悪人は畳の上では死なれぬ

井澤文明

第1話

 軽快な電子音とゲーム機の操作音が、蝉の鳴き声と混ざり合って部屋の中で反響する。僕は横でゲーム機の画面を食い入るように見つめる親友を凝視する。だけど、彼は一向に後ろで仁王立ちをする僕を振り返って見ようともしない。


「祭! ゲームしてる場合じゃないよ! お宝を探さないと!」


 夏の盛りに響く蝉の大合唱にも負けない叫び声が響く。迷惑そうに顔を歪めて、ようやく親友が負けた時に流れる音楽とともに僕を睨む。


「俺の最速クリア更新の邪魔をするぐらいやねんから、すごいお宝なんやろな?」


 明らかに不機嫌だ。祭の機嫌を治そうと、僕はプールバックに入れていたノートを突き付けた。


「なんや? これ」

「僕の叔父さんが作った暗号だよ。これを叔父さんがこの間、出張から帰ってくるまでに解けたら、すごいお宝をたどり着くって言ってたんだ! 一緒にやろうよ」

「え、だる。読書感想文、書いてる方がまだマシやわ。景品もどうせ安いおもちゃやろし」

「そんなことないよ! お正月に同じことやったら五千円もらったもん」

 五千円という僕の言葉に、祭がピクリと反応する。

「五千円ももらったんか? 子供騙しの暗号を解いて?」

「子供騙しじゃないよ。めっちゃ難しかったし」

「和臣にとっては、な。俺がスーパー賢いのは良く知ってるやろ?」


 自信満々に胸を張る祭を無視して、僕は叔父さんから貰ったノートを開いて床に置いた。一ページ目にはアルファベットだけの一文が真ん中に書き殴られていた。


「何語だろう、これ? 僕、日本語しか分からないからなあ」

「『S kw xyd dro webnobob』───文章っぽいな。このページしか書かれてへんのか?」


 僕は次のページをめくる。見開きには、また同じようにアルファベットの一文が真ん中に書かれていて、ヒントは一つも見つからない。


「おかしいな、お正月に出されたのは、こんな変なのじゃなかったのに」


 僕は首を傾げ、祭はノートの暗号を見つめたまま僕に問いかける。


「今更な質問やけど、俺が一緒にやってもええんか? 和臣だけで解かなアカンとちゃうの?」

「大丈夫、叔父さんはハッキリと『絶対に祭くんと一緒に解きなさい』って言ってた」

「お前一人では解けないって思われてるやん、それ」


 事実なので、僕は反論できずに唸る。祭はノートの閉じ、表紙を見た。

 学校でも良く使う一般的な学習ノートで、一番上に『Vol.10』とだけ書かれている。祭は表紙に書いてある文字を指差した。


「Vol.10ってあるけど、そんなに暗号を作っとんの?」


 彼の言葉に、僕はつい驚きの声を上げる。


「初めてやったのが今年のお正月だから、二回目のはずなんだけど」

「うーん、いや、十番目って書いとるなら、そうなんやろ」


 深く追及せず、祭はまたノートを開き、最初の暗号を見た。祭に負けじと僕も暗号を睨み付けるけど、目がチカチカしだすだけで、何も分からなかった。

 暗号の解読はもう祭に任せよう。

 僕は台所でお菓子を漁ろうと思って立ち上がった。ドアノブに手をかけようとした瞬間、扉が廊下から開かれる。青ざめた顔した母が立っていた。


「カズくん、その、最近、叔父さんから何か聞いてない?」


 深刻そうな雰囲気が辺りに漂い始め、蒸し暑いはずの部屋の温度が下がってきているように感じた。


「何かって何?」


 僕の質問に、母はハッキリとは返さず吃った。


「何かあったんですか?」


 僕の後ろで座っていた祭が母に問いかける。


「あら、石黒くんは気にしなくてもいいよ、ごめんなさいね。今日は暑いし、アイスとか冷たいお菓子いるかな?」


 母は祭の問いに答えるのを躊躇っているようで、話をはぐらかそうとした。祭はいつもの大人に見せる人のいい笑顔を作って、


「お気遣いありがとうございます。でも、ご迷惑でしょうし、気になさらなくて結構ですよ。あ、それと、僕のことは『石黒くん』じゃなくて『祭くん』と呼んでいただいて構いませんよ?」


 と返した。母は困ったように笑う。


「石黒くんは『祭くん』というより、『石黒くん』って感じなのよね。うちの子と違って、大人っぽくて礼儀正しいし」

「それで、叔父さんってもしかして、何か事件に巻き込まれていたりします?」


 図星だったのか、母は動揺して目を見開き、口を噤んだ。祭は持っていたノートの最初の暗号を指差す。


「和臣が叔父さんから受け取った暗号です。この暗号は、シンプルに書かれているアルファベットを十文字分シフトする、シーザー暗号でした。答えは『I am not the murderer』───日本語に直訳すると、私は殺人犯じゃない」

「殺人犯じゃない?」


 暗号の意図を祭も理解していないようで、怪訝な顔でいよいよ顔が青ざめる母を二人で見つめた。


「叔父さんがこのメッセージを僕たちに託したということは、何か意味があると思うんです」


 その時、僕の脳裏にふと今朝何気なく居間で流れていたニュースを思い出した。


「今朝ニュースを見た時、近くで殺人事件が起きたって言ってた気がする。もしかして?」


 狼狽した母が慌てて答える。


「ち、違うよ。その事件とは全然、関係ないから」


 母はそう答えたものの、叔父がニュースで報道されていた殺人事件に関わっていることは、反応から見て明らかだった。


「とりあえず、そのノートはもらうからね。それと、二人とも、変なことはしないで早く夏休みの宿題を終わらせなさい」


 祭が持っていたノートを無理やり奪い取り、母はそそくさと部屋を飛び出していった。

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