4章:秘密 第6話
城内は連れてゆかれて、座から離れたところで那智にギュウギュウ絞られている。それを目におさめ、新見はいい気味だ、と内心でほくそ笑みながら、改めて鷲頭と嵩利へ向き直った。普段、那智のあの“べらんめえ”に振り回されている新見も、今日ばかりは応援する側にまわる。
「城内長官が、かれにちょっかいを出すだろうことくらい、予測できたでしょう。何でまた、千早くんを迎えに寄越したんです。かわいそうに、突然こんな面々の居る場所へ連れてこられたら、対処に困るのは当然です」
いかにも不思議だといったような面持ちで、問う。鷲頭はそれを聞くと苦い顔になり、ただ一言、艦での残務があり、離れられなかった、と述べて杯を卓へ置くが、珍しく切り出すのを躊躇してから、
「千早くんの知らないところで、私がこのようなことに係わっているのを、いつまでも黙っているというのは、何か隠し事をしているようで、気分が悪い。ただ、それだけだ」
と、これも筋が通った答えを向けるが、新見は言葉の奥を見透かすように鷲頭の眼をみつめる。嘘を吐いているわけではないのだろうが、新見はこの答えの裏に潜むものを読んでいた。
「不器用なところは相変わらずですね。鷲頭くんには、ある意味では最も手を焼かされる。―いやいや、いいんですよ。そこがあなたの魅力でもあるのですから」
もどかしげに眉を寄せる鷲頭を制し、もの柔らかに言って、新見はそっと嵩利の様子を窺う。先刻まで身の置き場もない、といった様子でいたのが、鷲頭の隣で漸く表情を和らげている。
「千早くん、今日はご苦労でしたね。これからも鷲頭を宜しく頼みますよ。ですが…、何か困ったときは遠慮せずに、ここに居る私たちに相談なさい。かれはね、本当はきみのことを私たちに頼みたくて、ここへ寄越したのですよ」
こういった立場にいる以上、嵩利をいつ巻き込むかわからないわけで、鷲頭自身には逃げ道などなくても良いが、嵩利は別だ。愛する者を、手厚く守ってやりたいとおもうのは当然であるが、鷲頭は剛直で曲げられない生き方ゆえに、裏で手回しをして、巧く切り抜けるといったことの立ち回りがとことん下手である。だからその点、信頼するこの面々を頼るほかないのである。
新見のことばに、一瞬、驚いた顔をした嵩利だったが、隣に座す鷲頭が丁寧に新見へ頭を下げたのには、呆れた表情でその横顔を見つめる。
―なァんだ、そういうことだったのか―
あとで頬のひとつでも抓ってやらねば、気がおさまらない。散々振り回された身にもなってほしい。この騒ぎで、城内長官に唇を盗られたことを告げたら、鷲頭は一体どんな顔をするのだろうか。
※
お歴々に囲まれて、昨晩は借りてきた猫のように始終おとなしくしていた嵩利だが、翌日になると、小倉の目の覚めるような青い海と空のしたへ、嬉々として飛び出していった。
艦隊対抗の短艇競技が、観艦式のあとに挙行される。嵩利は、この競技の責任者に名を連ねていた。艦長の副官が何故かというと、訓練を指導する手が足りなくて、同期の守本周治大尉から、拝むようにして頼み込まれて、引き受けたのである。
むろん、本職である副官業と二足のわらじでは、到底やってゆけない。
艦長の鷲頭にそれを告げると、だまって頷いて訓練指導へ行かせてくれた。各艦の下士官水兵にとっては、観艦式よりも、こちらのほうが命がけの大勝負であるし、士気も艦の統率もあがる。
ことに、磐手率いる艦隊は、北の地で過酷な秋冬の荒海を相手にしてきている。他所の穏やかな海で、ぬくぬく揺籃のごとく浮かんできた艦隊なんぞに、負けるものかという熱で、乗組一同が盛り上がっていた。
嵩利は短艇の舵柄の傍に腰をおろして、舵柄をとりながら、ふと江ノ島の海を思い出していた。親戚や腰越の漁師たちと船団で海へ出たのは、兵学校に入る前年が最後だったか。
海軍と漁団では、まったくもって較べるべくもないが、嵩利はどこかこういった、純粋に海と向き合えることのできる、同じ海の仲間と同じ海の存在を感じられる、この感覚がすきであった。
昨晩の会合の内容など、聴くには聴いて現状を知ることはした。
だが、それで海軍内で軍備について、意見を戦わせようなどとは、微塵もおもわない。嵩利はいま己が成さねばならぬ軍務に、精魂こめて打ち込むことしか、考えていない。例えば今がそうである。
別に務めだからそうしているわけではなく、本当に海を愛している心からである。何の憂いもなく、日本海軍の一員として国の守りに徹していられる、この瞬間が何より嵩利の生きがいだからだ。
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