第2話

「どうしよう、祭?」


 ざわざわする心と、冷たくなった汗ばんだ手を握って、僕は祭に助けを求めた。でも不安に押し潰されそうな僕に対して、祭は余裕な表情でニヤニヤ笑っている。


「大丈夫、暗号は全部覚えたから」

「おお、さすが祭ちゃん!」


 僕は急いで机から読書感想文のために用意した原稿用紙を取り出して、鉛筆と一緒に手渡した。祭は扇風機の風で紙が飛ばされないよう、左手で押さえながら暗号をスラスラと書き出す。


Ukscex Tieuks

Xsryx Boswos Qkuuks

Gkjwcsom

wdk-vowb.rfr


 やっぱり、何度見ても理解できない文字の羅列ばかりだった。僕は考えることを投げ捨てる。


「ヒントないの?」

 祭は短く唸り声を上げて、


「六年生に解くことを任せたんやから、複雑やないと思う」


 とだけ答えた。


「でも叔父さんが警察から逃げているなら、僕らに暗号を渡したとしても、すぐに取られちゃうことは流石に分かるんじゃない?」


 焦っていて、そのことまで頭が巡らなかったのか、それとも僕らに何か伝えようとしていたのか───


「それは暗号を解いてみないと分からんな」


 持っていた鉛筆で頭を掻いて、僕と祭は同時にため息を吐く。


「まあ、とりあえず、最初の暗号と同じ要領で他の暗号を解読してみたら、この二つは解けたけど、最後の二個は意味不明やわ」


 祭は暗号が書かれた紙の端に、下手くそな猫の顔を描きだした。


「なんかの名前っぽいから、和臣、お母さんのスマホでも借りて調べてきてや。どうせ暇やろ」


 ちょっと苛ついたけど、事実なので僕は言い返せず、寝転んでいた体を起こした。


「俺らが何してるか、バレへんようにしろよ」


 と祭は小声で叫んだが、僕は返事をせず、至って平静を装って居間にいるであろう母の元へ向かった。

 狭い廊下には嗅いだことのない匂いが漂っていた。お客さんが来ていることをなんとなく理解する。


「お母さん〜スマホ貸して!」


 何も知らないフリをして、居間の扉を開ける。そこにはスーツ姿の男性が二人いて、仕事に行っているはずの父もいた。


「和臣、今ちょっと忙しいから、あとにしてくれる?」


 血の気がない、でも迷惑そうな顔で母は僕に言い放った。


「いいじゃん、少しだけだよ。クリアできないクエストがあって調べたいの」

「石黒くんのスマホを借りなさい」

「祭ん家は、スマホは中学生になってからって言われてるから、まだ持ってないよ」


 母はこれ以上くだらないことで時間を無駄にはしたくなかったようで、スマホを僕に渡す。そして、しばらくは自分の部屋にいるようにと命令して、居間から追い出した。

 僕は暗号の解読を続ける祭がいる部屋に戻ると、早速検索し始めた。

 まず初めに調べた言葉は『かいすんじゅかい』。漢字では『峡寸樹海』と書くようで、ここからはだいぶ離れた場所にあるらしい。まだ人の手が届いておらず、鬱蒼とした木々が生えている。なんの変哲もない樹海で、特にこれといった話は浮かび上がってこなかった。

 でも次に検索した『日本黎明学会』はかなり怪しい雰囲気をしていた。

 名前からは分からないけれど、オカルトチックな活動を続けているようで、カルトの集まりとも呼ばれているようだった。


「怪しすぎるよ、この日本なんちゃら学会!」

「声がデカいわ、アホ。まだ暗号解読してるのがバレたらどうすんねん」


 頭をかいて、平謝りをしてから、僕は検索した結果を祭に伝えた。祭は何もない宙を数秒見つめてから、


「一番無難な推理は、叔父さんがそのなんちゃら学会に入ってもうて、殺人事件の犯人に仕立て上げられた、やな」

「でも、なんで叔父さんが?」

「それは本人に聞かんと分からんやろ。証拠も何もない状態やと、俺は推測しかできひん」


 祭はそう言って、疲れ切った様子で床に寝転がった。


「まだ暗号、解き終わらないの?」

「最後の二つだけ、今までの暗号とは違うルールっぽいねん」


 大きなため息を吐いて、祭は天井を睨みつけた。


「間違えて覚えている可能性はないの?」

「なくはないけど、今までそういうことはなかったで。記憶力には自信がある」


 祭を神童だと持て囃す大人たちの姿と、百点満点のテスト結果を思い出して僕は頷く。


「ちなみに、今までの暗号はどうやって解いてたの?」

「割とシンプルやで。暗号に書かれていたアルファベットを十個、ズラすんや」


 祭が言うように、最初の暗号に使われたアルファベットを十個、変換すると確かに、意味は理解できないけど、英語の文章になった。


「なんだ、めっちゃ簡単じゃん」

「へー、君たちも暗号を解読してるんだ」


 低い、若い男の声。僕らは驚いて、声のする部屋の入り口を見た。そこには、知らないスーツ姿の男が立っていて、僕は彼がさっきまで居間にいた二人組の男の一人だと気付いた。


「おじさん、刑事なの?」

「おじさんっていうほどの歳ではないけど───まあ、この際はいいか」

 男は頭を掻いた。口にする言葉を選んでいる様子だった。

「あの暗号って、叔父さんが君たちに解いてもらうためにあげた暗号なんだってね?」

「うん、そうだよ」

「なんで馬鹿正直に答えてんねん」

 後ろから小声で突かれたけど、僕はそれを無視して刑事さんと話を続ける。

「刑事さんたちは暗号解けたの?」


 刑事さんはまた困ったように笑って、短く切られた髪を撫でたが、僕の質問には答えてくれなかった。


「ふうん、分からないんだ」


 挑発するような口調で祭は言い放つ。ニヤニヤと嫌らしい笑みが顔に浮かんでいた。刑事さんは少し苛立ったのか、小さく眉をひそめる。


「そう言う君だって、解けてないんだろ?」

「事件の概要を知っている刑事さんたちに比べて、僕らは何も知らないんやから当然なんとちゃいます?」


 祭の言葉は、確かにその通りだ。だけど僕らは子供で、知らなくて当たり前なんだ。僕は言い返そうとする気持ちを堪え、同調するように頭を上下に振る。叔父さんを助けるためにも、もっと情報が必要だ。

 でも刑事さんはあまり頭の回転が早くない人なのか、難しい顔のまま腕を組んだ状態で銅像のように固まってしまった。


「まあでも、僕らに叔父さんが巻き込まれている事件の詳細だとか、峡寸樹海まで連れて行ってくれるのなら、暗号が解けるかもしれませんね」


 意気揚々と自信ありげに祭は言い、追い討ちをかける。


「いや、子供を危険な事件に巻き込む訳には───」

「でもこの暗号、叔父さんが僕に解いて貰うために託したんですよ? それにはきっと、大事な意味があると思いますけど」


 標準語とは違う抑揚が心をざわつかせる。


「例え僕たちに暗号を渡して解けたとしても、叔父さんの事情を知らされないであろう子供である僕らに、暗号から伝えようとしているメッセージは理解できないんですよ。それに例え理解できたとしても、子供が言うことを大人が聞き入れると思います?」

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