と共に月海の頭の中に響く。その事により、彼は頭を支えその場にしゃがんでしまう。せっかく止まった震えが再度体を襲い、歯をカタカタと言わせる。先ほどより震えが大きく、怯えている様子だ。


「や、やめろ……やめろ……」


「やめろ」と何度も呟くが、月海の頭を埋め尽くす言葉は鳴り止まない。


『殺せ。殺せ。邪魔なのなら、殺せ』


 小さかった声はどんどん大きくなり、月海は耐えきれず両耳を塞ぐ。だが、外部からの音ではないため意味が無い。

 小さくなるどころかどんどん大きくなる。周りの音が全く聞こえなくなるくらいの声量で頭を埋め尽くされ、体から力が抜けてしまい壁にもたれこむ。


「やめろ、やめろ!!」


 苦しげに叫び、悶え苦しむ。それでも声は止まってくれない。月海は我慢の限界になり、顔を歪ませながら右手をポケットの中へと入れた。


『殺せ。邪魔なモノは全て。殺せ。昔の、ように──……』

「やめろぉぉぉぉおおおおおお!!!」


 ポケットから出た手には、カッターナイフが握られていた。刃が電気に照らされ銀色に輝き鋭く見える。


 そのカッターナイフを何を思ったのか月海は、自身の首元へ突き刺そうと。一心不乱に引き寄せた──……

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