その後

第26話 贈り物のお返し

 喧嘩をした。


「お嬢様⋯⋯それは喧嘩とは言いませんよ」


 口ではそう言いながらもどことなく満足気なメデュは新しいお茶を淹れ、アップルパイと一緒に私の手元に置いてくれる。


 そして、喧嘩の原因までも。


「メデュ、これは返しておいてって──」

「お嬢様がご自分でお返しになって下さい」

「出来るならそうしてるわよ⋯⋯」


 出来ないから困っているのだ。


 私とセリオル様は「やり直し」の最中。

 セリオル様は嫌がったけれど私は偽りの婚約者だと思い込んでいた間に贈られた品を一度返した。

 

 やり直しの中で改めて贈って欲しいと言った私の我儘に渋々ながらもセリオル様は「分かった」と言ってくれたのに。


 先々月の植物園では若草色のワンピースと帽子を。

 先月の観劇は碧色のドレス。

 先日のエポラル殿下とレモラの私的なお茶会には二人の婚約発表パーティーの時に贈られたピンクのドレスとターコイズのアクセサリーを贈られた。


 一つ一つ「大切」が増えてゆく。

 それだけで十分なのにセリオル様は必ず新しいものを増やして来たの。


 若草色のワンピースと帽子には琥珀のブローチ。碧色のドレスには翡翠のイヤリング。ピンクのドレスとターコイズのアクセサリーには柔らかい絹のストール。


 どれもとても素敵な品だもの嬉しかった。

 でも、私はやり直しの品だけで十分なのよ。だからセリオル様にもちゃんと伝えたわ。「これ以上増やさないでください」って。

 そしたらあの人「俺が贈りたいんだ。俺の気持ちなんだから受け取って」と言ったの。その気持ちは嬉しいし、幸せな事。けれど私はそんな気持ちの中に償いが含まれていると分かってる。

 だから余計に受け取れない。

 許す許さないではなくてこのやり直しはちゃんと言葉を交わしてお互いの気持ちを確認する為なのだから。

 だから私は今、セリオル様と向き合えていない気がしているの。セリオル様の気持ちが大きいと感じる度に私は何も返せていないのにと少し不安になっている。

 それが一番の問題なのだ。


「お嬢様。セリオル様は本当に反省なさっておりますよ。そのお気持ちなのですからお受け取りになればよろしいのです」

「でも、メデュ⋯⋯私から、セリオル様に⋯⋯返せていないじゃない⋯⋯その、好きだって、気持ちの重さとか⋯⋯」

「ふふっ。そんな事を悩んでおられたのですか」

「だって、なんだか悔しいのだもの⋯⋯」

「想う気持ちに勝ち負けはありませんよ」


 そうは言ってもやっぱり悔しいものは悔しい。

 だからといってセリオル様が一つ増やす度に私からお礼の品を返すなんて事をしたら永遠に終わらなくなってしまう。

 それは避けたいし私はもう十分に幸せなのだとセリオル様には品物ではなくてもっと違う形で伝えたい。

 例えば、手を繋ぐとか抱き締めるとかの触れ合いを──っ!


「お嬢様、顔が赤いですよ」


 ⋯⋯何を考えてるのよ私は。恥ずかしいっ。

 慌てて頬に手を当てれば熱を帯びている事が分かる。きっと耳まで真っ赤になっているに違いない。

 そんな私の様子にメデュはクスクスと楽し気に笑っていた。



 さて、本当にどうしよう。

 このままじゃいつまで経ってもお返しが出来ない。

 今日こそ何かしらの解決策を見つけなければと考えながら温室へと向かっていた時だった。

 中庭に差し掛かった所で私は思わず足を止めて生垣に隠れた。そこに居たのはセリオル様。そう言えば「毎月フリンダーズ家の花を一輪貰いたい」って言っていたわね。いつでもどうぞとは言ったけれど。


「いえ、この一本で。ありがとうございます⋯⋯彼女に良い報告が出来ます」


 庭師のヤナおじいちゃんと話し終えて帰るセリオル様の後ろ姿。今はもう後ろ姿を見間違える事は無くなった。それより彼女? ⋯⋯て誰の事?


「ヤナおじいちゃん」

「おや、お嬢様。今セリオル様が来ていたんだよ。用事を終えたら改めて来るとは言っていたけど声をかけなくて良かったのかい?」


 私がセリオル様に声をかけなかった事を不思議に思いながらもそれ以上の事は聞いて来ない。

 ヤナおじいちゃんはいつもそうだ。優しい笑顔で見守ってくれていて必要な時には助言をくれる。


「うん。また来るのでしょう? ねえ、おじいちゃんの手にあるのは剪定鋏よね。セリオル様に花を渡したの?」

「ああ、前にね「この花が咲いたら一輪貰いたい」って言っていたから。ほらこの花だよ。でもね、この花は一つの茎に幾つも咲くから一本渡したんだよ」


 そう言って指差したのは釣鐘の形の花が咲くカンパニュラ。

 ヤナおじいちゃんは束で渡そうとしたらしいけれどセリオル様は一本だけ手にしたそう。


「さて、今一番綺麗に咲いてるものを摘んだからお嬢様の部屋に飾ってもらうよう頼んで来るよ。お嬢様はやはりセリオル様を追いかけた方がいい。これからはちゃんと話をするって決めたんだろう?」


 私が「彼女」にモヤッとしたとヤナおじいちゃんは察していたのね。「西の公園に行くと言っていたよ」と言って庭を出て行った。


 ヤナおじいちゃんの背中とセリオル様の背中が重なって、なんとなく「彼女」はセリオル様が以前お付き合いをしていた方なのではないかと浮かんだ。

 ミディアム達に嫌がらせを受けている間は気にならなかったけれど豪華な美人だって話よね。

 浮気ではないと思うけれど、信じようと思っているけれど⋯⋯。もし、未練があるのなら私が身を引く事がセリオル様へのお返しになるのかも。

 ⋯⋯気になるのなら聞くしかない。うん、急いで追いかけなきゃね。


「メデュ! 出かけるわ!」

 

 出かける用意の為に自室の扉を開いてすぐに私の目の前に帽子と口元を隠す布が突き出された。


「お嬢様、ヤナ様から聞きました。西の公園へ参りましょう」


 何処から持ってきたのか色が濃い眼鏡を装着したメデュの言葉に私は大きく頷いた。



「何をしているのかしら」

「少しは見直しましたのに。アノヤロウは⋯⋯またお嬢様を悲しませるのならあの頭を刈り上げてやる」

「⋯⋯メデュ言葉。それから刈り上げるのはやめて」

 

 西の公園に着いてすぐに私とメデュはセリオル様を見つけ、彼が見える位置の生垣に身を隠した。

 セリオル様はベンチに座って空を見上げている。やがてセリオル様に近付く女性が現れて私は胸がぎゅっと締め付けられるような感覚に陥った。何だろう、この感じ。ザワザワとして凄く気持ちが悪い。


 これは嫉妬? 私は嫉妬をしているんだわ。だって、現れた女性は噂で聞いていた通りとても綺麗な人だったから。

 セリオル様がヤナおじいちゃんから貰ったカンパニュラを彼女へ渡すと彼女が頰にピンク色を浮かばせて微笑む。同じ女性の私でも見惚れてしまった。


「まあ! 今回の花もとても綺麗。丁寧に世話をされているのを感じますわ。私の我儘を聞いてくださりありがとうございます」


 声まで綺麗だ。

 けれど何故だか不思議なのだけれど、花を受け取った彼女からセリオル様への未練とか好意を感じない。セリオル様からも彼女に対しての未練も好意も感じなかった。

 並ぶ二人は絵になる程完成されているのに。


「婚約者の方にもお礼をお伝えください」

「⋯⋯ああ、それが⋯⋯君達の事をまだ話せていなくて」

「まあっ! 勘違いされたらどうなさるの!? 相変わらずヘタレなのね貴方」


 突然声を上げた彼女に私は驚いた。

 

 けれどセリオル様は全く驚いていないし、それどころか苦笑していた。


「これからすぐに話してきて! もうっ本当は貴方に会うのは嫌なのに」

「相変わらずハッキリと言う」

「当たり前よ! 旦那様の友人だから旦那様の為だと思って我慢しているのよ! はあっ⋯⋯セリオル様、花をありがとうございました。どうか婚約者様に誤解されませんようしっかりとお話をしてください──でなければ旦那様に貴方とのお付き合いを止めてもらいますからね」


 旦那様? 既婚者なの!? まさかセリオル様は不倫⋯⋯して。え、でも、彼女の口調と大きな溜息は噂されていた「お付き合い」をしている感じではないし、どういう関係なの?


「お嬢様、セリオル様がこちらへやって来ます! 隠れ──」


「シュリン? 何をしているんだい?」


 私が考え込んだ時間は僅かだったのにいつの間にか女性は帰り、驚いた表情のセリオル様が私を覗き込んでいた。

 変装、意味なかったじゃない。


「セリオル様を家で見かけたので⋯⋯追いかけて来ました」

「それで変装して隠れていたんだ⋯⋯また嫌な思いをさせてしまったんだね。ごめん。ちゃんとシュリンに話しておかなかったからだ」


 家に来たのに私に声をかけてくれなかったのは「何で?」と思ったけれど別に嫌だとは感じなかった。まさか不倫!? とは思ったけれど隠れ見た限り彼女とセリオル様の間には噂にあるような付き合いがあったとは思えなかった。確かに説明不足なのはセリオル様の足りない所だけれど私はそれをよく知っている。

 セリオル様は私とメデュを先程まで座っていたベンチへ座らせて語り始めた。


「彼女はサバンナ伯爵夫人レイラ」

「綺麗な人ですね」

「ん? ああ、そうだね⋯⋯その⋯⋯疑った?」

「そうですね、あんなに綺麗な人とどうして別れたのかな、まさか不倫していたのかなって思いました。でも、噂の様な親密な関係だとは何故か思えなかったです。どんなご関係ですか?」


 私は思った事を素直に話した。だって話さなくては伝わらない、聞かなければ分からないのだから。セリオル様は一瞬目を見開いて小さく笑った。


「シュリンはハッキリと言うようになったね⋯⋯レイラと彼女の夫、エランド・サバンナとはシュリンの後を⋯⋯ストーキングしている時に⋯⋯出会ったんだ」

「ストーキング⋯⋯」

「エランドは元保安騎士でね。シュリンに話しかける間合いを探っていた時に職質を受けた」

「職質⋯⋯」

 

 私は絶句してしまったけれどメデュがセリオル様の言葉を反芻してくれたおかげで冷静でいられた。たまにセリオル様は少し、いや、かなりキモチワルイ事を言い出すのよね。

 レイラ様はそんなセリオル様を「どんなに顔が良くても気持ち悪い!」と毛嫌いしているのだとか。良く言ってくれた。私は心からレイラ様に感謝したい。


「それからシュリンを追っていると必ずエランドと会う様になってね。その度に止めるよう説得された」

「自分で止める選択は⋯⋯」

「止めようとしたタイミングが偽りの始まりだったんだよ」


 セリオル様は苦い表情を浮かべた。同じ時期にミディアム達の監視、薬の流通調査、私のストーキング。その間に職質。この人はどれだけの事を同時進行させていたの。


「今回の件、当然エランドにかなり叱られてレイラからは怒られた。「サバンナ家の門を再び潜りたいのならシュリン様と関係を築きその証明をして」とね」


 それでセリオル様はフリンダーズ家の花を貰える関係になれたのだとレイラ様に渡していたのね。

 けれどまだ疑問が残る。どうしてレイラ様だけだったのかしら。伯爵様だからお忙しいのかも知れないけれど。


「あの、サバンナ伯爵はレイラ様と一緒にいらしていなかったのですか?」

「⋯⋯エランドは足を悪くしてしまって保安騎士団もそれで退団したんだ。外には出られなくはないけれど、エランドはレイラに負担をかけるのが嫌だと言っていてね。だから俺は彼が断れない夜会へ行かなくてはならない際はレイラのダンスパートナーを代わりに務めてくれないかと頼まれていた。レイラは嫌がっていたけれど」

「それが噂になっていたんですね」


 本当に人の噂は当てにならない。けれど毎回セリオル様とレイラ様が踊っていれば「そういう関係」なのだと見られてしまうものなのだ。

 サバンナ伯爵にレイラ様が不貞を行なっていると言う人がいたらしいけれどセリオル様にレイラ様のダンスパートナーを頼んだのはサバンナ伯爵様なのだし、セリオル様は筆頭侯爵家で揉み消せる権力を持っていた。それだけではなくレイラ様自身がハッキリとものを言う性格だったから彼らの関係がヒソヒソと噂されるだけだったのよね。


「話してくださりありがとうございます。聞かなければ私は不貞をしているのだとまた思い込んでセリオル様を疑っていました」

「⋯⋯シュリンは変わろうとしてくれている。俺はシュリンに最低な事をして噂についても話せないままにしていた。俺は全然ダメだな⋯⋯情けない」

「私は「顔」は良いのに情けないセリオル様が好きなんですよ。情けないセリオル様の方が好きなのは私くらいだと思いませんか?」


 セリオル様は言葉が足りない。説明が上手くない。どんな時も顔色を窺っている。

 そしていつも間違えてしまう。

 けれどそれは「私」に対してだけなのよ。他の人には当たり障りなく接せているのに。

 それをメデュは「クズヤロウ」と、お父様とエポラル殿下、レモラは「ヘタレ」だと苦笑いする。そうそう、レイラ様には「キモチワルイ」と言われているのよね。みんな酷い言い草だけれど私はそんな所も含めて好き。

 だから私はセリオル様としっかり話をする様にする。聞かなくてはセリオル様が何を思っているか分からないから。やり直しを始めてそう一番に決めた。

 私とセリオル様はお互い自分自身を少しずつ改善していく。最低な関係を経験したのだから直せるところは沢山ある。


「それに、平凡な私を好きだと言うのはセリオル様くらいですよ」


 私は自虐的に笑って見せた。

 メデュは眉間にシワを寄せたけれどセリオル様は首を振り、優しく微笑んでくれた。

 その笑顔が嬉しくて私はセリオル様の手に自分の手を絡める。セリオル様は少し驚いた顔をしたけれど強く握り返してくれた。


「シュリンの本当の美しさは見た目じゃないよ」

「⋯⋯嘘でもそんな事ないって言ってくれたらいいのに。ついて良い嘘もあるんです」

「⋯⋯また間違えたんだね」


 セリオル様は悔しそうな表情を浮かべながら頭を掻いた。その仕草が可愛らしくて思わず私は笑ってしまった。やっぱりこの人は面白い。

 私はこの人と巡り合えて良かったと心から思う。確かに格好良い所を見たいと思うし、セリオル様も格好良くいたいのだろうけれどセリオル様はきっとこれから先も私限定で間違って謝ってそれを私は愛しく感じるのだろう。それで良いと思う自分がいる。


「お嬢様、続きはお屋敷でお願いします」


 私達を生暖かく見守ってくれていたメデュが溜息混じりに言う。それは呆れているけれど優しい声音だった。



「もう一度言いますね。セリオル様、贈り物は嬉しいです。ですが、今はやり直しの最中です。足された品は受け取れません」

「分かってる。けれど俺の気持ちなんだから受け取って。返品は受け付けないよ」


 「噂」の真相は話してもらえたけれど結局お返しは決まらないまま屋敷に帰り、お茶をしながら私とセリオル様は「贈り物」の話し合いを始めた。

 

 私がやり直し以外に頂いた品を返そうとするとセリオル様が拗ねた表情を見せる堂々巡りの話し合い。


「私はセリオル様に何もお返しが出来ません。頂いてばかりでは不安なのです」


 メデュは思う気持ちに勝ち負けは無いと言ったけれどそれでも何か一つでも良いからセリオル様にしてあげたい。だってこんなにも尽くしてもらっているのだから。

 不安だけが浮かび私は唇を噛む。

 するとセリオル様は私の手を取り甲に口付けをしてきた。驚いて顔を上げた私に映った彼はとても真剣な瞳をしていた。

 その眼差しにドキッとする。セリオル様はゆっくり口を離すと、そのまま私の指に自分の指を絡ませてきた。


「それじゃあ⋯⋯お返しは、シュリンが俺にしたい事を、してくれないかい? シュリンを傷付けた事を罵っても構わない。責めても構わない。殴ってくれてもいい。それだけの事をしてしまった。俺は何があっても何をされてもシュリンをもう二度と裏切らないと誓う」


 ああ、やっぱりセリオル様は償いをしていた。私にだけ挙動がおかしくなるのは⋯⋯遠慮しているからだった。


「⋯⋯分かりました。では、早速お返しをしたいです。セリオル様、何があっても受け入れてくださいね? 届かないので座ったまま動かないで目を閉じてください」


 私は立ち上がり素直に目を閉じ、姿勢を正して待つセリオル様の前に立った。

 緊張に歯を食いしばっているのだろう膝の上で握られたセリオル様の手が微かに震えている。

 

 私はそんな彼の肩に手を置き屈み込んでそっとその額にキスをした。触れるだけの軽いものだけれど、私にとっては精一杯の勇気を出した行動。


「──シュ、リン!?」

「これがお返しです。私はもう許しています。これからは私もセリオル様に誠実である様頑張ります。だから⋯⋯ものではなくて私にちゃんと愛情表現をしてください」


 真っ赤になっているだろう顔が恥ずかしくて俯きながら言った私の言葉にセリオル様は目を見開き顔を赤らめて固まってしまっていた。


「セリオル様?」

「嬉しくて一瞬気が飛んだ⋯⋯シュリンの大胆な所は変わらないね。ありがとうシュリン」

「え、セリオル様!? ちょっと!」


 固まった彼に心配になり覗き込もうとした瞬間、いきなり抱き上げられて私は慌てふためいた。

 その様子に「良かったですね」と笑うメデュの声が聞こえた気がした。


「セリオル様、もう隠し事はありませんよね?」


 セリオル様が笑顔を貼り付けたままピタリと動きを止めた。

 え⋯⋯あるの?


「隠し事と言うか⋯⋯正式に隣国から発明品の販売許可が降りたんだ。車輪が三つ付いた乗り物で人力三輪と言うらしい」

「それは隠し事と言いません!」



 私とセリオル様はお互いの事を知る為に話をして、少しずつ距離を縮めながら時には喧嘩して仲直りを積み上げていく。

 最低から始まったのだから後は登るだけ。


 でもまだまだ先は長い、かな。

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偽りの婚約者 京泉 @keisen

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